小説

 

 

夏風越の(なつかざこしの)

           竹 内 応 身                        

 

 信州飯田の背面に、風越山と呼ばれる山がある。越すというのは、なにを意味する言葉

なのであろうか。近頃は、「ふうえつざん」と読むことも多い。

 

 春爛漫である。揺れ動く風に乗せて校庭脇の枝垂れ桜が、花びらを夥しい便りのように

して、新入生たちの頭上に天もがこの日を祝っているかの如く降りそそいでいた。

 よく晴れて暖かな校庭での入学式典が終わり、それぞれの教室に引き上げる列の両側に

は、部活動への勧誘のための上級生たちが並び、これと目をつけた新入生を取り巻いて、

盛んに入部を誘うというよりは半ば強制的に迫っていた。

 そんな中に、長身白皙、静かな雰囲気の生徒がいて、剣道具を身に着けた堂々たる体躯

の四~五人に囲まれていた。

 「お前、剣道部に入れ。」「・・・」「わが部は、インターハイで度々優勝を果たして

いる伝統ある部だ。お前は見所がある。」有無を言わせぬに近い勧誘であった。

 何をもって見所と言っているのかの説明はない。

 その傍らを、琵琶の木刀を肩に担いだこれも新入生が通り抜けながら嘯いた。

 「腕を見てから返事をしたほうがよいぞ。」あからさまな挑発であった。

 これを聞いた部員たちが色めきたった。 「なにっ!生意気な。ちょっとこっちに来い。」

 「ふん、これしきで気色ばむようじゃ、腕のほどは知れたものだ。」

 言い放つと同時に、肩に担いでいた木刀で無造作に空を縦に薙いだ。木刀とも思えぬ、

空気を切り裂く凄まじい刃音であった。

 先輩たちとの間に音を立てて落ちてきたものがあった。先程らい空高く弧を描いていた

鳶であった。

 気勢を殺がれたというばかりでなく、格段の腕の差を見せつけられた思いで先輩たちは青

ざめた。

 入部を迫られていた数馬は、どこかで以前に確か見たような光景であると思ったのであ

る。風に溶けたかのように遠く霞んだ記憶であった。同時に、自分の名が数代を繰り返し

て午年に生まれたからついた名なのかと、なぜかふとそんな思いが頭に浮かんだのでもあ

った。

 後に、彼が数馬に語った。「校門の前の石垣を組んでいる石屋が、でっかい石をハンマ

ーの一振りで真っ二つに割っているのを見たことがあるだろう?」「うん」「あれと同じ

さ。石屋は石の目を読んでそこにハンマーを当てるし、俺は風の目を読んで、そこに木刀

の刃先を入れるだけのことさ。」

 

 青嵐に山々が揺れ動くのは、まだまだ数ヶ月は先のことである。

 

 

信州飯田、堀大和守一万七千石の城下町は朧月に濡れてボウと滲み、辺りは総てひっそ

りと眠っているかに見えた。十代親寚(ちかしげ)が外様ながら幕府の要職につき、若年

寄としての功によって加増を受け二万七千石となったのも束の間、老中格として水野忠邦

の「天保の改革」を助けたという失政の責めにより減封され、現石高となったのである。

十一代親義の元治元年、遠く北の地で、三月末に争乱が勃発した時節柄でもあり、余人

にはそれと知れずとも、微かに異様な気配が運ばれ映っているかの如き妖しい光を月に感

じとって、隼人は眉を顰めた。

「うむ、六回か。随分手加減したな。それでもそなたが居れば何が来ようと心配あるま

いよ。」白髪白髭、藜(あかざ)の杖を片手に仙人然、傍らに並んで静かに佇んでいた庄

兵衛が呟いた。

目の先、肩の高さほどに撓った竹の葉先から、夜露がキラッと光って地面に落ちるまで

の間に、刃を切り返してその露の粒を斬リとばした回数を言ってみせたのである。刀が鞘

を離れたわけではない。気合だけのことではあった。

背後に暗く迫る風越(権現)の山の端が翳んでいた。

(余談ではあるが、仙人の杖というのがある。ご存知の通り、杖頭が瘤になっているもので

あるが、藜という1年草から作られる。藜は、新芽のころにはお浸しなどにして食用にもで

きる雑草で、夏には背丈以上に伸びて葉を繁らす。秋になって根ごと掘り上げ、髭根を切り

枝を払って幹を磨き、長さを整えて瘤状の根を上にして杖とする。軽くて丈夫である。)

 

何事も無く一夜が明けると、天竜の川からは朝霧が立ち上り、辺りを蒙と包みこんだ。

この川には「かわらんべ(河童)」が棲むという。これにシリコダマを抜かれると命がな

くなるというが、これに憑かれると大きな鼾をかくようになり、人の言うことを聞かなく

なるのだと言われる。取り憑かれた者は、見る人が見れば、すぐにそれと知れるのだとも

いわれていた。身体が青黒くなるのである。

 

程なくしてお日様の強い光に霧が突き払われると、座光寺の里は春霞む天竜川の段丘上

に、昨日と変わらず茫と浮かんでいた。天に桜の紅、地に菜の花の黄色、揺らめく景色を

分けて吹き抜ける微風は、香りを乗せて肌に心地よかった。

 そこここに色鮮やかな草花が、眩いばかりに光を跳ね返している。名はあるのであろう

が、派手な主張をしない花は、いかに美しくとも一括りに雑草扱いされる。

そこから坂道を四半里ほど下れば、古刹元善光寺がある。推古天皇十年、麻績の里(座

光寺)の住人本多善光が、難波の堀から一光三尊の仏像を拾い上げ、これを本尊としてこ

の地に迎えて臼の上に安置した。その後、皇極天皇の時代に長野に遷座したが、霊験あら

たかであり、長野と座光寺の双方の善光寺にお参りしないと片参りであるとされる由縁が

このあたりにある。

 近隣に限らず、参拝する善男善女からの篤い信仰は、根付いて永い。

緑なす草々のそこここに、今を盛りと群れ咲く蒲公英の帯を裂いて、三州街道が黒田の

里をよぎり飯田の城下へと白く続いている。

 三州街道(上街道)は、中山道の脇街道として中馬で荷駄を運ぶ通商の道であり、別名

伊那街道とも呼ばれ、信州と三河を結び栄えた。

 中馬とは賃場の転訛であるが、宿場で馬を乗り継ぐ伝馬と異なり、街道を通じて馬を乗

り変えない方式であった。

隼人は、一本杉のもとに祀られた山の神の祠前から、座光寺富士とその地で呼び慣らわ

されている一二七〇米の山を背に、大門原を下り、その三州街道を飯田長姫城下に向かっ

て、平安城相模守を無造作に佩き、着流しの裾を僅かに閃かせながらゆっくり歩を進めた。

 途中、何人かの旅人に追い越され行き違いしたが、一見なんでもなく見えて、腰の据わ

り足運び目配りに、隠しても隠しおおせぬ雰囲気をまとった旅人たちであった。

 

その昔、白羽の矢が立ったという厚い藁葺き屋根を持つ家が建つ上黒田の付近に差し掛

かったとき、突然ヒョウと空気を切り裂く音がして、隼人めがけ一筋の矢が飛来した。

隼人に矢を射たてるのは至難の技である。弓弦の音の方が先に届くというばかりのこと

でなく、視野が桁外れに広い上、毛先ほどの気配があれば、仮に暗闇で目を閉じていてで

あっても、身を躱すことは苦も無くできる。

わずかに肩を捻り、およそ緩慢としか見えない動作で懐手を抜くや、飛び来たった矢柄

を掴むと、矢の飛び来た方向を見やるでもなくその矢に目をやって、隼人はかすかに頬を

緩めた。何を意図しての射かけなのかは、わからぬ。

ご丁寧にもこの地に因んだのか、それは白羽の矢であり、何故かその白い矢羽根の一部

分が切り取られていたのである。

 

白羽の矢に始まる岩見重太郎の狒々退治伝説に語り継がれたあらましは、こうである。

風雲急を告げる戦国時代の末のころ、暮れなんとする刻限に中山道の脇街道である三州

街道を、上方目指しているらしき旅の武士があった。此の上黒田の辺りに差し掛かると人

だかりがあって、中に憔悴しきった老夫婦と若い娘が肩を寄せあって泣いていた。

「おお、なんといたわしや。真面目一方できたわしらが、どんな悪いことをしたという

んじゃ。神も仏もないものなのか。」娘を掻き抱いて身も世もなげに嘆いていた。

「お父、お母わしゃ行きとうない。そいだけど、わしが行かなきゃ代わりがあるわけじ

ゃなし。わしの身が役に立つんならしかたないずら。でも、おっかないし・・・」

今年は、この家の屋根に白羽の矢が立ったのだという。矢を射たてられた家は、その家

の娘を人身御供として差し出さねばならない仕来りであり、さもなくば全村に災いが及ぶ

というのである。それがいかなる災いなのか知る者はないのだが、それぞれに想像を逞し

くするから際限というものがなくなってしまい、恐れられていた。

その人身御供として神社に上がらねばならないのが、今宵なのだという。

人は上っ面で綺麗ごとを言っていても、その実は嫉妬と損得で動く。自分と比べてない

ものを持っている人に陰湿な感情を抱く者が多い。努力してそれを手に入れることをす

る前に、つるんで他人の足をひっぱる。周りにまで配慮ができる人は少ない。

無いものを得られないとなると、次は自分がいかに損をしないで済むかを考える。

目先のことだけだから、将来にわたって自他ともに良いということに意識は行かない。

周りに居ながら、自分のところに害が及ばないとなった人の無神経さと、配慮もしない

で発する白々しい慰めの言葉の残酷さは、おためごかしにすらならず、気の毒がっている

ように振る舞っているようでも、言葉に出せば出すだけ、その者らの品性を落とし、白々

しくて空虚であった。

 泣く泣くその仕来りには従わざるを得ないのだと、その場にて聞き及んだ旅の武士は、

「よいよい、拙者がその災い取り除いてくれよう。安心してまかせるがよいぞ。」と声を

かけた。穏やかながら強く響のある声音であったという。

我が身を捨てても村の衆の為になれば、という娘の健気な心映えが呼んだ天佑だったか

も知れない。

 

 日暮れて、慣わし通りの白木の箱に入り、身代わりとなった武士の上には内掛けが被せ

られ蓋がされた。

 白木の箱を担いだ村人の行列は、野底川沿いの山道を、権現山から連なる虚空蔵山の麓

にある姫宮神社に向かい無言のまま進んだ。

 娘と武士が入れ替わっているとはつゆ知らぬ担ぎ役の村人たちは、わが身の難を背負っ

て身代わりとなってくれた娘への感謝や労わりの言葉を箱にむかってかけるでもなく、恐

ろしさが先にたって無言の道中を続けた。早く帰りたいというのが本音であった。

物音がひとつでもしようものなら、いつ箱を放り出して逃げ帰ってしまっても不思議で

ない行列でもあった。

 

境内に辿りつき静かに箱を地面に降ろすやいなや、運んで来た村人たちは、後も見ず蜘

蛛の子を散らすが如くワっとそれぞれに逃げるように走り去ってしまった。

 やがて、静寂に包まれた闇の中に青く燃える目が浮かび、あたりに生臭い風が吹いた。

 神社の横手より、用心深い足取りでひたひたと白く仄浮かんだ影が進み、その手に箱の

蓋が乱暴に取り払われた。

そして一気に被せられていた内掛けが捲くりあげられるのに合わせ、下からその物の怪

に向かって柄をも徹れとばかりに刀が突きあげられた。

「ぎゃー。」と叫んで倒れ伏した六尺余りのそれは、夜が白んで確かめてみると、年を経

て全身が白毛に覆われた狒々であったという。

 これがこのあたりに残る岩見重太郎の狒々退治の伝説である。

 何故狒々が若い娘を毎年所望したのかは伝わっていないが、中国にいう猿の妖怪である

「獲猿」が、攫媛となって伝わり、媛を攫うに通ずるとして娘なのだとの説がある。

 

ここから八里ほど北、駒ヶ根の光前寺にも「伊那の早太郎」伝説というのがあって、こ

の寺で育てられた犬が、乞われて遠州磐田まで出向き、そこの妖怪と壮絶な戦いをしてこ

れを倒したのだが、満身創痍となってしまった。息も絶え絶えとなりながらそれでも、育

ててくれた恩がある故郷の寺まで辿り着き、そこで力つきた、という話の妖怪も狒々であ

ったということであるから、訝しいといえば訝しいことではある。

 

助けられた娘のその後も、助けた武士のその後も、揺として知れぬ伝説なのである。

 

 話しは変わるが、このあたり一帯には古墳が多く点在し、中でも前方後円墳である高丘

の森の石室に深夜丑三つ刻入ると、石壁の一部が移動して洞穴が現れ、この穴を辿ると、

遠く権現山まで通じているとの言い伝えが残っている。

 

 その高丘の森から河岸段丘となっている一山を越える途中に、瑞垣が神寂びて佇む麻績

神社がある。この神社には神官がいないが、里人の尊崇は厚く、いつも掃き清められて厳

かである。麻績(おみ)の名がどうしてついているのか知る者はないが、麻というのが神

様ごとに深く関わって、依り代であったり幣であったりするのは広く知られる。

 しかし、音に出したときの微細な振動について触れる人のないのも、不思議といえば不

思議なのである。

 「麻績(お~み)」「オーム」「アーメン」「南無ナーム」「阿―吽」などの持つ振動

が誘うであろう世界があるようなのである。

そこに繋がる正確な音や波動は、なんとなるのだろうか。

神社から更に山をかき分けて登ると、戦国の昔に山城であった南本城跡がある。

廓張りであった土塁の今は、狐の巣穴が多数掘られている。そしてこの山裾を巻いてい

る坂道を稲荷坂と呼ぶ。

狸は己が他のものに化けるだけだが、狐は人を化かすのだとか。

 夜にこの坂道を通ると、時に化かされて、自分の意図しないあらぬ方向へ無理矢理歩か

されるとか、土産品として携えていた折り詰めなどを奪られた者があるとかもいわれ、遠

く聞こえるケンケーンという狐の鳴き声は不気味であった。

 

 隼人は、姓を薄田と名乗る。近郷に此の姓を名乗る家は他にない。

 一説に、狒々の人身御供となって果てたかも知れぬ一命を、危ういところで助けられた

娘が、感謝の念が嵩じた恋心で何日か旅の武士の世話をする間に身篭って為した子の裔で

あるとも言われ、その武士の姓であるとのことどもも言われるが、定かならざることでは

ある。

 

なぜか隼人に行きかう領内の誰もが「若様、お早うございます。」「今日は、いい塩梅

でございます。」などと小腰をかがめて挨拶したりと、おろそかにしていないのは確かな

ことであった。

 

 受け止めた矢を片手に、隼人はゆらゆらと歩いていた。矢を捨てなかったのにはわけが

あった。矢羽の一部が切り取られたそれは、直線ではなく明らかに軌道を曲げて遠距離を

飛来したのであった。「福島殿にも見せてみよう。」と思いつつも、隼人にしてみれば、

射方によってその矢がどのくらい曲がるものか試してみることに興味を持ったと言える。

隼人が、矢の飛び来たった方向を見向きもしなかったのは、その所為でもあった。見や

ったところで、人影がある筈もないくらいの曲線を引いて飛来したと覚えたのである。

 

 

ご前試合

 城下の桜町に差し掛かるとそこ立札があって、人だかりがしていた。

 

 此度、殿様の思し召しこれあり、御前試合を催すもの也。

刀槍弓馬は申すに及ばず、武芸百般に覚えある者あらば名乗り出て御前に披露すべし。

 身分委細お構いなしとのご沙汰なれば、百姓町人の参加も差し許されるもの也。

 拠って試合の儀は、五月朔日、今宮神社境内にてとり行われる可し。

 

 「これはこれは、若様もお出になられるんでありますかな。」「若様がお出になるんじ

ゃもう、首座は決まったようなもんでありまするなう。」「さようでありまするとも。」

集っていた者たちが口々に声をあげた。百姓町人といえど、殆どの者が文字を読めている

ということである。この地の学問水準の高さを窺がわせた。

「身共は、こたびの試合に出る心算は毛頭ござらぬ。」とのすげないとも言える応えに、

残念そうな嘆声がそこここに漏れた。信仰に近い技前が隼人にあるということである。

 なぜにこの時期、絶えて久しくなかった武芸試合なのかとなれば、先夜の妖しの気配に

関わりあることとして、隼人の進言により催されるものだったのである。

 

 試合というにはそぐわぬ技前の披露の形式で、張り巡らされた幔幕の中では呼ばわれた

順に正面の床几に座る堀公に一礼して、次々に演武が進められた。

 

「井伊左門、剣にござる。」

痩身中背、およそ剣には程遠く見える武士が境内中央に進み出ると、鯉口を切って静か

に大刀を抜き放ち、無言で空を縦に薙ぎ払った。

何事やと見る間に、そのまま御前を下がってしまい、何がなされたのか解らなかった。

 しばらくすると、空たかく舞っていた鳶が音を立てて地上に落ちてきたのであった。

 なにが披露されたのかと声もなく立っていた観衆がどよめいた。鎌鼬のごとく切り裂い

た風の先にあったのは、まぎれもなく今まで空遠く離れて飛んでいた鳶だったのである。

 

「福島与五郎にござる。弓矢を少々。」

柔和な面差しの割には強弓と見える重藤の弓を携えて、次なる者が境内に進み出た。

三十間ほど先に的が設えられ、中間に幅三間高さ二間ほどの板塀が据えられた。射座か

ら直接に的は見えず、板塀の眞中に直径二寸ほどの穴があって、かろうじてその穴を通し

て的が臨めた。携え出でた矢が四筋、無造作に連射された。

 一本目は板塀の穴を通して、二本目は塀の上を越えて、三本目四本目はそれぞれ塀の左

と右から弧を描いて、悉く的の中央に吸い込まれるように集中した。

 

「河尻又兵衛、槍にござる。」

脇に掻い込んだ槍は、先に5寸釘が付いているかのように穂先が細長かった。長身であ

る。介添えの二人が左右から引っ張る綱から、一尺幅位の間隔で肩の高さ程に糸に吊るさ

れた寛永通宝が並んで揺れていた。

やおら槍を下段に構えると、滑るように体が蟹の横ばいさながらに移動し、その間に穂

先が五度きらめいた。風に揺れていた寛永通宝の穴は、すべて槍先に貫き取られていた。

 

「棚田真吾と申します。写しの技にございます。」

その場の緊張感と馴染まぬ位に柔和な笑顔で、小柄な男が場内に立った。

「書状書付、その他目に付く品物を百個ほど、この場にお並べ下され。」

暫くしてその場に広げられた物を一瞥すると、「もうお取り下げ下されて宜しゅうござ

います。」

言い終わると、すぐに筆を取り出して半紙にすらすらと文字を走らせた。

書状は一言一句の間違いもなく、出されていた品々の品名は、一つの落ちもなく書きと

められていた。

 

「火打石式種子島でござる。大門次郎衛門と申します。」

担った銃には二連の筒がついていて、火縄らしきものは見られない。「手前工夫の、雨

天にても打てる二連発なれば、威力の程ご覧願わしゅう。」

十間ほど先の台に据えられた二つの兜に狙いを定め発射すると、轟音とともに見事二つ

の兜の前立ての間には、大きな穴が貫通していた。

 

「大筒花火の工夫にございます。」

凡そ花火師には見えぬ学者風の男は、山吹村在住の寺田佐門と名乗った。

境内から離れることおよそ三十間ほどの所に、予め並べ立てられていた案山子に筒先を

向け口火に火を点けると、煙を引いて飛び出した玉が弾けて、間隔のあいた十に余る案山

子が全て粉々になって飛び散った。

 

棒、飛礫、鎌などもひとわたり披露されたが、矢来の外に集まった見物人に見せるため

の催しであったかのごとき雰囲気で終わりとなった。

 

天竜川に茜を流して、ほどなく夜の帳がおりた。

 夕暮れての飯田城内大広間。百目蝋燭が並べられて、明るい。

 「隼人、そなたの進言あったがゆえの本日じゃが、秘蔵の家臣達も表に出してしまっ

た。このような按配でどんなものであったろうの。」酒肴の膳を挟んで大和守が尋ねた。

 「程よきところかと思料仕ります。四~五人は見物人に紛れこんで見ていたようにござ

ります。」

 「ところで若様、本日の御前試合での業前披露は、何故あってのことでござりましょう

や。殊更に見せ付け、軽々に手の内を見せるは、異なことに存じますが?」戦国時代に甲

州信州あたりで名を馳せた武の名門、河尻一族の裔とされる河尻又兵衛が、口を切った。

 同座していた出場者全員が、一様に隼人に顔を向けた。

 「殿様からのご下問もこれあり、この先に危惧される争いを避け、長く続いたこの谷あ

いの平和と、生きとし生けるものを守らんがための示威なのでござる。殿様のご苦衷も知

らず、口さがない者がなにかと騒ぐかも知れませぬが、穏やかが一番でござる。」

「さればまた、何事か起るのということなのでござるか。」今度は福島与五郎が尋ねた。

「本日のご貴殿の弓の業、流石のものにて実に見事にござった。先日それがしに矢を射た

てんとした者の上をいく術でござれば、かの者もきっと肝を冷やしたことでござろう。

 ご貴殿をはじめ数々の技前を垣間見せたことは、山深き谷あいの小城ひとつ、なにごと

やあらんと軽んぜられるを防ぐ手立ての一つにてもござった。

 かけひきそれだけで済めば何よりかと存ずるが、ほかにちと気がかりな気配もござる。

お聞き及びでござろうが、筑波山に天狗が舞い降り騒乱を起こして一月余。言うに恐れ

多きことながら、弱体化したご公儀がこれを鎮撫するは、極めて難しかろうと推量致しま

す。いずれ通るでござろう街道沿いの八ヶ岳の権現山も、八つという字にからみ恐ろしゅ

うござるが、ここはまだ目覚める様子は見せておりませぬから、さしたることなく通り抜

けてきましょう。されどことは天狗なれば、この飯田の権現山・虚空蔵山に向かうは地の

利の必定。いずれ伊那を下って京へ上る道をとるであろう様子が目に浮かぶのでござる。

有り様を申せば、水戸の天狗党勢だけなれば、目的は当藩との戦ではなく、京に上り将軍

家に会うことにてござれば、やり過ごせばよきこと。

いまひとつは、ご公儀への対策にてもござる。無傷で天狗党勢を通過させたとなれば、

どんな咎め立てをされるや知れ申さぬ。さればこそ、これが厳しい処分を躊躇わす強さを

示すことにもなりましょう。

それよりも厄介なのが、天竜のカワランベと虚空蔵山の天狗が、時空を越えて動き出さ

んとする気配の方なのでござる。まさに脅威はどちらかといえばこちら。避け難いことに

なるにしても、神国のことを考えれば、今このときは妖しとの戦いへの備えが焦眉の急と

なっているのでござる。」

天狗は翼があって空中を飛翔し、俗に人を魔道に導く魔物ともされている。天狗が全く

妖怪化したことによる霊威怪異の伝承もあって、神隠しなどもその一つの例とされる。

なんにしても、人の言うことを聞かぬのが天狗。

後には修験道による山岳信仰と相俟って、神として信仰の対象になるほどの大天狗も出

るのだが、まだまだ恐ろしい存在ではあった。

信州は神州に通ずるとの意識が、この地にはあって、超常の現象を知る者は多い。

「今ではなく、百年後にこそ飯田の民の力が必要になるとの声が、しきりに身共の耳奥

に聞こえてくるのでござる。」

 隼人の超常的な力を知る一同は、瞬きすら忘れて聞き入った。

 外には昴(スバル)が、いつにも増して輝いている。

 

 「すると、二方面とせず、主眼は魔との戦いということになるのでござらうか。」

「さようにあいなるかと。」

「しからば、霊魂・魂魄の世界に近いものにてござるか?」

「間違えば、国の滅び。鎮まって去って貰うほかないかと。荒ぶるものも、中にはあろ

うかと存ずるが、それは身共が一身に代えて引き受け申す所存にござる。」

武道の修行を積む中で、悟りに近い境地にある面々は、悟り直前近くに現れる魔のこと

は言わずもがな知っていた。心身の鍛錬・修行が進むと、何事にも自由で、美しく開けた

境地に達する。ただ、ここが到達点ということではなくて、悟りはまだ先にあるというこ

とである。

 「先ほど八という数について気がかりとおおせでござったが、八は末広がりで吉なのでは

ないのでござるか?」

 「左様でござる。方々もお気づきと存ずるが、北辰を指し示す北斗の柄杓の八星が、七星

しか見えなくなってござる。見えていたものが見えなくなるのは危険でござる。」

 七星には、輔星アルコルがあって、ときに死兆星とも呼ばれる。

 星は、図にかくと普通☆となり、五芒星である。伊勢神宮の周りに見られる六芒星は、正

三角形を二つ組み合わせて描かれ籠目模様ともいうが、籠目に閉じ込める結界のようなもの

であるかも知れませぬ。かごめかごめ かごのなかのとりは いついつでやる という童歌

は、言いえて妙。竹籠に閉じ込めるのは、龍。しかし、三角形は3次元までのこと。

 八芒星は、四角形を二つ組み合わせてでき申す。八は、そもそも再生・甦りの数でござれ

ば、その前に破壊があることは必定。何が壊されるかということでござる。

 八岐大蛇に限らず、八に因むものは数多くござるが、八芒星の矢は、本来太陽の光芒を表

すものにて、米はその恵みによるもの。古代における我が国の言葉は、88音あったのだと

も聞き及び申す。数の意味するものは深そうに存ずる。

「して、この先いかようにすれば宜しゅうござりましょう。」井伊左門が膝を進めた。

 「さればでござる。人たるの天狗党勢との戦をせずに済む策として、この先、見慣れぬ

風体ながら、一廉の修行を積んだと思しき間者の往来が増えようかと存ずる。なまじ飯田

領内でことを構えると、無傷では済まぬと思わせるようにお振る舞い下されたい。くれぐ

れもご配慮願いたいのは、一筋縄ではいかぬと恐れさせるまでのことにて、無傷で間者密

偵の類は逃げ帰らせて頂きたいということでござる。妖しの者との戦いは、精神力の戦い

にござれば、この場におられる方々しか対抗できぬことかと存ずる。」

 「そして真吾殿。ご貴殿にはこの後のことを後世に残す手だてをお願い致したい。われ

らのこの後がいかようになるや知れ申さぬ。霊体になって残り、何代かして現世に甦るに

あたり、忘却の川を渡らねばならぬことなれば、生まれ代わりの回数がまだまだの我等が

記憶を留めていられるかどうかは測りかねるのでござる。記憶を繋ぐ縁が(よすが)とな

るなれば、宜しくお書き残し願いたい。」

 「全てを眼前にすることは、出来かねるかと存じますが。」

 「その儀なれば、大丈夫かと。思念がご貴殿の脳中に伝わろうかと存ずる。感じたま

まを見たままのように書いても障りなきかと。」

 

 座敷には、行灯と蝋燭の灯りしかないにも拘わらず、隼人の頭上は金色と紫色に輝き、

他の面々も、赤、青、緑、黄色の霧に覆われているかのように仄浮かんでいた。光背のよ

うなものであったろう。

 容易ならざることにあると、一同は無言のまま、覚悟の程をみせつつ揃って首肯した。

 

 それからは、うってかわり皆がまだ若くて血気盛んな頃の思い出話が弾んだ。

 「そうそう、そんなことが有り申した。」

 5人は、元服前から仲が良かった。修行の合間を縫い、連れ立って遊びに出かけること

が度々であった。

 城下桜町の少し先にある柏原の堤に釣りに出かけたことがあった。風に吹かれる水面に

は小波が立ち、折からの強い陽射しが反射して眩かった。

 竿を伸ばして一刻を過ぎるも、誰の浮きも動く気配をみせず、時おり池から釣り人を嘲

笑うかのように、大きな鯉が飛び跳ねては、「どうだ釣り上げてみよ。」と挑発していた

のであった。

 帰りの刻限が迫って来たころ、「一尾だけでもようござるか?」と、河尻又兵衛が口を

きった。

 長く撓る竿を槍のように構えると、飛び上がった鯉に向かって突き出した。二尺はあろ

うかという鯉は、目のあたりを鮮やかに貫かれ、手元に手繰り寄せられた。

 「そう、あの鯉は美味かった。」

 「その後でござったか。城に某藩の剣術指南役が来ていて、腕自慢に殿の小姓に持たせ

た扇子に飯粒をつけ、大上段から飯粒だけを切って見せたのは。」

 「いやいや、その話はご勘弁下され。若気の至りでござった。」井伊が眼前で手を振っ

て遮った。

 そのときの井伊は、同じ小姓の拳に飯粒をつけ、拳を自由に動かさせながら、飯粒だけ

を両断して見せたのである。拳に毛筋ほどの傷もつかなかった。

 「いやいや、その後がまた見ものでござった。弓の名手だと思っていたに、剣の冴えも

見せたのだから。」河尻が、今度は福島に目を向けた。

 今度は、福島が面映そうに「それも、ご勘弁下され。あの頃は若うござったゆえ。」

 侍女に縫い針を4~5本持ってこさせ、それを畳の縁に並べて刺し立てた。

 片膝立ちになると刀の柄に手をやり、じりじりと横に移動した。居合い抜きを数回繰り

返したのであるが、目にも留まらぬ早業のあとには、縫い針の全てが畳に打ち込まれてい

たのである。弓の的を射る修行の中で、針先が卵大に見えるまでになっていた福島にとっ

て、それはもはや容易なことであった。

 「他藩に軽んぜられてはならじ、我が殿大事のあまり大人気ないことでござった。花を

持たせて帰して聊かの不都合もなかったと、今にして思いまする。争いごと競いごとでは

なく済ませられることが肝要とわかってござる。」

 「これ小雪、隼人に酌をしてつかわせ。」

 傍らに控えていたうら若きにょしょうが、恥ずかしげに瓶子を傾け隼人に酒を注いだ。

 二百五十年の時を超えて、絶えてなかった白羽の矢が、此度は座光寺の小雪の家の屋根

に立ったのを、隼人が大和守に庇護を願い出て少し前に城中に伴って預かってもらってい

る娘であった。色の白いは、七難隠すといわれるが、小雪の名が示す通り肌が抜けるよう

に白い。小雪は、その容姿におよそそぐわない薙刀の名手でもあった。

 

 

 「隼人、起きなされ。今日より父上から申し付かっている修行が始まります。」6歳に

なった早暁のことであった。

 いつも優しかった母の常とは異なって厳しい声が、まだ明けやらぬ屋敷内に響いた。

 「隼人、母は今日そなたに申しておかなければならないことがあります。生まれてより

このかた、及ぶ限りそなたを慈しんで参った。今とて、懐から出しとうはない。なれど、

母一人の子とするわけには参らぬ星回りに生まれついたのじゃ、としか思いようがありま

せぬ。そなたを身籠ったと思われるときのことです。大きな眩い光に包まれて、何処から

ともなく声が聞こえたのです。

『大きゅう大きゅう育てよ。』

 そして、そなたが生まれた日は、時ならぬ雷鳴が何度となく轟いて、稲妻も次々と闇を

裂いて青い光を落しました。そのときにも声が耳に響いたのです。

『この世にあるもの全ての元は、唯一つのものからなることを体得せしめよ。一代でなら

ずば代を繋いでなさしめよ。』

 

 母は、言葉を覚えているのみで、何をどのようにすればよいのか判りませぬ。ただ、そ

れをそなたに伝え、そなたを信じて見守るしか為す術はありませぬが、きっとそなたには

何か使命があってのことでしょう。そのようにするのには、如何なる事にも負けぬ強さが

あってこそのこと。生半可なことでは済まぬ心身の鍛錬が、それも並外れて必要となるこ

とは母の想像には余ります。幼きそなたに負わすには偲びないことですが、天命と思い決

めて下さるよう頼み参らせまする。

 そなたは武士の子ですから、殺生の場に立たねばならぬことがあるやも知れませぬが、

つとめて、慈愛の心なしに動くようなことは決してありませぬよう覚悟して修行に励みな

されませ。」

 想いが溢れるように、息と言葉を継いだ。

「そなたは母の子であって母一人の子ではないのかも知れません。天に委ねることにな

りますが、それでもなお、この胸に抱いて愛しく育てたことを終生忘れることはできませ

ぬ。戻りたくなったら戻って参られても、決して叱りは致しませぬ。」

負わせるに忍びないこととの、尽きせぬ思いのたけであった。

 「きっと立ち戻ることは無いかと存じますが、いついかなるときでも、母上の子でござ

います。」六歳の子にして、これであった。

 

 日課としての鍛錬が始まった。

 膝丈ほどの高さの柵を助走なしに飛び越えるのを30回。背丈ほどの高さから、藁屑を

撒いた地面に飛び降りること30回。木刀の素振り100回。前後左右斜めへの摺り足で

の素早い移動100回。糸に吊るした小さな錘を揺らして、その揺り返しを瞬きなしに見

つめること100回。

 長ずるに従って増えたのは、重さ、高さ、回数、速度であって、来る日も来る日もひた

すら繰り返された。山林の中を木々の幹に触れることなく、体を捩じることなく、足で蹴

ることもせず、身を翻してジグザグに数丁駈け抜けるのも日課となった。

 母は、いつも物陰から、幼いわが子を抱きしめてやりたい思いに耐えて見つめ続けた。

 肉体の鍛錬が終わると、素読と端座しての瞑想であった。知識は、昔に空海が授かった

といわれる虚空蔵の知恵に似て、何処からともなく流れ込んでくるようであった。

 というより瞑想によって意識の深いところに沈むということは、無尽蔵に汲み取ること

のできる知識の海とも言える別世界に通じることであって、そこは汲みつくせぬ程の知恵

の宝庫であった。物質的な知識もさることながら、加えて霊性の向上が常に求められた。

 深山幽谷、霊場と尊ばれる地に身を置くと、天の気ともいうべき波動が身内に流れ込ん

できて蓄えられる。人は、天にも魔にもいとも簡単に意識をむけて同調できる。

 いずこに意識を向けるかが、霊性のためには重要な意味を持つ。蓄えられ高まった善な

る波動は、自ずと周りを救う。

 天の龍脈に沿って歩き、時に場所を得て坐を組むことも多かった。

 瞑想が深まると、ときに我が身を別のところから見ている自分があった。霊とか魂とか

のほか、肉体ばかりではなく何層もの自分があるように覚える隼人であった。

隼人の進歩は、すべてに神速と言えるものであった。

 

 座光寺庄兵衛について体系だった武術と学問を学び始めたのもその頃からであるが、天

凛とは隼人のためにある言葉といえるものをその幼い頃から垣間見せたのは、生まれる前

からの蓄積があってこそのことと解するより他ない秘められた能力といえた。

 十五歳を越すころには、竹刀を持って取り囲んだ十人が一斉に打ち込んで一太刀たりと

も隼人に触れることが叶わなかったし、自らが編み出し「雁行」と名づけた抜きつけの技

は、左腰から発する刃が右から走る軌跡となって、影ですら誰も捉えることができなかっ

た。仏師が仏像を彫りあげるに、外から木材を刻んでその姿を顕すのではなく、中にある

ものが自ずから現出するのだと言うのと同じく、全ては隼人の内にそもそも在るものが磨

き出されてくるようなものと言えた。

 この頃からの技前は、速さそのものを必要としなくなっていた。見えていても相手がど

うしても防ぎきれず、逆に攻撃されるときには隼人にとって極めて緩慢な動きとして、ま

るで止まっているように感じられるようになっていた。

 

 飯田の城下も、近頃は月夜といえど闇が深くなった。何がどうということではなくも、

日が落ちれば今までになく暗く、人通りは殆ど絶えた。

 

 異様である。おりしもその月影を縫って、大小を落とし差しにした武士が歩を運んでい

るのだが、歩くというよりはゆらゆらする影が滑るように次の位置に移っているかのよう

なのである。目にしている筈の誰もが、その姿に気づいている様子がない。結界のなかに

あるに等しかった。

 

 京への抜け道で、数多の旅人があるとはいへ、他国者に目敏い里人の目に留まらないで

通り過ぎるというには難しい土地柄である。余程の修練を積んだ者であろうことは、その

足運びに覗えた。

 近頃、ぶらりと市中見回りに出かける隼人の姿であった。何事かをなさんとするときは

なにはともあれ動いてみるというのが隼人の流儀。なさねばならぬことは、そんな動きに

つれて意識に浮かんでくるのであった。

 

「待たれよ。その方、何処より来て何処に参る?」紋服袴の武士が突然月明かりの中に踏

み出て、旅拵えの男に声をかけた。

 月に浮かんだ武士は、御前試合で冴えた剣技を見せた井伊左門であった。家重代の脇差、

安倍弥次郎泰経を手挟んだ腰の据わりは見事であった。

 「この時刻に何用あって軒下に潜む?」

 「いえ何ね。そこの飲み屋で一杯やったあとの酔い覚ましでさあね。月も綺麗なことで

すしね。」道中差を腰にした旅人風であるが、風体・言葉からして土地の者ではない。

 城下の居酒屋で、見慣れぬ者数人が、酔って女中に狼藉を働いているとの知らせを受け

て、支配違いながら、異変前の陽動もあるかと、根が人の世話好きなこともあって出向く

途中の井伊が見咎めたのであった。

 「相尋ねるが、これよりいずれの旅籠泊まりじゃ。」油断無く間合いが詰まる。

 「これから夜旅をかけて諏訪まででさあ。」後ろ跳びに間合いを広げると素早く踵を返

して、脱兎の如く走り去ろうとしたが、その目の前に着流しの武士が立ち塞がった。

 影とは光のこと。月影に浮かんだのは隼人であった。抜く手も見せず鞘走った旅人の脇

差が切ったのは空であり、脇差の峰にはふわりと隼人が乗っていた。その空間からの隼人

の太刀が切り裂いたのは旅人の懐、手傷ひとつ負わせていなかった。零れ落ちる物を拾い

も合えず走り去った後に残ったのは、城下の縄張りを書き写した絵図であった。

 

 

 国内諸藩が尊王か佐幕か、攘夷か開国かで沸騰している中、光圀の昔から尊王を唱える

水戸藩は、攘夷までもが藩論の中心となっていたが、藤田東湖や藩主斉昭が相次いで死去

した後は、佐幕派が主導権を握っていた。

 尊王攘夷派天狗党の藤田小四郎は、筑波山で挙兵、武田耕雲斎とは那珂湊で結集して、

脱藩者と浪人連合軍の形となった。

 幕府軍は、これを一応打ち破って面目を保ったとはいえ壊滅することはできず、逃散し

た彼らを暴徒として追討するよう諸藩に命じたのである。

 飯田藩でも郡代官名で回文を出した。

 

 常州筑波山に集まり暴行致し候浪士共、追討候人数御差し向け相成り候処、浪徒共散走

致し候由に相聞き候。去り乍ら、兼ねて相触れ候趣も之有り逃げ延び難き儀に候得共、自

然姿を替え落ち行き候者之有る可く候間、聊かにても怪しき体に見掛け候はば、容赦なく

召し捕り申し候。尤も手向かい等致し候はば切捨て候様致す可く候万一右党類共隠し置き

候者之有り、外より相顕れるに於いては、当人は勿論の所役人共迄、厳科に処せらる可く

候条、その段きっと申し渡し置き候。

 右の通り、公儀より御触れの趣相達し候間、小前末々迄洩らさず申し聞かせ、尤も格席

の者へも申し通す可く候  以上。

      九月二十九日出

              中山安太郎

 

 信州の山々は、常にも増してモミジで赤々と燃えんばかりに染め上がった。モミジの下

には鬼が現れると古来よりいう。美しさの中に潜むものは見定めがたい。

 

松本藩に、幕府よりの天狗党勢追討令が届いたのは、天狗党勢がここを越えれば信州領で

ある内山峠に至らんとする十一月十五日であった。

 武田耕雲斎・藤田小四郎ら天狗党勢は、京に上り将軍徳川慶喜に決起の趣旨を訴えんものと、

中仙道を罷り通り、二十日には和田峠下の戸沢口で、諏訪高島藩と松本藩の連合軍二〇〇〇

と戦ってこれを破り、勢いに乗じ翌二十一日、尊王攘夷派浪士八百余人は、木曽路を選ばず

武装をより強固にして伊那街道を破竹の勢いで進軍中であった。追討の幕府軍は、二日分程

距離をおいて及び腰で追随するも、一向に距離を詰め戦いを挑む体勢をとらなかった。

 血刀を引っさげ、砲煙に煤けて黒い顔を連ねて進む隊列を見た街道筋の年寄りは、後に

「おっかなかったよう。」と、子供達に語り継いだ。

 高遠藩も、これは敵わじと見て、平出宿あたりに敷いていた陣を払い、軍勢を引いた。

 刻々伝わってくる進軍の状況に応じ、飯田藩は、これを迎え撃って座光寺の大門原で戦

うべく、その前哨線として牛牧と座光寺の境である弓矢沢に土塁を築き、そこに大筒を十

数門並べたのである。

 

 天狗党は、本隊の先に探索、斥候を放っている。物見のための遠眼鏡を覗き大筒を確認

するや嘲笑い、隊に帰って報告した。

「虚仮脅しにござる。大筒に見せかけて並べたるは、竹の箍を巻いた花火筒でござれば、

押し破って通るに聊かの不都合もないかと存ずる。」

「左様か。ならば明日にでも罷り通るべし。」

「いやいや待たれよ。その花火筒、侮っては危うい。この五月、飯田藩の御前試合を探索

した折、佐門なるものが披露した花火の威力たるや凄まじく、十門も並んでいては当方に

甚大な被害が及びかねなく存じます。ここは調略あって然るべしと存ずる。」

 これにより、幸いにも花火筒は使われることなく済んだ。この後これらの筒は、飯田近

在の神社床下に長きにわたって放置されることになるが、後の里人は、これが何であるか

分からず、絶えてこれに目を向けることもなくなったのである。

 

 飯田近在、伊那あたりには、北原稲雄・今村豊三郎兄弟をはじめとする平田派門人が多

かった。同じ志を掲げる水戸浪士達が無事飯田を通過して京に上ることができることを願

って、飯田藩と天狗党勢の間を斡旋することに心を砕いていた。

 戦火を交えるということになれば、飯田城下を焼き払ってということになるのが目にみ

えている。民百姓の嘆きもさることながら、双方にあたら討ち死にする者が多数でること

も忍びない。

 天狗党は、武装して街道を罷り通っているとはいえ、街道の人たちに極力迷惑をかけな

いようにしていた。飯を食ったらちゃんと金を払っていく。

 おおっぴらにはできないが、肩入れしたいと思っている里人がおおかった。

 北原は、我が身の平安を捨てることになろうとも、この里の将来と村人の命の優先を真

剣に願ったのである。

「ここは若様に相談するよりない。」と思い決め、人目を避けて深夜に隼人の屋敷を訪ね

たのである。

 「若様、この鄙の里に絶えて久しい戦が起ろうとしております。志が違えば、なかなか

に説得は難しいことでございますから、双方が折り合える道があればよいと思うのです

が・・・」

 「時代が変わるときというのは、得てして無用に血が流れやすいもの。しかし、役立つ

命は山川草木等しく尊ばねばならぬ。かようなこともあろうかと、親義公にお願いして先

般飯田藩の武辺を広く知らしめたのだが。なかなかに面子という厄介なものがあるから、

上手く持ちかけねば双方が引くに引けまい。考えが無くもないが、命がけになることであ

るし、下出に出て我慢もせずばなるまい。そこもとできるか?天狗党勢に会って談合するに

は、なまじ武士より、そこもとのような村役に越したことはないのだが。」

 思想や宗教に裏打ちされた考えは、説得がきき難いのである。折り合いがつくかは判らぬ。

 「もとより、命を惜しむものではございません。お聞かせ下さい。如何ようにしたらよ

ろしゅうございましょう。」

 「明日にでも、天狗党勢宛に文を書こう。この五月以降の隠密戦で、身共のことは先方

に知れておろう。無理に力押しすれば、双方甚大な被害を覚悟せねばならぬだろうし、穏

やかに取り組めばそのように対処する懐があるとの見極めはしていようから、そなたらが

会っての折衝次第じゃ。幸い、平田派という学門上の接点もあること。志が近い者同士、

無下にはできまい。」

 困難というものは、一つだけでやってくることは少ない。あれもこれも乗り越えねばな

らないことになるが、諦めずに手立てを尽くせば開けてくることが多い。

 

 伊那部あたりからは、街道筋の住民の天狗党勢に対する様子が変わった。

 伊那谷には平田篤胤の国学を学んだ者が多く、数えて二七九人にも及ぶ。北原稲雄が紹

介した門人衆だけでも五十人を越していた。

 尊王攘夷を目的とする天狗党勢に少なからぬ共感を抱いており、彼らへの恐れを越えて

親しみさえ覚えていた。

 

 飯島宿にて止まっていた天狗党勢に面会を申し込んで、北原の意を伝えんとする弟、今

村豊三郎が幹部に会えたのは、この縁からであるといわれる。

 「天狗党勢の勢いが壮んで、戦闘能力が飯田藩に勝っていることは、誰の目にも明白か

と存じます。」この切り出しは、緊張をほぐした。

「されど、戦えばこちら様も無傷というわけには参りますまいし、我等一同、皆様方が恙

無くこの地を抜けて京におのぼり遊ばし、本懐を遂げられますよう祈っております。本音

を申し上げますと、いざ合戦ともなれば、厳しい冬を控え、我ら民百姓も難儀致します。

ご温情をもって間道をご通過下さる策をお取り上げ下されば、我らがご案内仕ります。」

 

 後に、『昔ながらに詠われし、平和の村こそ楽しけれ。』と村歌となって歌われるほど

に、南北朝時代でさえ、天竜川を挟んで争いがなかったのが不思議とされる伊那の谷あい

である。

 飯田藩では、最悪の場合城下を焼き払って篭城するという手段が練られてあり、町家の

者にとってはたまらないことであった。

 一方、京に上がるのが目的の天狗党勢としては、無用な戦いはしたくないのが本音。

 小野斌雄(藤田小四郎)名で、間道があったら是非にも案内を頼むとの打診がされてい

たのである。

 飯田藩としては、幕府への慮りもあり、迂闊にこれを可とするわけにはいかなかった。

 藩の預かり知らぬところで動いてくれるのであれば、渡りに舟といえた。

 どちらにとっても、面目の立つ斡旋案として、双方の間隙を満たすに頃合の手立てを隼

人が絵に描いたといえる。

 最悪でも、重臣一人の腹で済ますことができれば、との飯田藩の思惑も、言外にあるら

しくみてとれることも、気持ちを動かした。

 君君たらずといえども臣もって臣たらずんば得ず、などという大時代な心情ではなく、

武士は死に場所を探しているものであるとの信念を持つ者がまだ残っていて、腹一つで

治められるならそうするという表れであることと、忖度できた。

 物見の報告と、薄田隼人からの密書を得た耕雲斎は、喜んでこれを了承した。

 

 了承を得てからの動きは急である。

 北原兄弟が独断で間道を案内するというわけにはいかぬから、形式上でも藩の内諾を得

ねばならない。

 隼人の知略は、嘆願書として藩にこの案を差し出せば黙認されると読んで、兄弟に教え

た策が採用されるであろうことにあった。命を重んじるにも、建前上の方便が必要であっ

たのである。

 

 二十四日、北原稲雄は天狗党勢の饗導掛として、三州街道を城下直前で右に反れ、飯田

領内をかすめ上黒田山道から野底橋を渡り、桜町の大木戸が閉じられていることもあって

作場道を辿り、今宮に出た。

 今宮は、飯田長姫城から指呼の距離。御前試合が催された場所であるから、飯田藩が知

らなかったでは通らぬことになりかねない場所である。申し開きの抗弁としては苦しきこ

とながら、多くの命をあたらここで散らすのを忍びないとする隼人の進言を入れた以上、

最悪の場合には何人かの「腹」が必要となるかも知れぬ覚悟が、藩にはあった。

 武士にとって、裏取引や卑怯未練な行いほど忌まわしいものはない。義とは道理に従い

決断して猶予せざる心。死すべき時に死に、討つべき時に討つ。その心を放ち、求むるも

のを知ろうとしないのは、狭きに過ぎよう、との言を入れるには、勇を鼓さねばならぬこ

とであった。

ここ今宮で昼食を摂ると、上飯田村羽場、桜瀬で松川を渡って大瀬木までを案内した。

 ここから駒場までは一本道である。

 別れを告げるに際し、稲雄は隼人から言われていたことを挨拶の言葉の合間に小声で耕

雲斎に告げた。「奥方さまと二人のお子様をここでお帰し遊ばしては如何。わが村には、

奇しくも耕雲斎様と同じ名の耕雲寺という古刹もございますし、武田の末孫といわれる家

も多うございます。何かのご縁なのかもしれません。神隠しにあったように繕って、人知

れずお匿い申し上げることができるかと思いますが。」

 この先の北陸への道は、雪空の下の暗く険しい道であり、行く末を暗示しているかのよ

うである。

 隼人には、家族も同座で責めを負わされる彼らの最後の様子が見えていたのである。

しかし、奨めは肯んじられることなく、覚悟の同行を続けていったのである。後に敢え

無い最後を遂げることになるとは、彼らには知る由もなかった。

 

難所である雪の峠越えを奇跡的に果たし、敦賀の新保というところに漸くたどり着いた

とき、そこは天狗党にとって絶望の地となった。

諸藩の兵1万数千に囲まれ、しかもその追討軍の指揮を取っていたのが、頼りにしてい

た徳川慶喜その人であったとは・・・

ここで加賀藩に降伏することを余儀なくされたのである。

遇するに、武人に対する礼がとられたとは言い難い。

処分は苛烈であった。死罪352人、島流し137人、水戸藩渡し130人。同行して

いた女子供も例外とはならなかった。

あの、世にも名高い安政の大獄でさえ、死罪は僅か8人であったことを思うと、なにゆ

えここまでのことになったのか。

自分の主張を通さんが為に互いが余りに急で、他を慮る余裕が無くなっていることがな

せる業か。

滅びに向かうときというのは、双方ともこのような道をたどるのかも知れない。

 武士の一分とは、いかなるものなのか。

時代の境目にあっては、それぞれの価値判断によるほかないにしても、肉体の鎧を脱い

だあとの霊魂のことを思えば、生きて精神の磨きをかけることを選ぶべきと思う隼人であ

った。生まれ変わりがあることに思いをいたせば、疎かにできぬことが多いのである。

 

梨子野峠を越えると飯田藩が守る清内路関所がある。番頭斎藤長右衛門以下三十人ほど

が詰めていた。

「お通り召されよ。」

臆して、卑怯未練な振る舞いに出たのではない。

黙って天狗党勢を通したことを咎められ、後に切腹ということになったが、もとより

覚悟の上のことであった。

意地を通してこの関所で合戦におよべば、関所役人は全滅、天狗党勢にも少なからぬ死

人がでることは明らかである。我が身一つの命をもってそれに換えることができるなら、

何条もってこの命惜しまんや。武士道とは、死ぬことと見つけたりという心得は、もとよ

りあったことであり、怖気をふるって黙過したということでは断じてなかった。

 

天狗党勢は、去っていった。虚空蔵山を覆う天狗の気と、天龍の腹中より這い出さんと

する河童の気の間を通過するも、ここで合流して変質し、列島の中央に大過を齎すことが

なかったのは、ひとまず幸いなことであったと言える。

ここが東西に破られたとしたら、迫り来る夷敵が増えようとしているとき、雪崩込む災

いは甚大になったであろう。

 

国の背骨をなすこの地の地軸の鳴動は、相変わらず続いていた。山深くには雷鳴がなり

山崩れが起き、川は堰とまり、容易ならざる異変を見せていた。浄化は、破壊を伴う。

 羨む恨む嫉む、不平不満を抱くなどなど、人の心の歪みや隙間には、いとも簡単に魔

が取り憑く。集まるとそのエネルギーは、想像外の甚大な災厄をもたらすのだが、個々

人がそれに気づいて立ち返ることはめったになく、他人のせいにするのが常である。

この星の生きものの不幸は、他の動植物あるいは鉱物の命を取り入れることなくしては

生き続けられないということである。いかに受け継いだ命を有難くわが身内に輝かせるか

ということに思いを致さずして精神の進化は望めない。道は、限りなく遠いのであった。

 

「いろいろ夫々に存念は多々あろうが、まずは大過なく過ぎてよかった。皆の者大儀で

あった。後のことは後に致し、一息入れるがよいぞ。」

堀大和守が労いの言葉をかけたが、隼人らの心が休まるには程遠かった。

去っていったとはいえ、脱落したものが皆無であったとは言い難い。どんな組織にも、

そのような不届き者は内在する。

困難に立ち向かうとき、強固な意志で肉体や精神を目指すところに向かって維持し続け

ることは、何人もができることではない。

きっかけがあれば、そこに魔がさす。それでなくとも天狗が騒いでいるときである。

道をそれるにも、とりあえず尤もらしい理由はある。もとより大した理由ではないから

すぐに言い分は忘れるし、変節もする。

天狗党における隊規は厳しかった。犯せば即ち死を意味した。さして悪意はなくとも反

してしまった者たちは、逐電するほかなかった。逃げる先とすれば山中しかない。

分け入った山の麓の神社に、天狗の面が奉納されてあった。赤天狗青天狗烏天狗、それ

ぞれがそれを被って面を隠した。最初のうち面は着脱自在であり、面をつけると制約から

逃れられた自由を覚えた。

しかし、生き延びるためとはいえ、それが僅かばかりのこととはいえ、隠れ住むには不

埒な行いもせずばならなかった。悪事は悪事を呼び、段々人としての範を越えていった。

悪事を働くにつれ、面は血肉と同化してしまったように顔面に貼りつき、取り外すことが

叶わなくなっていった。

一旦踏み違えると、それは際限もなく真善美とは逆方向に進み、歯止めがきかなくなる。

顔を向ける先がいずこなのか、そして最初の小さな一歩がどこに向かっているかが先を

分ける。

何人かの脱落者が辿ったのもそのようになった。女がらみになるのが、端緒でもある。

一難が去ったのもつかの間、飯田城下に異変が続いた。

最初は食べ物や家畜が消えた。続いて若い女が神隠しにあったように突然姿を消すので

ある。

とはいえ、常の神隠しと違って、程なく体だけは戻ってくる。ただ、目をそむけんばか

りに変わり果てた見るも無残な姿となってである。腹を割かれたり切り刻まれたりして、

虚しく投げ捨てられているのは、悪鬼の所業といえた。

 異変の前後に、異様な顔をした異様な風体の一団を見たという者がいる、と聞かれるよ

うになった。

夜ともなると、千の矢が射られたように、漆黒の天空をよぎる妖しの光の筋が、隼人ら

五人には見えたのである。

そのことは、妖魔との決着に未だに目途がつかず、おおいなる意識ある知識体の安心は、

まだ得られていないということであった。

縄文の昔から一万年余、培われてきたこの地の和の系統が、蛮夷荻戎によって破られよ

うとしていた。間違えば、一気に世の終わりとなりかねない。猶予を得るための証が少し

なりとも必要であった。他への慮りと、解り合えるための和の心。損得や自我から脱却で

きるかどうかが見られていた。

 

飯田から少し離れるが、平安貴族の憧れの地であった園原近くに、律令の時代に幹線道

路であった東山道最大の難所といわれた神坂峠がある。

ちはやふる 神の御坂に幣まつり 斎(いほ)ふ命は父母のため

と、遠く九州の地に狩り出された防人が通過するときに歌ったという。この神坂峠近くに、

上下が逆に生え、遠くからは有るように見え、近づくと掻き消えてしまうといわれる帚木

(ははきぎ)がある。

この、昼神の地にある帚木が、このところざわめくのだという。異変の範囲が広がってい

る。

昼神の由来は、日本武尊が、この地で口に噛んでいた蒜(ひる)即ちニンニクを投げつ

けて山の神を退治したということから変じた名だという。ニンニクは、西洋でもバンパイ

ア除けに使われるのだとか。

いずれにしろ、人心の乱れをついて顕れる魔は、そもそもこの世の成り立ちはたった一

つのものからなのだということが解り、総ての人が互いに睦みあう和やかさなくして防ぎ

ようがない。

 天の意思は現世を見限り、エネルギーは、元の一つに回帰せんとしているのかも知れぬ

のである。一気の浄化を避けるには、魔という憑物を最小限でも排除せずばすまぬ。

いよいよ急は差し迫ってきているようであった。

 

月明かりと見紛うばかりに、星影が障子を青く染めて部屋うちに射し込み、小雪の肌を

仄白く浮かび上がらせていた。

 両手で顔を覆って恥ずかしさに耐えながら、緊張で固くなった身体を隼人に任せて、と

ぎれとぎれになりそうな息をやっとの思いでつなぎながら小雪が言葉を紡いだ。

「隼人様、私は幼きころから、ときどきに垣間見るお姿や、いつにても我が事の前に周

りを大事にされているご様子を見聞き致しまして、ずっとお慕い申し上げておりました。

我儘は申しませぬが、今宵で今生のお別れになるのでございますか。」隼人の腕の中で、

溶けんばかりの幸福感に浸りながら、小雪がそっと尋ねた。全ての覚悟はできていた。

 襟元から差し込まれた隼人の手が、優しく胸乳をなでる。そっと、そしてゆっくり豊

かで満たされた静かな時が流れる。「愛しく思い、末永く睦みたいと想うは山々なれど、

今宵が最後となるやも知れぬ。相済まぬ。」隼人は優しく小雪を抱き寄せた。

 やがて二人の影は溶け合うように重なり、ひとつのものとなった。

性器の少し上、脊柱と交叉する辺りに座がある。互いの精神性が高まり、親近感が密の

状態では、湧き上がるエネルギーが、全身にかけあがって至福のときを共有するという。

 白むまでには、名残を惜しむ充分な時間があって、飽くことがないかのようであった。

 

「明日、夜が明けたら大島山の滝に参るがよい。そこに我が母が待っていようほどに、

共に滝の後ろに身共が作った結界に入り、両三日は穿たれた岩穴にて過ごされよ。その後

は母と仲よう暮らし、子が生まれたら母と共に育ててくれるよう頼む。委細は、母が承知

いたしているゆえ、身共のときと同じじゃと話すがよい。達者で暮らせ。」

「後のことはおまかせ下さいませ。いかようにでも致して生きてまいります。」

知り合って短いい間柄が、これで永の別れとなるかのごとき言葉のやりとりではあった

が、互いに取り乱すことのない深い縁(えにし)となったものであった。

人の範となるべく生まれついた者は、顔を向ける方向が自ずから定まる。そして行いに

おいても優先するものが何であるかによっては、我が身をばかりを顧みることができない

ことが多々ある。

 

五人の振る舞いが、この後の如何を決めるものとして、偉大なる意思から資質を問われ

ているのかもしれないのであった。

隼人たちの一行は、暗く霞んだ霧のなかのような茫漠たる空間を権現山に向かって何か

に導かれてでもいるかのように進んでいく。行き着く先がなへんにて終りとなるのか、又

そこに何事が待ち構えているのか定かならずといえど、迷うことなく逍遥と、しかし確か

なる足取りで進んでいた。一身に代えてもなさねばならぬ星の下に生まれ、それがわかっ

てこの場に集ったのかもしれなかった。能あるものが果たさねばならぬ責めともいえた。

およそ人は、その立場に立たねば他からは理解されず、何をなしたのか外からは解から

ないまま埋もれてしまうことが多い。そういうときの他というのは、極めて表層的な事柄

を捉え、無責任な評価をまるで自らは万能の神になったかの如くに口にするが、責めを負

う立場にあると自覚した者は、いたずらに抗弁することがない。

 

一行と別れた河尻は、その何者かに導かれるままに、高丘の森に向かって進んだ。

誘われて近づいた、丑三つ刻の高丘古墳の石室は、不気味である。

空には三日月がかかり、肩にした槍の穂先と重なって鎌槍のように青白く光っている。

 その場で河尻が目にしたのは、怪しく光を放って開こうとしている穴であった。

 隼人との別れ際、「くれぐれも命に関わるようなことは避けて下され。貴殿には、看取

らねばならぬ病身の母上も居ることゆえ。」と言われてはいたが、開かんとする異界の穴

を急いで塞がねば、広がった穴がいかなる惨事を噴出すか計り知れないと思われた。

猶予はなかった。河尻又兵衛は、我が身をもってその穴を塞ぐほかに手立てがないと覚

悟したのである。守らねばならぬものが沢山あった。

躊躇いもなくその穴に身をこじ入れると、動かぬように我が身を我が槍で繋ぎとめて、

穴を塞ぎ、生きながらその生涯を閉じたのである。

落命の瞬間、まばゆい光を放って、天空に走り去るものがあった。

「母上、先立つことお許しくだされ。来世にては必ず・・・」

同時刻、河尻の自己犠牲の覚悟の程を多とし、臥せっていた母のところにも金色の雲が

舞い降り、その体は敬意をもって包み込みまれ、その霊は天界に移されたのである。

 

井伊左門は、権現山に足を踏み入れるやいなや、雄叫びをあげおどろおどろしい面体を

した者に三方から襲われた。面が外れなくなってしまった者たちである。

抜き合わせると、水も堪らず瞬きの間もおかず三方に切って落とした。

倒れ伏す三人の面はその瞬間に割れ落ち、顕れた顔には、自らでは外せなくなってしま

った軛からようやく解放された深い安堵と感謝の面持ちが覗えた。

 その後は、乱戦となった。3人が山に逃れてより悪事を重ねた短時日の間に、図らずも

魔界から呼び出してしまった有象無象は夥しい数にのぼっていた。斬っても斬っても際限

がなかった。

 

福島与五郎は、妻より先には死なぬと常々口癖にしていたが、五人張りとも言われる重

藤の強弓に大鏑矢を番え、群雲の中に向け満月のように引き絞った弦を鳴らして矢を高々

と射放った。そこに何者かが潜んでいることに、疑いは挟まなかった。

 名をば雲井にあぐるかななどという意識は微塵もない。

この春の御前試合がなければ、この十年余、弓に触ることとてなかったから、名人と呼

ばれたのも遠い昔のこと。

武は極めるにつれ、その武器には拠らず内面にできあがってくる、使わずにすむ手だて

のことに変わっていっていたからである。

何事によらず、楽しいことになるような生き方が好きで、争わずに済ませられることが、

武の鍛錬の励みであった福島である。

矢羽に香を焚き染めた破魔の矢は、虚空を切り裂いてどこまでもどこまでも駆け上がっ

て、見えなくなった。源頼光の鵺退治なれば、ここで手応えがあろうものを、どのような

ものが射返されてくるのかわからなかったが、そうするしかなかった。

地面に並べられた矢筒から次々に抜き取られ放たれる矢は気を込められて、まるで一本

の糸で繋がれたように同じ軌跡を描いて見えぬ相手に向かって射込められていった。

ほどなく、放った矢は悉く戻って、福島の身体を針鼠のごとき様に変えたように見てと

れた。

しかしよく見ると、福島の身体から毫と離れぬ場所に隙間なくびっしりと突き立ってい

たのである。

福島がその修行時代に求めたのは、狙いを寸毫もはずさぬということであった。

「そうじゃ、力にてでは収まらぬ。なれど其の方が愛しく思い守らんとした気概は受け

取った。」降り注ぐ矢音に交じり、その声は茫然として薄れ行く意識の耳にに届いた。

「慈愛深きことも同様にぶれてはならぬと、世に知らしめよ。」生きて果すべき使命が

残ったといえた。

 

隼人は、山中に一人凝然と立っていた。

「その方らが今戦っている魔は、その方らが作ったものじゃ。一つ一つは薄く小さくと

も、集まれば手に負えぬ。このまま気づかずに居るなら、見限らねばならぬ。自らが作っ

たもので滅びるが良いという警告じゃ。」

隼人の佇む横の山肌が、雷鳴と共に次々崩れ落ちた。

「もとより、その方の咎ではない。わが身には預かり知らぬことと目を背けるならそれ

もよし。そうするのであればこの世を長くはもたさぬ。」

意識をつないで真意を汲み取り、仁愛の心がまだ世にあることを伝えるよりない。

神の美しい宮代は、誰もの身の内に備わっている。同じように魔の巣窟もそうである。

意識の向け方の僅かな違いが、結果を大きく変えてしまう。

深く深く瞑想して次元の壁を越えようとするる隼人の身体が溶けて、微細な霧が立ち

上り、広く限りなく地を覆っていくのにつれ、隼人の姿はかき消され見えなくなった。

 こうして彼らの行いは、歴史に埋もれ去った。

やがて白まんとする空に、明けの明星が瞬いていた。

 

正義と言うものを為すのは難しい。所を変えれば正が邪に変りうるからである。非理法権天

(ひりほうけんてん)という観念が示すように、非即ち無理は、理即ち道理に劣位し、道理は

法に劣位し、法は権威に劣位し、権威は天道に劣位する。争いがあるとき、理屈も何もないの

では、理由のある主張には敵わない。

しかし双方にその立場による理屈があるのは当然だから、その場合は法に基づいて決めると

いうことになるのだが、その法があったとしても、それを上回る権力の下では、力によって決

まってしまう。

正義と言うものがなされるのに、現世においては正邪善悪ではなく力によってが決められて

しまうということだって往々にしてあり得る。それでは救われないことだってあるから、天(神)

が決める場が必要になる。それであれば、永遠に生き続ける霊魂の世界があって、そこで正し

く判断されることが必要となるということかというと、そうとばかりは言いきれない。

長い生き死にのなかで醸成されていく法というものはある。残留する思念というか遺伝子化に

よって、正義というものは出来上がって行く。

隼人たちは消え去って、静かな世が続くようにも見える。

 

春ともなると、群咲く桜の花のもと、この地の神社の祭りがとりおこなわれる。

下伊那地方の神社の祭りには、獅子を舞う地域が多いが、獅子曳きを伴った獅子も随所

に見受けられる。

座光寺の獅子の行列は、高丘の森の古墳から出発して、麻績神社に納められる。この獅

子は盲目で、しかも大変な暴れものということになっている。

右から左から真後ろからと襲い掛かる獅子を、獅子曳きの稚児、梅王丸、松王丸、桜丸

の三兄弟が手綱で叱り叩きなだめ、獅子がおとなしくなったところで神社の方角を指し示

し、「あの神社に行くのであるぞ。」と諭す。

この獅子と獅子曳きを護るのが、甲冑に身を固めた天狗である。前に赤天狗、後ろに青

天狗が居て、ときに集まった見物人に怪我人が出るほどの手荒い警護をする。

天狗が身を挺して守るのは、獅子と獅子曳きなのであるが、中でも獅子の尻尾に見立て

られる「獅子花」と呼ばれる和紙を紅白に染めて作られた縁起物の牡丹に似た花を取られ

ぬようにすることが要となる。獅子花をとると縁起がよいということになっているから、

隙あらばと、見物人が獅子にむらがる。

これらの仕来り通りの仕種をするのは、数々の、人知れず埋もれてしまった先人のお陰

であるとの意識が、知らず知らずに形を変えて人々の記憶に止まっているからなのかも知

れない。

神様のお使い役ということになっているのだが、この祭りにも天狗がいて重要な役割を

果たすことは興味深い。

 

祭りが行われるのは、入学式の季節でもある。

 

第1部完      

                      (外伝の後、第2部・第3部に続く)

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 麻績神社 春の例大祭 獅子引き勢ぞろい  めくら獅子を引く 松王丸・梅王丸・桜丸  
     
 赤天狗  青天狗  
     
 麻績の里 舞台桜(枝垂れ)  陽射しの中の舞台桜  瑠璃寺の枝垂れ桜
「夏風越の」
外伝 
 
 

隼人外伝

修行がある段階に達した後は、文武に限らず、新たに加えなければならないものがあるという

ことではなく、内なるものを削り出していくというのが相応しく思えるものになった。全ては

内に存在していた。

それに気づくまでに一定の経過は必要だとしても、何回もの生まれ変わりの中で蓄積されたも

のは、膨大であるが確かに存在した。全ては内なる神ともいえる形となって、そこに在った。

初めは、剣の速さを求めた。しかし、そればかりではない。剣先が届かねばならぬし、緩慢に

見えても避けられない刃筋というものもある。相手の間合いの外にいれば、いかなる攻撃であ

って躱しきれるが、躱していれば過ぎ去るというわけではなく、相手を凌駕する能力がなくて

は済まぬ。力というものには、能力というものと腕力というに相応しい暴力的なものがある。

力のない正義というのは、ときに争いを助長する。抑止力として働かないのである。

心の在り方は、更に重要であることに気づくに至る。

人が志を高く掲げ、その達成のために弛まぬ努力と強い意思を保ち続けることは大事なことで

あるが、念に凝り固まるのはよくない。心身は、軽やかで融通無碍であるほうが、人格の形成

のためには良い。

「直心是れ道場」。 直心とは、純一無雑で素直な心のことであり、直心なれば、喧騒の街頭

もまた静寂そのもの道場なのである。

 一人の樵が斧で木を伐ろうと、山深く入ったところ、「さとり」という珍しい動物が姿を現

わした。樵がこれを生け捕りにしようと思うと、さとりは直ちにその心を読み取り、「俺を生

け捕りにしょうというのか?」という。樵が吃驚すると、「俺に心を読まれて、びっくりする

とはお粗末な話だ」とまたもしたり顔でいう。

ますます驚いた樵が、「ええい、小癪な奴。こうなれば斧で一撃のもとに殺してやろう」と考

えた。するとさとりは、「こんどは俺を殺そうというのか。いやー、怖い怖い。」と、更にか

らかうようにいう。

「こりゃー敵わぬ。こんな不気味な奴を相手にしておったんでは、めしの食いあげだ。こんな

ものにかかわらないで、本来の仕事を続けよう」と、樵は考えた。

するとさとりは、「とうとう俺のことをあきらめたのか。かわいそうに!」と嘲笑った。

樵はこの不気味な「さとり」を諦らめて、再び木を伐ることに没頭した。

本来の仕事を続けていると、額からは玉のような汗が流れ始め、それにつれて雑念はなくなり

全く無心になった。

すると、偶然、全く偶然に、斧の頭が柄から抜けて飛び、さとりにあたった。おかげでさとり

を生け捕りにすることができたという。 

 樵の心を読み取り、樵をからかったサトリも、無心状態になった心までは読み取ることがで

きなかった。

大乗仏教の経典である維摩経に出てくる説話である。

仏教も儒教も学問ではあったが、識字力を武士に限らず町民村民に高めたことに意義がある。

人は、言語を介して論理的思考を組み上げる。文字は、言葉にできないことまでも、書かれる

ことで、その紙背に言外の意味を伝えることができる。

自然界の万物に、八百万の神を感じ取り、畏まり受け入れ感謝する能力を培ってきた広い心が

我がことのみを願うのではない優しさを、時代が変えつつある。

勤王だ佐幕だの主張も、偏れば主義主張ばかりを通そうとして、争いばかりになりかねない。

活人剣、活人論でなくてはならぬ。隼人は、そう思うのであった。

今こそ、フォースではなくてパワーが必要とされる時なのだと、天からの警告と思しき地鳴り

を聞くたびに、心するのであった。

 

 寺というのは、情報源でもあった。他国の旅人が寺に泊まることが多く、宿泊時の四方山話

が、閉ざされた地方には得難い話を持ち込むのであった。

大名家ばかりでなく、旗本などの書領地が入り組む三州街道沿いには、古刹も多い。

天台宗 大嶋山 瑠璃寺。開基900年の歴史に生きるこの寺も、その一つである。 薬師瑠璃光

如来三尊佛を本尊とし、日本で唯一の 薬師猫神様も祀られている。

 その寺近くの街道脇に、旅姿にきりりと身を固めた若い娘と供の小物がいて、周りを数人の

男に取り囲まれていた。

「懐の書付を出せ。」と迫るのに対し「ご無体な!書付とは何のことでございましょう。私に

は与り知らぬこと。見当違いにござりましょう!」

「いいや、そなただ。見間違いはない。早く出せ。」

小雪は、先代殿様の寵愛をうけていた叔母のもとに江戸屋敷奉公をしていたが、叔母がみまか

ったのを機に、故郷の黒田に帰る道すがら、嗜んでいる和歌を思い浮かぶまま書き留めていた。

先ほども、道路脇の地蔵堂で一休みした際、懐紙に矢立の筆を走らせていたが、そういえば後

から来た数人が堂の外でなにやらひそひそ話をしていた。堂内にいた小雪たちに気づくと、そ

そくさと立ち去った者たちらしい。

「ええい面倒だ。どのみち話を聞かれたのなら生かしておくわけにいかぬ。切り捨てよ!」

己たちの言い分のみを通そうとする乱暴狼藉に及ぼうとしていたのである。

「待たれよ!白昼も憚らず、婦女子を相手に如何なる所存か?」たまたま通りかかった隼人が

瞬きの間も与えず、囲みの中にすっと割って入ると、背中に小雪主従を庇い「早くここを離れ

るがよい。」と、小声で促した。

「無用の邪魔立てをするな。その方に関わりないことぞ。」と喚きたてるのに向かって、「最

前より見るに、おぬし等の勘違いのようじゃ。こちらの主従に思い当たる節がなさそうなのは

明白じゃ。刀を引いて、早々に立ち去れ!」

オッ取り囲んだ面々は、問答無用とばかりに、呼吸を合わせ、四方から隼人めがけて切りかか

った。白刃が交差するなか、隼人の躰はひらりひらりと舞うように動き、ときに白刃の背に次々

乗って廻っているかに見えた。「天狗舞い」隼人は息一つ乱れていなかったが、切りかかった

者たちはすでに息も絶え絶え、へとへとになっていた。

圧倒的技量差に男たちは戦意を失い、ほうほうの体で這うようにして姿を消した。

「危ういところを忝のうございました。」衣文を正し腰をかがめて挨拶する小雪に、「いやな

に、双方に怪我もなくよかった。」汗一つないさわやかな顔であった。

「某は、飯田城下まで戻るところであるが、そなたらはいずれまで参られる?途中までお送り

もうそう。」黒田まで行くという小雪主従を、念のため警護しようというのであった。

 

黒田にある生家に帰るという小雪にしてみれば、心強いことであった。

黒田といえば、本編にあるように、狒狒退治で有名な姫宮神社があるところ。「姫宮」という

なれば、隣接の八王子神社に対するものとなる。さすれば姫宮様というのは鹿屋野比売命が祀

られていることになろうか。

野底山に相応しい、山の神、野の神、草の神というわけで、このあたりに風越山に通じる道が

あることや、土器や石器がよく出てくる場所であることからも、古くからの山岳信仰があった

のかも知れない。

さして険しくもないし高い山であるというわけでもない。しかるに狒狒などという異形のもの

が居たということであれば、異界の裂け目があるのかも知れない。

権現山の鳴動は続いているのである。

かかるときに現れた小雪も、また時を繋ぐ役割を担わされているのであろうか。和歌を嗜むと

いうのも、古の道に繋がっているようにも思える。

個人は、少なくとも言語をつかうにおいて、決して他者から切り離しては考えられない。

 

それを介する以上、他者とのかかわりが予定されており、好まないと言ったところで社会

 

性がついてまわることになる。しかもこれを文字にすることで、人を喜ばせることもある

 

が傷つけることも更にある。高度に発達した精神活動を、あやまたずに表現することは至

 

難というより不可能に近い。

 

であるから、ありったけでものを言うとき、可能なかぎり美しいことばで素直に表現す

 

ることで、理解してもらうこともできるし、また逆には、性、善なるものと他を汲み取る

 

こともできる。

 

 日本語の成り立ちのなかに、伝承形式として確立した音声としての日本語が既にあって、

 

そこに文字も備えた中国語がはいってきたと考えられる。取り入れざるを得なかった他文

 

化は、その言語を理解することなしに、仏教であれ律令であれ触れることが適わなかった。

 

しかし神話や万葉に知ることのできる美しい日本語は現にあり、それを失わせることな

 

く内容を読み解こうとすることは、想像するだに苦難の連続であったとするに難くない。

 

模索模索して、ついには訓を使うという二重の読み方を発明することで、双方の文化を統

 

合するを得るに至ったのだと思う。しかも日本語を表す文字は、音のみならず『意味』ま

 

でを兼ね備える。

 

そうしたあらゆる努力をしたに違いない先人を思う時、仇や疎かに言辞を弄してはなら

 

ないと思うのである。

 

言葉は、己をわかってもらいたいがため発せられるとしたら、その土俵にあがるときに

 

必要な普遍的ルールであるというのが私見です。

 

人間は、唯一学習を許された動物であり、よい事を積み上げ伝統として昇華させること

 

ができるのであれば、及ばぬまでも歴史をつなぐ役割を少しなりとも担わなくては、とも

 

思うのである。

 

中国の周辺諸国に、言葉遊びができるほどに文字を発達させたところが他にあるとは、

 

寡聞にして知らぬ。

 

 わが国には、平安の昔から掛詞をはじめとするシャレた言葉の文化がある。何事も排除

 

せず受け入れ、畏まって人としての感性を磨き、韻を踏む豊かな言語とによって精神活動

 

が高められてのことである。

 

 

 門前まで何事もなく小雪をおくり届け、丁寧に礼を述べ「茶など一服点てますほどに。」

 

と招きいれられるのを固辞して、隼人は踵を返した。

 

道々に僅かばかり交わした言葉の中に、小雪の細やかな心映えを見て、心地よかった。

 

この先に縁が深まる予感があった。

 

何日かして、使いに出た家人が、屋敷の周りを窺う不審な者の姿を目にした。武家屋敷で

 

あるから濫りに討ち入る愚は犯すまいにしても、隼人が去り際に言い残した言葉「先ほど

 

の者たちがつけてきているかも知れ申さぬ。気配りはして参ったが、彼らをまくほどにし

 

て来たわけではござらぬゆえ、しばらくは用心めされよ。もし不穏な気配があるようなれ

 

ば遠慮は無用、お知らせくだされよ。」に頼ることにした。

 

迷惑な依頼であるとは承知しながら、隼人なれば大きな騒ぎにせずに納めてくれそうに思

 

ったということもあるが、もう一度お会いしたいと思う心の方が思慮に勝った。

 

付け狙われるような悪巧みを耳にしたというわけではないが、聞かれたかも知れぬと疑う

 

側の存念は計り知ることは叶わぬ。見境をなくす可能性はあり得るから、手段を選ばぬ行

 

動に出ることへの備えはするに越した方が良いと思いつつも、隼人に知らせるについては

 

面映ゆさもあった。薙刀をとれば、おめおめ遅れをとるとも思えぬ。僅かばかりの縁に縋

 

って人様に迷惑をかけるより、敵わぬまでも戦って、いざとなれば潔く死ねばよいのだと

 

いう覚悟もあるからであった。

 

隼人が自ら眼前に姿を現したのを見た時、小雪はそれこそこれで死んでも良いと思ったの

 

であった。心の底から嬉しかったのである。

 

人は、我がことのみを思うのでなく、他人への思いやりがなくてはかなわぬ。善き人たち

 

との縁も広げなくてはならぬ。一人ではないのであるとする隼人にしてみれば、当然のこ

 

とであった。

 

隼人が屋敷内に入るのを何処かから窺っていたのか、その後数日たつも際立った変化は起

 

こらなかったのであるが、そろそろ大丈夫かと隼人が思い始めた早朝、白羽の矢が飛来し

 

軒先に深々と突き立ったのであった。

 

白羽の矢が突き立つのは、この地の伝説であるが、この300年絶えてなかったこと。

 

狒狒は、いうなれば異界からの魔物。姫宮神社近くに鎮めの石が据えられていたのである

 

が、何時の間にか少しずれていた。そこからの瘴気が漏れ出して、心ゆがんだ人に憑依し

 

てしまっているかも知れぬ。それは災いを広げる。

 

気づいた時点で、隼人はそこに籠目の結界を張った。籠目とは、かごめかごめ籠の中の鳥

 

は、と童歌に唄われる六芒星。

 

ときを置かずして、城下の八か所に正八角形の照魔の結界も張り終えてはいるが、用心に

 

越したことはない。

 

「小雪殿、早速なれどお支度めされよ。これより城中にご案内申す。」隼人がこのところ

 

懸念していることに関わりがあることに思えたからであった。

 

こうして、小雪は隼人からの預かり人として、掘大和の守の庇護の下におかれることにな

 

ったのである。権現山の鳴動は、相変わらず続いていた。

 

 

 

 

 

 

井伊左門外伝

 

井伊は、生来自分が表立って何かをすることを好まない。目立たないところで、仮令誰

 

が気づくことがないとしても、人の世話をするのが性にあっているのだと思っている。

 

自分というものを余り出さないから、時に軽く見られることがあるが、彼の縁の下の力

 

持ち的な働きがあって物事が治まっていることを、知る人は知っている。

 

 武士の表芸である剣の腕も、端倪すべかざる技量を備えているが、それを知る者も又、

 

僅かしかいない。それは、道場などで修行したのではないことにもよる。

 

天賦の才があったというしかないが、どこからか湧いてくるものに素直に従っているだけ

 

のことと思っているから、修行に励む人への遠慮もあった。

 

捉われることが少なく伸びやかにしているから、ときどきの自然の美しさにも目が行く。

 

折から山桜が咲いているのを、手折ると枝が裂けて見苦しいからと、小柄を抜いて一枝切

 

落としたのを携え家路をたどる道で隼人とすれ違った。

 

「よいお日柄でござる。ご貴殿が切り取られた枝でござるか。」と隼人が声をかけた。

 

「さようにござるが、何故にての問でござろう。」

 

「余りに切り口が鮮やかに見え申したので、卒爾ながらお尋ね申した。」

 

これが、隼人と井伊が最初に出会った時の会話であった。会うべくして会ったのだと言え

 

よう。井伊も時を繋ぐ者の一人であった。

井伊は、自然の中にいるのが好きであった。鳥が翼を翻して飛ぶのや、猫が獲物を捕らえる身

のこなしを見るともなく見ているうちに、それらの動きが何時の間にやら身に備わった。

そよ風の中に身を浸しているうちに、風の裂け目ともいえるものが見えるようになった。

自然に逆らわず、それに身を任せば、体が自然に動くのだということが体感したことなのであ

った。我意を働かせることよりもずっと、自在でいられることを知ったのであった。

自らの役割を果たさねばならない時が来るとすれば、それは自ずと解ることであり、その時が

至るなれば、その時は力の限り立ち働けばよい。任せていれば良いことだと思っていた。

武士に生れついたからには、いずれ一命を惜しまず尽くさねばならぬ事態が起こり得るとの覚

悟はある。それが何に対してであるのかは、未だ知れなかった。

 

井伊の家の前の庭先は、子供たちの遊び場に解放している。武士も町民も百姓もない。仲良く

遊ぶことを約束事にさせている。それを身分柄を弁えずと眉を顰める向きがないわけではない

が、表立って苦情を言ってくる者がないのも、井伊の人柄であった。

子供たちの揉め事は、井伊が現れるだけで自然に治まる。今日も、立ち返ると、子供たちが周

りに群れてきた。「おじちゃ~ん」というのに「おじちゃんじゃなくてお兄ちゃんじゃ。」と

言いつつ「どうした?」と尋ねた。

「またいつもの意地悪鳥が、小鳥を苛めているんだよ。」子供たちが小石を投げても届かない

位の距離にいるから追い払えない。

「おじちゃん、いつものやつやってよ。」というのに「そうかそうか。」と答えながら、右手

で手刀を作り軽く構えた。鳥に向かって無言の気合いと共に手を振ると、その意地悪鳥はバタ

バタしながら地上に落下した後、慌てて飛び去った。命を取るほどのことをしないのは、いつ

ものことであった。

 人は大自然の中にいて、自分に都合の良いことばかりを大して感謝することなく取り入れる。

自然の猛威というのはいつでもついて回っているのだが、見ないふりをしていて、いざその災

害にあうと不条理なものとして嘆く。

 陰も陽も一体のものだとは考えず、不都合なものは避けて通る。誰もが自分でできるかぎり

のことを担えばよいのだが、それはしない。

 人が避けることを負担するのは、結局それができる人が人知れずそっとしていることになる。

それは、天に対し畏まることができるかどうかによる。井伊とは、そんな男であった。

 井伊は、自分が組織の中に馴染まない性格であることを知っている。自分の信じることを曲

げてまで出世のために折り合いをつけることができない。そんなことをするよりも周りが良く

なることに人知れず動くことの方を選ぶ。凄まじいばかりの剣の腕をもっていることをひけら

かしたりしたことはないから、他人はそれを知らないし、目端の利いた働きをすることがない

こともあって、時に軽んぜられるが、そんなことは一向に意に介さない。酒を飲んで目立たな

いでいる方が、面倒がなくて良いと思っている。

 酒を飲むにも拘りがある。料理やつまみなしで、傍らに水を置いて酒と水を交互に飲む。

酒量が多くなっても酔いつぶれることはない。体に似合わず酒豪なのである。

 隼人とは、家が近いこともあって、幼いときから仲良く遊んだ。本編の御前試合にでたのも、

隼人から是非にと頼まれたからであり、何故にそうするかの理由は理解したけれど、さして気

乗りがしたわけではない。御前に披露したのも、かなりぶっきらぼうなものであった。判る人

がわかれば良いと、隼人がいうことに従ったまでである。

いずれ抜き差しならぬことになるやも知れぬとの思いはあったが、そうなっても不足には思

わないというのが、隼人との信頼関係であった。

 

 

 

河尻又兵衛 

 武家の表芸である刀・弓・馬・槍を総称して「武芸四門」という。

 中でも槍は、薙刀と並んで、突く切る薙ぐ払う叩く等の何れにも適していて、最強の武具と

いえる。対抗しうるのは、小刀・懐剣ということになる。間合いに入られると、具合が悪いが、

その間合いに入ることがなかなかに難しい。 河尻は、その槍を使う巧者であった。

 物ごころが付いたとき、いつの間にか槍に触れて育った。馴染んでいたのだといえよう。

鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて槍が生まれ、それが次第に武将も使うようになり、武

芸としての槍術が発達していった。

武将が使うようになるにつれ、槍自体も使い手の好みによって改良が重ねられて、普通の

一種類から、穂が長い大身槍、穂の根元が分岐している鎌槍十文字槍、柄に可動性の管を

装着して突き出し易くした管槍、柄が短い手突槍など、さまざまな種類が生まれた。

 流派も多岐にわたるが、他流試合というものは無かったようである。

 

 河尻又兵衛は、母方の伯父である尾張藩の家臣であった河尻又三郎が嗜む貫流を垣間見て、

槍を使うことになった。

 貫流は、尾張藩の御留流であるから、表立っての手ほどきを受けることは叶わなかったし、

若くして身罷ったから、貫流が身についたわけではない。

 貫流は、長さ二間の長槍に管を通して用いる。管を通すことを有効に使い、敵の刹那の崩れ

をつき、螺旋を描いて槍を素早く繰り出し繰引くことによる速さに破壊力を生む。

 この流儀は、槍・剣の二芸は「車の両輪・鳥の双翼の如し」「槍法を知らずして刀術を語る

こと勿れ。刀法を知らずして槍術を語ること勿れ」ということになっている。

 河尻は、管槍ではなく長柄大身の素槍を使う。幼少期から膂力衆に秀で、屋敷の庭が広かっ

たから、槍を振り回すのに何の不都合もなかった。

 自分で巻き藁を何本も作り、墨で的を黒く塗って、突く薙ぐ叩く払うを飽きずに繰り返した。

あるとき、蝿が異常に発生した。飛び廻るこれらを目がけ、突く切る払うをして過たず全てを

地面に落とすことができるようになっているのに気付いた。

 そんなときである。隼人が偶々通りかかって生け垣超こしにそれを目にして声をかけた。

「ご修行中に卒爾ながら。凄まじき業前にござる。拙者は薄田隼人と申す者にござるが、是非

とも間近にて見学のお許しを頂きたく存ずる。」

「薄田殿のご高名は、かねてより存じ上げ申す。できますれば当方こそ、ご貴殿の刀法をご教

示賜りたく存ずる。」

 一流を極めた者は、腰の据わり呼吸ひとつで解りあえたということか。双方二十歳前の夏の

ことであった。

 前置き抜きで、真槍と真剣をとって向き合い、呼吸を計って対峙するも両者とも微動だにせ

ず四半刻がすぎた。一合も交わすことなく槍と剣を引き合い、深々と礼をし合うと、「恐れ入

ってござる。」「恐れ入ってござる。」と同時に口に出した。

 打ち合いこそしなかったが、数十合のやりとりがあったということである。

 

 縁先に並んで腰をおろし、緑が濃くなった風越山の上に広がる蒼い空を眺めた。

 そこに又兵衛の母親が茶を点てて運んでくると、そっと静かに置いて言葉を発することなく

退っていった。豪放磊落な息子に対し、何事もわかって物静かでいられる母であった。

 

「虚空蔵山あたりの雲行きが、近頃怪しゅう感じられてなり申さぬ。」隼人が問われもせぬの

にポツリと口をきった。技を極めた者は、超常現象にも敏感である。河尻もまた、肌に感じて

いることであった。

 この伊那谷に入るには、いずれの道を選ぶにしても、鬼の栖といわれる峠を越えねばならぬ

が、その鬼が連れだってくることだってありうる。

 河尻は、何時の事になるか知れぬが、命がけとなるそのときが来た時に心残りとならないよ

う、母親への孝養を尽くしておかねばならぬと、漠然ではあるが心に決めたのである。

 肺腑を衝く。槍の修練が進むにつれ、急所を突くということは、肉体のみのことでなく、言

葉や行いが人を動かすことを知るようになった。誠を尽くすということである。至誠は、天に

通ずるということであれば、心の出し入れが武技に勝るのだと、河尻は信じていた。

 

 

 

福島与五郎

 武家は「弓馬の家」とも呼ばれ、武士は「弓矢持つ身」と称した。戦場にあって武功をあげ

ることを「弓馬の誉」とする如く、弓術と馬術は武士の能力そのものともされた。

 弓は、古くは桑・梓・檀(まゆみ)などを削って作られたが、木の外側に竹を当てることで

強度と性能を増し、弓の幹の割れを防ぐ為に麻糸や藤を巻き漆を塗るなど工夫が凝らされると

共に美的外観も備えるようになった。

 矢も、弓と共に進歩した。矢竹は、矢箆竹(やのちく)を使い、矢羽は鷲・鷹など猛禽類の

羽を使うのを最良とするが、高価であることから、白鳥や鳶も使われた。

 弓矢は、武器というより神器の色合いが濃い。弓矢の威光をもって魔障を払う。鳴弦(めい

げん)は、弓に矢を番えないで弦だけを鳴らして悪魔や妖気を打ち払うことであるし、引目は、

鏑矢を引き放つときの高い音で、同様の効果が得られるとされていた。

 弓の稽古は、作法がことのほか重要視されるのも、そんなあたりにあるのかも知れない。

 元善光寺の矢場にて奉納される金的を射る催しも、的に命中させることのみを争うものでは

ない。全射命中すれば、確かに名誉なことではあったが・・・

 福島は、およそ神仏に恃むということをしない。何時の頃からか、頼んで甲斐があるものと

は思えなくなっていた。外に求めなくとも、内にそもそも備わっているのではないのか?内に

ないものは、気づくこともできねば得ることもできない。あくせく欲をかくから、それを削り

出すことができない。大らかに素直にしていれば、機に応じて顕れるものだと思っている。

生きてあるうちは、自らが楽しくあらねばならない。そう思うにつけ、歯を食いしばって修

行するというようなことをしないで済む工夫をする。合理的なのである。

よりどころを外に求めるのは身勝手に過ぎるとして、己ができることに全てを尽くそうとして

はいるが、それであって尚、己が身内から引き出せるものは、求めれば無尽蔵なのだとも感

じている。それができないとしたら、まだ理解できない力の働きがあるということであるとし

て、それが現れるのを待つのみだと思っているのである。

 理解できないものは無いとするのはあたらない。縦横斜め意外に働く力というのは確かにあ

る。それが精神の働きということになれば、尚更のことである。願いを叶えるためのものであ

れば、それは意識だけでは如何とも為しがたいから、気楽でいるのが良いとしている福島であ

る。気乗りのしないことは避ける気があるから、一見自分勝手に見えるが、悪気があるわけで

はない。性格の持つ特性といえる。

 薄い壁を通して、何事をも可能にしてしまう空間があるのであり、そこに繋がる手立てが如

何にしたら得られるのかは詳らかでないにしても、それはあるのであって、不意にそこに至る

ことがあるのだということについての感覚が、隼人と共通する認識であり、解りあえていた。

 福島は、武道といえど興がのるような楽しみを伴うものを好む。弓の他の剣も、曲芸とも思

えるような技もそんなところから自然に身についた。本編にある、縫い針を畳に並べ立て居合

抜きに次々打ち込む技も、遠い的を射ぬく弓矢のための目をもってすれば、苦もないことであ

った。

風の中にあっても瞬きしない目力は、人が見落とす僅かな動きの変化も見逃さないから、ご

まかしが効かない相手であるはずが、一見遊び人にみえるから、他から用心されはしない。

 然して、楽しくなくては生きる甲斐がないとする、武家勤めに似合わない男ではあった。


この後、第二部・第三部へと続きます

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小説「夏風越の」
第二部 
 
 

第2部  

邂逅

 

 数馬が生まれた時、雷鳴が轟き落雷が地を裂き風雨が吹き荒んだ。

 風神は悪を追い払い、雷神は善を勧め水雨を整えるのだという。風雷いずれも自然現象

なるに、天地剖判(ぼうはん=二つに分かれること)以来、元が一つであったものが分か

れて成れるものは、上下・左右・正邪・美醜などなど限りなくある。神の如何なる意識が

あって何故分離したかは解らぬが、分かれればそこに隙間は生じる。

 雷は巨大なエネルギーを地上に降り注ぐが、天にも同じ分量を放出する。それは光の粒

となり、風を起こして宇宙に充満し天地をつなぐ。

 そもそも一なるものは、分かれたことの意味は理解できずとも、分かれた部分に働きが

それぞれにあり、それを任されたことであると感じ取ることはできよう。その持ち分に上

下はないのであると知れば、そこに不満は生じまい。分かれたものには中心があり、そこ

がバランスの場所なのであろう。

 

 人だかりがあった。放課後の部活の時間帯である。

 美少女であるとつとに知られた部長が茶を点てているのを、隙間から覗き見ようという

のである。

 当校茶道部では、創部以来猿蔵の泉から汲んできた水を使うことになっていた。

 猿蔵の泉とは、江戸時代の頃、茶道家の不蔵庵龍渓宗匠が茶に適した水を求め、京を発

って諸国を遍歴していたとき、天竜川下流の水のうまさに心をひかれ、その源を探り尋ね

支流を遡ること40キロメートル、風越山のふもと松川渓谷で発見したと言われる泉。

 奇しくも、これまた風越山に因むのである。

 近年一応男女共学校ということになったが、元々は男子の進学校という歴史があること

から、女生徒の割合が極めて少なく、その上美女ということであれば人気はいや増して、

人知れず青春の胸を焦がす若者が多かった。

 日々の学業は、知識を増やすものではあっても、知識の増大がすなわち分別を生むもの

ではない。知るということは、わからないことに対しては極めて無力である。

知りえぬ状況をどのように判断するかは、また別の智恵であるのだが、恋心という目に

は見えないものであっても、認識されればそれは形あるものと変わらず確かに存在するも

のといえるから、対処の方法を探ることになる。そして往々にして間違う。

 而して、超常現象も認識されることにおいては存在を否定できず、変なマジナイに頼る

者も出て不思議がなかった。

 近頃は、自らに内在する神性を意識する人は少なく、一方的我意をコントロールする事

ができず相手や周りに害を及ぼしてしまう者が多い。我意は、即ち害であった。

 数馬には見えるというか解るというかの能力が幼くして備わっていたから、いずれ好む

と好まざるに拘わらず、その働きをしなくてはならない場に立つ予感があった。

 見渡せば、段丘の春はうららに霞んで、暴れ天竜川は水嵩を減らしていたが、権現山が

時を越えてまたぞろ鳴動し始めていた。

 天竜川と権現山の間には高速道路が龍蛇のごとくうねり走り、夜ともなれば赤カガチの

目さながらに光るヘッドライトの流線が行きかい、その吐く息は、むかし手が届くほどの

距離に見えた輝く星々を曇らせていたのである。

 カガチとは酸漿(ホウズキ)の古名、八岐大蛇にもその記述がある。

 変じて蛇のことをカガチといい、蝮の数百倍の毒をもつというアカカガシというのが山

野を這い回っている。不気味である。

 

 雨の境目というのを見た人は少ないだろうが、私は少年のころにそれを見たことがある。

 真夏の昼下がり、乾ききった地面を夕立が叩いた。線を引いたように左側は土煙を上げ

て雨に打たれ、見る間に乾いて赤茶けた土を黒く染めたが、右側は相変わらずの土埃を雨

風が舞いあげさせて草の葉の上に積もらせていた。

 数馬には時として、同じ空間なのに別次元の世界らしきものが平行して動いているのが

見えることがある。1歩踏み越えれば、そちらの世界に入り込めるかと思える程のもので

あった。境目や範を越えて、そちらのものが越境してきても、不思議ではないと思うので

あった。世情の乱れや人心の荒廃は、そんなところにも遠因があるのかも知れない。

 憑かれるということも聞くことがある。古くは狐などの動物霊であったり悪霊と呼ばれる

ものであったり、新たには自分が呼び寄せてしまった超常エネルギーであったりする。良い

結果を生むものであれば望外の幸せということになろうが、自らが引け目に思う行いが良い

結果を齎すエネルギーを呼び寄せることはなさそうである。

 本来は性が善であるはずのものを、自らが貶めるような言動を度重ねていることで、波動

が荒くなってしまった結果であるとすれば、折角魂の磨きの場を今生に得られたというのに悔

やみきれないこととなりかねない。

 自分が意図しないものであるにも拘らず、他人に雷同して引きずられているのであれば、

踏みとどまる勇気をもたない限り、いずれ自分でツケを払うことになるのは、それが因果だと

いうことに思いを致す必要があろう。

 

 思い込みの激しい男が、茶道部の部長である桜町真央に暗い想いを寄せた。いわゆる懸想し

たということである。自己本位そのものともいえる暗い想念を抱いた。

「数くん、私このごろ気味が悪いことが多いのよ。いつも誰かに見られているようだったり、

時々後ろからつけられているような気がしたり、怖い夢もみるの。」

 真央が、幼馴染である数馬に学校帰りの道すがら話しかけた。

「真央ネーは、誰にでも好かれるタイプだから、気をつけないとね。」

「そんなことはないわよ。気が強いし茶道をやっているにしてはお転婆だし、好き嫌いはハッ

キリしてるし。数くんの知ってるとおりよ。」

「それでも、綺麗な女の子は気をつけないと。」

「あら、高校生ともなると数くんでもお世辞をいえるの。今まで私のこと女扱いしなかったく

せに。」

 入学して数日しか経っていなくとも、真央にファンが多いことを知らされていた。素直に接

すればよいものを、内に篭らせて遠巻きにしている者が多いということもである。

 数馬には、感ずるというか見えるというかしてしまうものがある。

 生霊というか、生きている者の凝らしたエネルギーというものが異常に強くなることがある

のがわかってはいても、どう処するかは教えようもないのであった。

 それに較べれば、死霊は対処さえ誤らねば、さしたることなく済ませられるのかもしれない。

そんなことを言うと、宗教家にクレームを付けられるかもしれないが・・・。

 有名な話がある。

 深い恨みを持って仇と付け狙っていた男が逆に捕らえられ、その敵と狙う武士の面前に

高手小手に縄をかけられ引き据えられた。怨みの形相物凄く歯噛みして「死んでもこの怨

み晴らさずにはおかぬ。」と吠えるのに対し、捕らえた方の武士が、「ほう、死んでもな。

そうできるかどうか証を見せてみよ。」と言ったという。

「しからば、首を刎ねられたらそこにある石灯籠に噛み付いてみせよう。」

 首斬り役人が、水もたまらず一刀両断に首を斬りおとすと、胴を離れたその首は空を飛んで

狙い過たずその石灯籠に喰らいついたのだという。

 その場に居合わせた家臣たちは、あまりの凄まじさに顔面蒼白、言葉を失った。

 それから月日が流れたが、一向に障りとなる現象はいつかな起こる気配をみせなかった。

 家臣の一人が恐る恐る「あの怨みに満ちた男の霊は、どうなったのでございましょう。」と尋

ねると、「ああ、あれか。怨みの一念凝り固まって石灯籠に向かってしまってそれで終わりよ。」

 その先はないのだ、と言うのであった。逸らしてしまったということである。

 それとは別に、思い方というのもある。くよくよ悩んでいると、それらの悩みの種を益々引

き寄せてしまう。

 風越山の背面の空を茜色に染めて、夜の帳がおりた。異様に赤い。

 日が暮れると、街中の路地のあちらこちらに赤い灯青い灯が点って、時がたつにつれ足取り

の定かならぬ者たちの数が増し、恐怖がそこに迫っているのを気づきもしないで、あたりはさ

んざめくにまかされて、常と変わりなかった。

 黒曜石のように黒く透き通った大きく不気味な目が、中天からそれらを見ていた。

 黒曜石は、別名矢の根石と呼ばれ、鏃の形に整えられたものが、このあたりでは畑のあちら

こちらから珍しくもなく見つけることができた。信州の和田峠あたりで採れる原石が、太古の

昔いかなる流通経路を辿って、日本国中に広まったものなのだろうか。信州の山深いところか

らであることを思うと、不思議といわざるを得ない。

 鏃が沢山あったほかに、大きな石斧も見つけて持っていたのであるが、明らかに打製石器の

様相を呈していたので、小学生時代先生に見せたところ、「日本は磨製石器の時代からの歴史し

かない。」と、その先生は頑として譲らなかった。

 それから何十年かして、隣村の牛牧から出土した石器が打製石器であるということになって

歴史は塗り変わった。その先生、素直に物事をみることができていたら、歴史に名を残せたか

もしれないのに、残念なことではある。

 その牛牧から山道を登ると、大島山の滝がある。巨大な1枚岩を削って丈余の滝が水しぶき

をあげている。

 数馬はここで瞑想するのが常であったが、ある日何かに急かされて、滝の上から滝つぼに飛

びこんだことがある。まかり間違えば命の危険さえあるところであるにも拘らずであった。

 渦巻く滝つぼの中には、抉られたような空洞があり、いずくかに繋がっているらしき洞穴が

黒々と続いていた。

しかし不思議なことに、光が差し込むことが無いにも拘らず、洞の先が仄明るいのである。

今このときではないが、いずれこの先に進み入るであろう予感があった。

 通じるための道というのは、地中にあるのだろうか?天空に開けるのだろうか?我が身内に

あるのだろうか?わかりそうでわからないもどかしさがあった。

 

 川田勝夫は、同じクラスの真央に思いを寄せていたが、声を交わすこともできず悶々とした

毎日を過ごした。悩みの時間は陰陽を越える丑三つ時になると最悪の決心をするに到った。

 いかなるものごとであれ、この時間帯に考えて出る結論にはろくなことがないことが多い。

 襲って拉致することにしたのである。人目を避けるのは容易なことではないから、準備が必

用であることは意識にあるが、短絡的に見境がなくなってしまっていた。憑かれたのである。

 類は類を呼ぶ。本来は善である者も意識が沈んでよからぬことを考えることが度重なると、

悪い波動は悪い波動を持ったものが同期しやすくなり、自分が思いもしなかった大事に至るこ

とが多い。因がなければ縁に触れることもないし果もないということになる。

 道は、踏み外した最初が小さなものであっても、自ら踏みとどまることができねば、際限も

なく深みに嵌る。他人ではなく自分のことなのである。

 川田勝夫は、普段の気弱さからは考えられない行動に走ることになった。町外れの神社の暗

がりに潜み、日が落ちて暗くなった道を大抵は一人で帰る真央を襲うことにしたのである。

 神社というのは、午後の2時くらいまでの明るいうちに詣でるのはよいが、遅い時刻になる

と参拝者の落としてゆく澱みが払われきれずに残存していることが多い。善男善女ばかりが参

拝するとは限らないから、得てして悪想念からの黒い欲望を吐き散らして憚らない者だって参

拝者の中には多くいるから、それらが滞る。それらの中に入れば染まることだってあり得る。

 悪念は凝り固まれば、たとえその望みを果たしても、我が身を滅ぼす。空気が清々しいうち

に参拝すべきなのである。

 部活を終え部室の片付けが済むと、部員達は口々に部長である真央に丁寧に挨拶してそれぞ

れ退出した。戸締りをして外に出たときには中天に朧月がかかって、あたりをやわらかく包ん

でいた。真央の帰路は、街中を抜けると両脇に果樹園が続く三州街道を4キロメートルほど歩

くことになる。日が暮れると、果樹園の手入れに朝から忙しい付近の住人は、明日の為に眠り

につくから人通りは絶える。

 しかし、和やかな伊那谷のこのあたりの治安は、女子供が仮令ひとりで歩いても、何の不安

も覚えぬほど安定していた。遠く山間から、ときに狐の鳴き声が聞こえるのが寂しいといえば

寂しいと言えるくらいのものである。

 狐火というのがある。遠く高くに聳える尖った山並みの上を、点々と仄の白い灯りが渡って

ゆく。古人は、これを狐火と呼んで人魂と同じく恐れた。なんらかのエネルギーの移動あるい

は攪拌があるのではなかろうか。

 真央は、幼少時代の数馬の修行に幼馴染ということもあって遊びのように付き合ったから、

本人が気づかぬまま、その身体能力は尋常一様なものではなかった。

 部活を一所懸命にやった充足感からか、真央は機嫌がよかった。歌を口ずさみながら街はず

れの神社の鳥居近くにある道祖神を刻んだ石像前を通り過ぎようとした。そのとき、背後から

襲われた。黒い布で面を包んだ男に、口を押さえられて後ろに引き倒されようとしたのである。

 そこからの真央の反応は早かった。右足踵で相手の右足甲を強く踏みつけ、痛さに怯んだ処

に向き返ると、右手の裏拳が眉間に間髪を入れず打ち込まれていた。ギャッっと声をあげて男

は後ずさり、そのまま一目散に逃げ去った。

 真央は息も乱さず、何事もなかったように家路に再びついた。豪胆である。嫋やかに見える

外見からは、誰も想像できないことであった。

 翌朝、勝夫は病気を理由に学校を休んだ。その実は、打たれた顔面の腫れが引かなかったか

らである。休んだついでに次の手立てを考えることにした。親の金を使えば、自分でやるより

容易にできる。エスカレートするのが、悪事の常である。

 子供時代から、悪戯の泥をかぶせ自分が何食わぬ顔で通してくることができたのは、手駒で

あると川田が自分勝手に思い込んでいる男がいたからである。自分の力ではなく、親の威を借

る勘違い者は、どこにでもいる。

現在は、暴力事件がらみの関係者であると決め付けられて停学中であるから、目立たなくて

好都合な松田芳樹を呼び出した。

 計画は乱暴である。拉致して自家の古くなって使わなくなった山小屋に監禁しようというの

である。その後に起こるであろう事態への収拾策もなにもあったものではなく、頭に血がのぼ

って破滅への道をまっしぐら。何かに憑かれた恐ろしさというほかない。山のむこうから、い

ったい何が来たのやら・・・。

 松田芳樹は、親がかりのいきがかりもあって、川田勝夫に無理やりその役回りを押し付けら

れることがあったりはしたが、もとより気は進まなかったことの方が多い。乱暴であるとして

咎められることは多かったが、その乱暴には常に言い分があった。人として越えてはならぬも

のを侵してまでのことをするということは、今までなかったのである。

今回の川田の申し出には落としどころを考えねばならなかった。更には、破綻を招く前に、

川田の立ち直りのキッカケをも図るには、どうすればよいかと思うにつけ、今までの彼の性格

の歪みを知っているだけに、暗澹たる思いにかられるのであった。

 松田は、一見ワルのイメージで通っているが、自分のことだけに捉われてものごとを為す質

ではない。そういう意味で、数馬とも今までに接点がある。入学式の後の部員勧誘のおり、天

空から鳶を切り落とした男である。その後、真央が数馬にとって身内に等しいということも知

るに至っている。

 どうにか、表沙汰やおおごとにならないように収めねばならぬ。それも頭に血がのぼったま

までいる川田にそれと知られずにということである。

「内々に話してみるしかないか。」ということに思いは行き着く。かといって、川田の恥をさら

けることになるのは、相談ともならぬ相談を持ちかけられている手前、いささか気がとがめな

くもない。されど、人としては踏みとどまるべき行いを助長するわけにもいかぬ。気が弱いだ

けで、根からの悪党であるとは思えない川田を、大きく間違わせるわけにはいかぬし、片棒を

担ぐというのは真っ平だというのも、正義漢ぶるわけではないが本音。不思議な記憶力を持つ

川田を、憎からずとも思い、どこか遠い記憶が、思い出せないずっと昔からのかかわりがあっ

たように思えてならないのであった。

 どうやって川田の意を翻させるか。というのも、気の弱さが激情に走る気のある川田である

ことを知っているだけに、放り出して思いつめれば何をするかわからない恐れもあって、自分

が彼を抑えないとならぬと思うのであった。

 夜ともなると、山裾に鬼火がもえるのが見られるようになっていた。鬼火と書いてホウズキ

とも読む。ホウズキの古名は、カガチ。カガチはすなわち蛇。

 血、地、乳、智、オロチなど、「ち」のつくものは、何か神霊世界に通じるものが多いように

思える。

 川田の目は、近頃ホウズキのように赤く光るようになってきている。

 

 河尻 明は、先祖が槍の名手であったと聞いてはいる。時々同じ夢を繰り返して見る。同じ

状況に至れば、自分もそうするであろうといつも思う。我とわが身をもって異界への入り口を

塞ぐと、どこからともない声を聞く。「それで良い。全ては、別のものではなくて一つのもの。

分かれて見えるのは、人の五感が、そうしているのに過ぎぬ。意識を解き放ってこの先へ進む

がよい。」

 高丘の古墳の石室が開くと続いていると言い伝えられていた道が、ほの明るく先へと誘って

いる。権現山に至ると言われていた道は、踏み出してみると銀河が輝く星々の中の如くである。

道というより空間といえ、意識が限りなく広がり、恐れから程遠いものとなる。

 暗い随道を進んでいる筈なのに、壁などまるでないかのように全てが見渡せる。誰かが怪し

の者と斬り結んでいる姿も、別の誰か矢を切って放す様子も、隼人が凝然と佇んで何かと対峙

している雰囲気も、傍らに居るがごとく見えるというより分かるのであった。

 滑るように進んで行く先の中空に、何故かとても懐かしいものなのだが、それが何であるの

かが解らない長い柄の先に尖った鋼がついたものに気づいて手にとった。槍であった。

 槍の名人である河尻にして、それが何であるのかを忘れていた。手に取るとそれは体と一体

になり、身内に取り込まれてしまう。この先使うことはあるまいが、意識すれば必要に応じて

取り出すことができるのだと思えた。

「そうだ。生まれ変わってもそれを使うことはあるまいが、その働きが必要となることがある

かも知れぬということのみ覚えていればよい。」どこからともない声が脳裏に届いた。

 そこで河尻の意識体ともいえる固体は、霧のように宇宙に溶け込むのだった。

 

 松田が時々見る夢は、際限もなく次から次へと現れる魔と斬り結んでいて、やがてそれに倦

む。そのことのみに意味があるようには思えなくなってくるのである。源を断たねば如何とも

為しがたいのだと。

 そう思うと、個の体ではなく意識体でなくては適わぬと思った途端、夢は霧消する。

 人は何故、個を区別し争わねばならぬのだろうか。各々の持分の働きがあって一つのものの

はずなのに、同次元できそわねばならぬとはどうしたことなのであろうか。

 

 松田は、川田の捉われが一体何なのかと思いを巡らせているうちに、恋慕の情による肉欲と

いうより単に認められたい親しくなりたいということなのではないのかと思えてきた。

 顕れ出でねばならぬ何事かの予兆としての揺らぎかも知れない。

 自分に剣の才能があるのも、時に心が騒いでわかりそうでわからないことや、見えそうで見

えないものがあるもどかしさも、生まれついてのそれらのものが、合せて明らかになってくる

時期なのではないかとも覚えるのであった。

 片棒を担ぐのもご免だが、彼が道を踏み外して深みに嵌っていく前に「一回じっくり話して

みるか。」と思ったのである。最初の一歩がその後をわけるとしたら、踏み止まることに要する

エネルギーは、止まらずに走ったことによる結果を覆すのに比べれば、いつでもさしたること

ではないのである。

 なぜか、生まれる前から川田を知っているように思えてならないのであった。

「川田、本当にそうしていいのか?俺にはとても賛成できない。今まで大抵のことは、手助け

してきたが、今度ばかりはお前の本当の気持ちがわからない。取り返しができない企みだから

ということでもあるが、より嫌われることが確かだし、その後をどうするのかも聞かなくっち

ゃならない。何をどうしたいのかが全く見えないんだ。」

「俺にもわからないが、何かに引き込まれているようなんだ。星をも砕く力っていう言葉が

頭にこびりついて離れないんだ。」

「何、それは本当か。その言葉は、俺の頭の中にもいつも響いている。ずっと昔に、何か恐ろ

しいことを乗り越えようとした記憶が俺にはあるが、お前にはないか?俺とお前は、どっかで

繋がっていたんじゃないだろうか。」

「ぼんやりだが、それはあるんだ。何かに憑りつかれているような気がしている。」

「真央さんについても、何かひっかかりがあるようなことか?」

「いや、真央さんを護っていた仲間がいたような気がするんだが、それが何だったのかわから

ない。」

 時を越えて魔が再び蠢動を始めたのかもしれなかった。命を代償にした隼人たち五人の働き

が、その後の人々の意識を変えきれていなかったと言えるかも知れぬ。人の本性の浄化や進化

は難しい。どうしても目先に囚われるからである。

 

 麻績神社の裏手の山に、絶えて久しかった狐の鳴き声が度々聞かれるようになり、天竜川の

波が高くなっていた。

 神社のほど近くに佇む元善光寺の境内下にある矢場に、矢音も高く弓を引く青年が、一人黙々

と矢を射ていた。60メートルほど離れた土塁に設えられた金的には、射られた矢が重なるよ

うに突き立っていた。

 学校帰りの数馬が通りかかり声をかけた。「福島、相変わらず精がでるね。」

「うん、このところしきりに心が騒ぐんだ。落ち着かない所為か、なかなか思ったほどには引

けぬ。」

「落ち着かなくてもそれか。落ち着いて射たら、矢が裂けよう。確かにこのところ俺も心が泡

立つような気がしてならないんだ。」

 ほどなく、朧月があたりを包んだ。月に浮かれた狸ではなく、狐が鳴く物悲しい声が稲荷坂

あたりから聞こえてきた。

 

 翌日、川田は絆創膏を貼った顔で登校し、意を決して真央の前に進み出ると、深々と頭を下

げた。「真央さん、あの、実は先日の・・・」と言いかけるのを真央が遮った。

「わかっているわ。何も言わなくってもいいのよ。貴方にも星をも砕く力という声が聞こえる

んでしょ。私には、解放すれば星をも砕く力って聞こえてくるわ。数馬君がいうのよ。破壊し

つくして創り直さなければならないと考えているとしか思えないパワーが、動き始めているら

しいって。でも、その前に魔との戦いがあるだろうって。魔って何だか解らないけれど、人の

意識の中に巣くっているものが形に現われてくるから、それを消すことなんだって。貴方もき

っとそのときのお仲間になるのよ。宜しくね。」

 川田の顔は、吹き払われたようにみるみる明るくなっていった。

 現れれば消えるものに捉われて、どんどん引き込まれるから深みにはまって身動きがとれな

くなるが、踏みとどまる勇気をもてば道は開ける。乗り越えられないものはないのである。

 

 飯田から駒ヶ根に向かい25キロ程の飯島町七久保に、今は桜の名所として知られる千人塚

というのがある。

 1582年(天正10)に、この地にあった城は織田信長の軍勢により落城した。戦いで死

んだ敵味方の将兵の遺体や武具などを集めて埋葬し、塚とした。

 その後、悪疫が流行したため、そこに千九人童子の碑を建てて供養した。

 そこにあった城の空堀は、昭和の初期に水を引き入れて灌漑用の池となり、城ケ池と呼ばれ

かなりの大きさで水を湛えている。

 高校生達が気のあった仲間と連れ立って、自転車などでピクニックに訪れる。ここに至るま

での道筋にある畑には、苔むした墓石が諸方に散見される。畑の持ち主の先祖の墓というわけ

ではない無縁の墓が殆どだが、彼岸や盆などには花が手向けられていることが多い。

 真央、数馬、松田、河尻、福島、川田は、自転車に食料を積んでピクニックに出かけた。

花が終わるとわからなくなるが、こんなに桜が多く植えられているのかと思うほどに、途中の

桜花も見事であった。切る風が薫り、頬に心地よかった。

 千人塚の桜の下に六人がビニールシートを敷き、持参したおにぎりやサンドウィッチ・果物

を並べて食べているとき、異変は起こった。

「わあ、どうしたんだ!」と叫び声があがり、見る間に人だかりができた。輪の真ん中にいた

少女が、頬の辺りから多量の血を滴らせていた。

「これは、鎌鼬(かまいたち)にやられたんだ!」人垣の中に居た老人が叫んだ。

 鎌鼬は、甲信地方に多く伝えられる妖怪が起こす変異とされる。旋風に乗って姿も見せず現

れ、人にするどい傷を負わせるが、痛みというのはないのだという。

 鼬も魔物の一種と見做されていて、群れると不吉であり、夜中に火柱を起こし、そこに火災

が起こるとされている。

 鼬は後ろ足で立ち上がり、人の顔を凝視して、狐と同じく眉毛の本数を数えて人を騙す。

 信州では、カマイタチ現象は悪神の仕業であると言われていて、暦を足蹴にすると、この

災いに会うという俗信もある。

 この現象は、真空状態のところに触れると起こると言われるが、科学的に証明されて確たる

ものとなってはいない。

 そもそもは、「構え太刀」が訛ったものだという人もいるが、現象の説明はない。

 

 川田が、ポツリと言った。「そういえばこのところ山付けの農家で、巣箱に飼っている兎が、

鼬らしきものに鼻先を抉られてやられるという話をよく聞く。」

 巣箱の奥にいればそんな被害にあわなくて済むのに、わざわざ網のそばまで行ってヤラレル

とは、なんて兎は愚かなんだと、飼い主が悔しがるのだとか。本当に鼬の仕業なのだろうか。

 日が傾き始めたのを機に帰り支度をして、市街地に皆が戻ってきたのは、朧月が昇り始めた

頃合であった。

 交差点を無灯火で、携帯電話をしながら走る若者が、危うく横断歩道を渡りかけた老婦人と

接触しそうになったのを、連れの男性が「君、あぶないじゃないかっ!」と咎めているのに遭

遇した。若者は、非を認めて謝罪しないはおろか、居直って「何、このクソジジイ!文句ある

のか。」と罵った。

 六人が分けて入ろうとするより早く、その若者は携帯電話を持った手から突然血を噴出して

その場で自転車ごと横転した。間に何の姿も見えなかった。鎌鼬である。

 六人は、思わず顔を見合わせた。急が迫っているように思えたのである。

 散会する前に、喉の渇きを潤そうということで立ち寄った喫茶店で、松田が口火を切った。

「おい、どうする。何か異様な展開になりそうだぜ。」

「うん。なにかに憑りつかれてしまっているようなのが、うようよ見える。」数馬が応えた。

「自分勝手な人たちへの天罰というか、警告ということだけじゃないみたいね。」真央が眉を顰

めた。

 そこに集まった面々は、以前どこかで一緒に立ち向かったものが有ったのだと、言わず語ら

ずのうちに理解していた。記憶の川を渡り返して生まれ変わってくるとき、残留する思念を一

部引き継いできたらしい。

 真央がいう。「万能の創造の神様だって、何かの手助けが必要だったり、気づきをきっと願っ

ているんだわ。」

 

 

 

     始まり

 

 人間は、自分では良いと思ってしていることでも、時に過ちをおかす。気づいたとき素直に

謝ることと、許しを与え合うことが、精神の進化をもたらすように思える。

 信念であったり宗教であったり主義に捉われると、正義は自分のサイドにのみ有って、悪い

のは全て相手であるということになり、相手にも言い分や立場があるということに思いが至る

余裕を失う。

 そもそもが一なるものであるとしたら、このような分れはどこから始まったのであろうか。

 判断基準となるものは、善悪・美醜・快不快・損得・正負その他様々あるが、そのどこに分

け目を見出したらよいものかは判らぬ。命というものが永遠に続くとしたら、どこからが生死

だと言って区別するかということも判らないことになる。

 生かされてあるということに粗末な世になっているのかも知れぬ。

 目先の小さな損得が重大であり、それに従って他を慮らない行動をとることが普通になった。

この世的にいえば、悪事を働いている人が逆に栄えていることも多い。もっとも、何が悪なの

かはわからぬことではあるが。

 

 街中に、刺刺しい雰囲気を纏ってそれを撒き散らして歩く人が増えた。些細なことが口論や

争いに進展するのである。人々は眉を顰め避けて通ることはあっても、それを治めようとは誰

もしない。他人事なのである。それはいつ我が身に及ぶことなのかわからないにも関わらずで

ある。それでも、それは自分ではなく誰か他の人がやることとして見過ごすのに平気であった。

 子は、生まれ変わるときに忘れてしまっているが、その都度、何らかの意味があって、自ら

がその両親を選んで生まれてくるのである。そのことに気づかないと、親子ともに精神の進化

は望めない。

 子は、親を選べないなどという論が罷り通るようになってより、親が子に人として必要な躾

ができなくなった。子が可愛くない親は滅多にいないが、育てる責任はある。近頃は責任とい

うより本能のみで育てていると言い換えてもよい。

 猫可愛がりという言葉があるが、動物界の親は、子に一定期間は目一杯の愛情を注ぐ。それ

がないと子は自立できない。

わが子の将来のためによかれと思ってやることでも、時に子のそのときの意にそぐわないこ

とは当然ありうる。子の顔色を見て怯んでしまい教えねばならないことから遠ざかっているの

が愛であるかのように勘違いしていないだろうか。子の将来を思ったら、すべきことはある。

 むしろ、親が子を選べないのだと言えるのかも知れないのである。

 自分以外のものをとやかく言うことはあっても、自分の内面を見つめることが少なくなった。

実は、そこに全てが凝縮されているらしいのだが、他との差別を争うの余り、外にばかり目を

向けてしまっているから、いつまでも気づけないで苦しむ。

 全ては我がことに他ならないということを、誰もが遠い記憶の中では知っている筈なのにで

ある。残された時間は少なそうなのである。創造主であっても、いつまで我慢するか判らない。

歪が来てしまったものを治すより、破壊して新たに創りかえる方がよっぽど楽に違いない。

 人は、肉体というものを纏わないと叶わぬ修行というものがあるらしく、魂の磨きの場を得

ようとして、長くは400年もの順番待ちをして転生を待つのだとか。

 よく、前世がお姫様だったとか身分の高い武士だったとかのお告げを受けて喜んでいる人が

いるが、聞く方も聞く方、告げる方も告げるほうである。魂の磨きのために繰り返される転生

の度に、殿様であったり乞食であったりお姫様であったり女郎であったりしても、それは必要

あって積まされた経験にすぎぬ。今生で何を学ぶかということに、思いを致さねばなるまい。

 

 「真央おねえちゃん!恐いおじちゃん達がきて、お母さんをどっかに連れてっちゃったの。」

隣の家に住み、幼稚園の行き帰りに真央ねえちゃん真央ねえちゃんと慕って纏わりついてくる

琴音が、目に涙を溢れさせて縋り付いた。

 母子二人でがいつも仲良く寄り添って一所懸命暮らしているのを、真央は琴音ちゃん琴音ち

ゃんと妹のように可愛がっていた。いつもの愛くるしい笑顔が消え、ちっちゃな心一杯で大好

きな母のことを心配する琴音を、屈み込んで胸に抱きしめ「大丈夫よ。」と、今は励ますしかな

かった。「今夜は、お姉ちゃんと一緒に寝ようね。」

事情がわからないことには、動きようがない。幼い琴音に尋ねるには忍びないことに思えた。

数馬たちに相談するよりない。優しく弱いところに現れた変異のように感じたのである。

 浦安琴音。浦は裏に通じ、すなわち心のこと。心を安んじる琴の音、という名前を選んで生

まれてきた子である。観世音も、音を観ずるということだから、精妙な音は大切である。耳を

聾さんばかりの大音量や雑音に慣れてしまうと、いかなるメッセージも受け取れなくなる。

 人は、見たいものしか見えないし、聞きたいことしか聞こえない。人間の器官である五感は、

真実が現にそこにあっても、素直でなければ気づくことはできないもののようなのである。

 

 小さな胸を痛めながらも、真央に心配をかけまいと健気に眠る振りをする琴音を抱きしめて

まんじりともしなかった夜が明けた。

「おはよう。起きられそう?今日は数馬お兄ちゃんとお話してみようね。」「うん。琴音は平気

だよ。」努めてにっこり笑顔を作りながら、琴音は真央の顔を見上げた。

 数馬が来ると、琴音は自分から話し始めた。「あのね、お兄ちゃん。昨日コワイおじちゃんた

ちが来て、お母さんを連れて行っちゃったの。お母さんは琴音のために、お父さんは死んじゃ

ったと言っているけどそれはウソで、きっとお父さんの所為なの。」洞察力というわけではない。

優しく素直にしていれば、幼くても愛してくれている人のことは見えているということなので

ある。

「真央ねえ、僕に知らせたということは、何か見えるの?」「ええ、大きな湖が見えるの。その

場所に居る間はきっと守られていて大丈夫だと思うけれど、急がないと危ないわ。きっと諏訪

のどこかの建物よ。」残留している思念を拾って、真央が答えた。

諏訪は、八ヶ岳の広大な裾野の中に位置する。信州は神州に通ずる。信濃の国の中ほどにあ

る諏訪は、諏訪大社により鎮守されている。

諏訪神社の祭神は、建御名方尊(たけみなかたのみこと)ということになっていて、古事記

にいう国譲り神話によれば、出雲の国からここまで逃れてきたとされる。

国を譲り受けるために出雲に派遣された建御雷尊(たけみかずちのみこと)が、「事代主尊(

ことしろぬしのみこと)は国を譲ると言ったが、他に意見をいう子はいるか」と大国主に訊ね

ると、大国主はもう一人の息子である建御名方にも訊くように言った。

 建御名方がやってきて、「ここでひそひそ話をしているのは誰だ。それでは力競べをして決め

ようではないか。」と言って建御雷の手を掴んだ。すると建御雷は手を氷柱に変化させ、更に剣

に変化させた。

 逆に、建御雷が建御名方の手を掴むと、葦の若葉を摘むように握りつぶして投げつけたので、

建御名方は、敵わじと逃げ出した。

 建御雷は建御名方を追いかけて、科野国(信濃の国)の州羽の海(諏訪湖)まで追い詰めた。

 建御名方は、もう逃げ切れないと思い、「この地から出ないようにするし、大国主や事代主が

言った通りにする。葦原の国は神子に奉るから殺さないでくれ。」と言って諏訪の湖に鎮んだ。

 出雲と信濃、いずれがどう違うか知れぬが、太古の神に近い場所であったであろうことは想

像に難くない。海からか山からか、ということである。

 

 数馬は、意識を開放し一点に思念を凝らすと、導かれるままに一なる世界にいりこんだ。空

間を曲げると、二点間は隣同士というより同一点となる。もともと一つであった世界であるか

ら、すぐに思念は目的地である山荘らしき所に着いた。松田の仲間たちのバイクに送られて、

突然目の前に現れた数馬に、柄の悪い男達が喚いた。「何だてめえは、どこから来たんだ。」「大

島山の滝からね。お母さんを帰していただこうと思いまして。」「なんだと!何でここがわかっ

た。折角来たが無駄だったな。帰れ帰れ。警察に言ってもいいが、これは夫婦の問題だ。相手

にされないぞ。法は家庭に入らずってヤツだ。」無法に慣れた物言いである。

「親分に聞かなくってもいいんですか?電話してみたら?勝手なことをすると後が怖いでし

ょ?」先がどう動くのか判っているように落ち着き払った数馬に、男達は不安を覚えた。

 男達の兄貴分らしき者の携帯電話が鳴った。「ハイ親分、私です。」「一体何処に居る。すぐ帰

って来い。」「いえ、ヤツの女房(バシタ)を押さえたのですが。」「お前は馬鹿か。そんな程度

の智恵しか廻らぬ無能なら、お前は使い物にならない。そんなのは放っておいてすぐ来い。」

 男達は母親を解放すると、あっという間に立ち去った。

  この親分というのが、この後の展開に関係してくることになるが、姿がまだ見えない。

 力というものは、圧倒的な暴力の差であったり財力による横暴であったり、衆を恃んだ数に

よるものであるときは危うい。

何が悪で何が正義なのか、本当のところはなかなか見えてこないのであるけれど、人が口に

するときの根拠というのは、一面に過ぎぬことが多い。

一見平和に見える風景の裏側には、倦怠感や閉塞感や苛立ちが埋没している。気づかずに過

ごしているように見えても、我が身に及ぶキッカケがあれば、鬱積したものが一気に吐きださ

れる。

それが、個々ではなく集まった暴走のエネルギーということになれば、しかもそれが数の力

で正義だとリードされるとなれば、簡単に見境いなく破壊の衝動となって膨れ上がり、付和雷

同しての行為は責任の所在が何処にあるのかもわからなくなるから、危険この上ない。

自分で判断できる能力を養っていなければ、誰が陥っても不思議ではないという人間に潜在

している闇を誰もが抱えているからである。

 

   展開

 麻績神社の境内には、神主がいないこともあって、普段人影はない。鬱蒼とした常緑樹の下

に佇む社殿は、古さを際立たせ神錆びた雰囲気を漂わせている。

 その高床式の社殿の下を覗き込んで、何かを探しているかの様子を見せる男がいた。人並み

はずれた記憶力を有し、およそ自分が触れた史料は残さず保存していることで夙に知られる塩

崎建国であった。膨大な知識をその頭脳に蓄えてなお、自らを蛙井と名乗りつつも、「されど天

(そら)の深さを知ると言うこともある。」というのが口癖である。彼によれば、外に知識を求

めても自らの内を掘り進めれば得られる無尽蔵なる世界の方が大きいのだという。

 彼方なる記憶が、昔集った者たちの記録が、この場所に閉ざされてあるのだとしきりに告げ

ていることに導かれて、一人訪ねてきたのであった。であれば、八人ということになる。八と

いうのは恐ろしい。

 風雲急を告げていると急かされていた。かび臭い縁の下の土の中から見つけ出した木箱の中

からは、油紙に包まれた和綴じの文書が現れた。表紙には、「一(いつ)なる物」と書かれてあ

った。その昔、棚田真吾が納めたものであった。

 書き起こし部分に、「異界の穴を塞ぎ得たのは物質ではなく、母を思い妻を思い友を思い無辜

の民を慮ることから発する光の糸であった。」との記述があった。

 人は、目に見えるもののみ信じる傾向があるが、現に存在しているものであっても見えない、

或いは見ないでいるものが多すぎはしないだろうか。見えないから無いとはいえぬ。

 知識は物質に関わるものが多く、畢竟それは損得に結びつき易い。心といえるものに繋がる

ものは、不急のものとされがちであるが、それでいいとは言えまい。

物質と物質を結びつけるのは、そんな思念に関わるものであろうし、物質の綻びから漏れ出

てくる魔ともいえる現象が増えてきているように塩崎には思えてならなかった。

 もし鎌鼬なるものがそれであるとしたら、それは走りであって、後に如何なる重大事が続く

か測りようもない。

 塩崎はまだ知らぬが、琴音の母親を置き去りにして去っていった男達のいずれもが、帰路の

途中で手足から血を噴いていたのである。

 噂というものは早い。どこでどう嗅ぎ付けたのか、琴音の母親が浚われたのを知った記者ら

しき者たちが寄って集って幼い琴音を取り囲み、無遠慮な質問を浴びせかけるのを背中に庇っ

て、真央は「いい加減にして下さい。いたいけな子供に事情なんかわかる筈ないでしょう。」と

窘めたが、正義と報道の自由を主張しての臆面のなさは、母親が帰って来たときの有様がおも

いやられた。ひっそりと暮らしている母子のことを、興味本位に洗い浚いにされることは、母

子が求める幸せに結びつくには、前途多難であろうことが思われ、悲しかった。

 宇宙には、四つの力が働いているというが、このうち重力だけが他と比べとても弱いのだと

いう。重力のエネルギーが異次元に漏れ出しているのかも知れない。

 エネルギー保存(不滅)の法則から言えば、それはどこかに戻って来る筈のものといえる。

 思念は実体化するのだとすれば、悪想念は暗黒の世界から戻ってくるのかもしれないし、そ

の行き着く先は波動が合致するところともいえ、荒い波動や心の隙間に悪意あるものが憑依と

いう形をとるのかも知れぬのである。

 この世の生物は、他の命を食らわなければ生きられないのであるから、創造主は人間の理性

に何を求めてのことなのであろうか。人類の意識体のエネルギー進化が創造主の願いであり、

もって神の創らんとするものの現出に手助けを求めているのかも知れない。気づきと感謝とも

いうべきものが、その入り口となるようにも思えてならない。

 琴音が数馬に、大島山の滝の巨大な一枚岩の一隅を指差して「お兄ちゃん、あそこから何か

黒いものが這い出そうとしているよ。」と言った。つるつるの岩肌のどこにも、穴はおろか裂け

目もないのである。しかし言われた数馬にも、それが確かに見えるのであった。

 意識のエネルギーを光にして飛ばし、穴を塞ぐことが安全に思えた。一瞬で、それは元通り

の岩肌に戻り、そこから常のごとく滝の飛沫は跳ね返るようになった。

 人は誰しも、時に自分の内なる神性を垣間見たり、それに触れたりすることが時としてある

が、かすかな気づきであるそれを大きく育てあげるということをすることは滅多になくて、損

得や自我の方を優先させてしまうのが殆どである。

 そもそも備わっている筈の力に気づくことを疎かにしてしまう仕組みが、また併せてあるの

かもしれない。精妙なものは、育てるのが難しいが、できないことでは無いはずなのに・・・

 

 琴音の母、綾音は、数馬と一緒に戻って来るなり飛びついてきた琴音を、黙ってぎゅっと抱

きしめた。良い子というのは、如何に可愛がられたかにより育つ。物質的に恵まれるかどうか

とか、或いは親が愛と思い違いする自己満足の行いの結果で与えられるものではないことは確

かである。

 子が次代を繋ぎ、完成された世界を宇宙に示すことが目的かも知れないが、何故にそんなに

時間が必要とされるのか、定かにそれとはわからない。

もうひとつ解らないことがある。子は、親を選んで生まれてくるらしいのである。いつの頃

からか、子が親に対して「産んでくれと頼んだ覚えはない!」などと平気で言うようになり、

親もそれに対する言葉を失って久しいが、とんでもないことと、心ある親子は現に共々に知る

ことが出てきているようなのである。

 

 諏訪の湖(うみ)に、武田菱の紋所を打った石棺が沈んでいるという。その中には、武田の

碁石金や竹流し金を大量に軍資金として隠した場所が印された暗号が封印されていると伝わる。

金峰山と諏訪湖と赤石山脈のどこかで作る大三角形。昔から山に入る者たちが秘かにいう。

登山を趣味としていた琴音の父、真造がその石棺の沈んでいる場所を知っているのではない

かとの噂が流れたことがあり、以来真造の行方が不明となった。

 金は、自ら現れるのを待たず探そうとするのは禍事とされる。所在を知るかどうか噂に過ぎ

なくとも、何者か見えぬ影に追われる身となった。これはこれで、別の話とする。

 

 親が子を、子が親を思う気持ちは尊い。教えられてできるというのではなく、自然に発生す

る。人は、喜びをともにすることはできても他人の悲しみを悲しむことはできない。思いやる

ことができるにとどまる。言葉にならない想いには、無言の想いで応えることで解りあえる。

帰る場所の灯とはそういうものであって、それがあれば人は巣立てる。

 どこにあっても、空間を越えて通じ合えるエネルギーを強固にするのは、思いやる心。

 そうした気持ちが、物質にとって替わられようとしているところに、禍はおこりやすい。

 数馬たちの働きの糸口が奈辺にあるのか、なかなかに覚束ない。起こってくる現象に一つ一

つ対応してゆくよりないから、人の目覚めは遥か彼方のことになる。

 自分さえよければという目先の損得で、力にまかせて物事を押し通すようになると、想いと

いうもので満たされなくなった体の中の隙間に、憑き物の波動が同調しやすくなり、魔物に憑

依されやすくなる。それはそれで邪悪とはいえ強力なエネルギーをもっているから、弱い人間

ならたちどころに障りがでるし、肉体的に強ければ新たな力が加わってより邪悪になる。

 その力を得た者は、それらをまわりに撒き散らすから、始末に負えない。いずれ身を滅ぼす

ことに突き進んでいるという自覚はないから、歯止めが利かないし被害を受ける人が出る。

 放置すれば、それらが集まって、世界の滅びにつながることになることは想像に難くないが、

気づいて何とかしなくてはと行動する人は少ないし、気づいていても見ぬふりをして見過ごす

人の方が多い。我が身に及んだときには大騒ぎして、全部他人のせいにするのが常であり、因

果に思いがいたることはない。

 太古の昔から、長い年月をかけて少しずつ育んできた智恵は、人との関わりを、それも縦の

つながりを避ける時代を重ねるにつれ、影が薄くなった。

 お天道様が見ているなどという言葉は死語になり、なすべき義務は何処かに消えた。

 パワーかフォースかということになる。心から出るものでなければ、幸せとは言えまい。

 

 赤石山は巍巍(ぎぎ=高いの意味)としてと、この地方の高校の校歌に歌われる山脈に、血

をなせりとも歌われる天竜川を挟んだ対岸に位置する権現山が、赤く染まって揺れている。

権現とは、本地垂迹による通り仮の姿。権力も、仮の力ということであるから、権利というの

も仮の利益。本来の力というのに気づくには、意識を高めねばならない。あるべき姿に意識を

むけなければ、そこには至らない。

 六合とは、東西南北に天地を加えたもの。天地正大の気が無限の空間に溢れている。大宇宙

に遍満するエネルギー体の正体とは何なのであろうか。人は、その器官である五感に頼り、証

明できないものは「無いものだ」と言い勝ちだが、逆なのではなかろうか。即ち、無いと証明

されない限り、それは有るのだと考える。

 人類の長い歴史の中には人心が荒廃し乱れに乱れた時代も多々あったが、そこに正気が燦然

と光を放ち、あるべき姿に立ち戻る智恵を顕してきたのである。

 道遠しと言えども、一旦端緒を得て流行を起こせば、雪崩をうった如く全て改まる。その端

緒となるパワーが求められている。有ると判れば信じるのもまた人なのである。

 粋然として、神州に集まるパワーが芽を出そうとしていた。

 

 夕暮れが過ぎて、街中には赤い灯青い灯が目立つようになった。日が落ちてまだ間もないと

いうのに、はや酔客が肩を組んで道をふさぎ、路地をよろめき歩いていた。

 仕事帰りの綾音が、それを避けて側を通り抜けようとしたとき、その先で道端に足を投げ出

して屯していた派手な身なりをしている男に肩が触れ、それも避けようとして倒れた。

 倒れた拍子についた手に滲む血を拭きもあえず、「すいません。」と誤る綾音に、その男は自

分のせいであるにもかかわらず大仰に肩を押さえて痛がってみせた。「いたたたた・・・」

 傍らのツレが、「おお、こりゃ大変だ。骨折したかも知れないぞ。」と、そんなわけが少しも

ないのに騒ぎたて「おい、おばさん。治療費を置いて行きな。」と凄んだ。

 そばに居たかなりの数の通行人は、ちょっと触れた位で、どちらかといえば女性の方が怪我

をしているのにと思いつつも、誰も間に立とうとはしなかった。

「そんな、ちょっと肩がさわったくらいで骨折なんて・・・」と立ちすくむ綾音に、頑丈な体

躯のその男は「ぼく、体が弱いの。働けないから生活保護を貰っているの。骨も弱いの。」と

言ってのけた。

 「生活保護は、断るんだね。それでよくブランドもので飾り立てて、宵の口から飲み屋街に

出入りできるもんだ。さっきから見てたけど、あなたの方が悪いんじゃないの?」

 松田芳樹を訪ねて思わぬ時を過ごし帰宅途中の塩崎建国が声をあげた。

「なに、セイガク、横から口を差し挟むんじゃねえぞ。俺を誰だと思ってるんだ。」と大声をあ

げて凄んだ。「知りませんねえ。どちらのどなたさんなんですか?」「舐めた口ききやがって、

「俺は」といいかけるのをツレが必死で止めた。「馬鹿、組の名前なんか出すんじゃねえ。」

 引っ込みのつかなくなった男が、今まさに塩崎に殴りかかろうとしたとき、「どうした。何事

なんだシオ。」と、松田がその中間にたちふさがった。渡し忘れたものがあって塩崎の後を追い

かけてきたのである。

 松田を見ると、殴りかかろうとしていた男は急に卑屈になり、「松田さん、こちら様はご友人

なんで?」はるか年下に対するとは思えないほど、小腰を屈めて丁寧に尋ねた。

「ああ、やめとけやめとけ。コイツは強いぞ。」「そんなにお強いんで」「ああ、人間業じゃない

くらいね。触る前に一瞬で吹っ飛ばされるさ。やってみるか?」「いえいえ結構で。」

 そそくさと立ち去る男達の背後から声が飛んだ。「骨折は、どうした!」立ち去らずに経緯を

見守っていた通行人からのものであった。

「いやあ、痛みも治まって大丈夫そうです。」振り返って男がバツの悪そうな表情で答えた。

 今までであれば、触らぬ神に祟りなしとばかりに素知らぬ顔で通り過ぎていた人たちの中に

踏みとどまり、声まであげる人が出てきたということであった。

 しかしながら、このように直接的行動で表にあらわれるものを匡して行く事の他に、一見紳

士風でいて力に頼って弱者をくいものにする巨悪が潜んでいるのを如何にするか。

 押しなべて人たるの品性に立ち戻らせるのには、根本のところが問われてもいるのであった。

 地獄界というのは確かにある。八大地獄と八寒地獄、更に二百有余に分かれる。自らの内心

が知る細かな悪の積み重ねを自らが気づき正さねば、いずれ確実にそこに行き着く。

 数馬は、天罰というに等しい形で物質を破壊することも、意識体で三界を地蔵のように渡る

ことができることも何時のころからか知ったが、その力を振るったことはない。

 破るるは新たなりと、意識や目覚めを与えることができねば、それはまだ権の力であるとの

自覚があるからである。

 虐げられた人たちの鬱屈したエネルギーが凝り固まり、集まって放出されるような事態に立

ち到れば、それは阿鼻叫喚の世界になるだろうし、それ以前に大いなる力からの浄化が始まれ

ば、よんどころないことにもなりかねないことを危惧していた。

 人の、気づきと自覚が急務であった。

第二部 完

                 (第三部に続く)

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 第三部

 

序 章

 宇宙は、何によって成り立っているのであろう。物質とエネルギーであると言い切っていい

のであろうか。

目に見える物質としての3割と、正体があきらかでない7割のエネルギーが等価であるとし

て、その双方が行き来するのだとしたら、そこに働く意思のようなものがあるのだろうか。物

質とエネルギーを織り成すのは、いかなる力なのであろうか。

 何物をも通り抜けてしまうものがある。それが篩にかけられたように形となって止まるのか、

或いは何らかの焦点があってそこに物が形成されるのかわからないが、そこに物質やエネルギ

ーとして顕現させる何か大いなるものの意思があるように思えてならない。

 それがあるのだとしたら、全てを消滅させる意思が働くことがあるかもしれない可能性だっ

て否定できないことになる。

 ましてやそこに命の糸が絡むとしたら、ことは重大である。

 生命が誕生して40億年、人類はまだそこに意識が向いてはいないようなのである。

 見えないから無い、証明できないからそれも無視するということはできまい。大抵のものは

有るとした方があたっている。

 世の中に起こることの殆どは、それが何故なのか説明できないが、それが有るということは

感じ取れるし、なんらかの意味を持っているのであろうということもわかる。

 現実の世界と創造の世界の境目というのはどこなのだろうか。思考は現実化するとしたら、

心のありようというのは重大な意味を持つ。人の想念の総意のエネルギーが、現実の物質世界

を形づくる可能性は高い。

 隼人たちが背負ったのは、実はその部分であったのかも知れない。

 人は魂の磨きをするのに、肉体という衣が必要らしいのである。だから、生まれ代わり死に

代わって、その生あるうちを努めることになるのだろうけれど、誘惑に負けやすいということ

もあって、なかなか修養は難しい。

上に在りて驕らざれば、高くして危からず。節を制し度を謹めば、満ちて溢れず。高くして 危

からざるは、長く貴を守る所以なり、満ちて溢れざるは長く富を守る所以なり。富貴、其 身を

離れず、然して後能く其社稷(しゃしょく)を保ち、而して其民人を和す。

魂の器は、その志が高ければ、いかようにも大きくなるものなのに・・・

 

秩序が定まらない混沌とした時代においては、圧倒的暴力が他を統べる。暴力と暴力の鬩ぎ合

いの中で、他にも言い分があるのだと知れてくるにつれ、他が納得して従う理屈というものが

醸成され、やがてそれは基準として守るべき法としてできあがっていく。しかしながら、権力

を得た者は、法を超えた力を振るいがちなのも、厳然とした事実である。

一なるものが別れてその持ち分を負担しあうのだとしたら、その個々が受け持つ役割の公平さ

を、いかにして保つのか。

努力した者が報われるというのであれば解らなくもないが、この世的には必ずしもそうとはい

えぬ。さしたる努力をすることなく、人を出し抜くことで利を得る者が居ないということでは

ないからである。

自己実現を図るに、自分以外を手段であるとして憚らない考えを持つ者が富を得て、栄華を極

めるのを目にして、そういうやりかたに倣う者が溢れる可能性だってあり得る。しかしながら、

そうしたいわゆる上手いことをやったに見える結果を得たとしても、自分が他から何も影響を

受けていないとは思えないであろうから、持ちえた幸せに平安でいられるとは思えない。

「お互い様」「お陰様」ということで、生まれ変わり死に代わって調和のとれた世を現出するた

め、この世的に徳を積むのが現世での修行かも知れぬ。代を繋いで貯金のように貯めこまれた

現世の修行の結果が記憶の底に残って、気づけば、引き出せる力が身奥に備わってあると解っ

ている人もでてきている。

 

お陰様でという言葉は、時に触れよく使われる。自分以外の何かの力の助けがあってことが為

せたと感じたとき、外に向かって自然に口に出る。神様だって、人から感謝されたらきっと嬉

しいに違いない。

 

次から次へと、「ああしてくれこうしてくれ、あれが欲しいこれが欲しい」と言われ続けていた

ら、いいかげんうんざりする。「大概にしなさい!この世的に自分ができることを、先ずやって

見せなさい。」ということになる。要求の多い人に限って、自らの行いの前に、それを他に求め

る。

 

それにひきかえ、僅かばかり聞き届けられた「ご利益」に、「お陰様で」と感謝の言葉を申し上

げたら、神様は「なんだ、こんな位のことでそんなに喜ぶのか。ならばもっとよくしてやれば

もっと喜ぶに違いない。」こう思うのが人の心と同じように、神心というものである。

 

人間世界においてでも、感謝の気持ちを表すことで人心は動かされ、物事はうまく進展する。

文句ばかり言っている人が嫌われるのは、周りにいくらでもいるから、それは解りやすいこと

でもある。

 

好かれなければ、何事もうまくいかないのであるから、「好かれるにはどうするか」、という

こと。自分に何か叶えたい望みがあるなら、少なくとも他から嫌われてはならないのである。

 

日本では、太古の昔から万物に霊性を感じ取り、それを神様がいるのだとして、それらを八

百万(やおよろず)の神と敬ってきた。周りのすべてに感謝できたということになる。

 

神様が一神だけであるとすれば、それ以外の神様を信じることは許されないし、突き詰めれ

ば他を認めることもできないということになるから、沢山の神様がいるとしているという日本

の考え方はひろびろしている。

全てを総べるのは、一つなる力かも知れぬが、自分より優れたものからの助けがあったと感

じたとき、生あるものであれ超常のものであれ、その全てを神と敬ってきたということである。

 

森羅万象全てを神として、祈りとともに生をつないできたこれらの行きつく先は、和。

和をもって尊しとしてきたのだと、思い当たることが多い。だから、日頃、ことあるごとに

「お陰様で」と、誰もが心から口にできていたのだと思う。

 

「おかげさま」は、自分以外から望外に日々受ける利益や恩恵を意味する「お陰」に更に「様」

をつけて、なお丁寧に感謝の心を表した言葉である。

 

「陰」は神仏などの超常的に偉大なものの陰。陰は即ち光のことであって、影とは違う。

偉大なるものの光があたったことが庇護(ひご)を 得たことと受けとめ、「お蔭」と言った

のだと思う。

 

お陰様という存在は、見えないけれどもきっとあって、時々誰のところにも訪問して来てく

れているのだけれど、それに気づいて「お陰様」と言えるかどうかが、幸せへの入口に立てる

かどうかを分けているに違いないのである。

 

数馬には、使おうとすればそうできる力が身奥にあると気づいてから久しいが、恣にして良

い力としてはならないとの自戒がある。

何は許されて、何はそうすべきなのかの判断は、数馬にはまだついていない。いずれ自然に

解ってくるとの思いがある。

 例えば、手術して取り除かなければ命に関わる患部があったとする。しかし手術すれば患者

は痛がるし正常であった部分には傷跡が残る。可哀そうだから手術は止めた方が良いか?

 船が転覆する事故があったとする。救助艇は投げ出された全員を収容するキャパシティーは

ない。取り敢えず収容できる範囲の人だけ救助してその場を離脱し、少人数だけでも助けるか、

それともそれは不公平として、全員艇に乗せ、重みに耐えきれず諸共に沈むか?

 V2号ロケットが首都を攻撃することが分かっていたが、市民を非難させると暗号が解読で

きていることが漏れてしまうとして、多数の命を見殺しにしたのは許容されるか?極端な例だ

が、極限の状態に於いてする判断というものを如何に考えるか。

 人類の誰に対してもも良いというものは、今のところどこにもないし、どこをどのようにす

れば神の意思に添えるのか?話し合いでそれは解決するのか?人道とは一体なんなのか?解ら

ぬ。しかしながら、身近な共同体がよいとして守ろうとしているものは取り敢えずある。

 まずは身近の些細なことから始めれば、いずれ大きな方向性は定まっていく。「お天道様は見

ている。」くらいの自制がきくようには、人なるが故、誰もがならねばならぬ。

その自覚はあっても、誰かから注意されるまでは改めずに過ごし、周りの反応をみているとい

う小狡い輩は、匡されればすぐに正気に戻れる。まだ確信的悪というわけではないが、放置す

れば取り返しがつかぬほど、それに染まるのが常なのだから、芽は早い目に摘むに越したこと

はない。力の伴わない正義というのは、現段階では難しいから、そこに持てる力は使えるか?

いずれにしても、残された時間は少なそうなのである。


「あ~、お兄ちゃんたち、道にゴミを捨てちゃいけないんだよ。」通りかかった幼稚園児たちに

窘められた数人の高校生がいた。

「ああ、ご免ご免。いけないことだよね。次からしないように気をつけるね。」素直に認めたの

もいたが、「道路を清掃する人が片付けるからいいんだよ。」と、変な小理屈をつけたり、「生意

気なチビたちだな。文句いうのは10年早いんだ。」と居直るのもいた。

たまたま通りかかった真央が「君たち、その校章を付けているところを見ると、うちの高校よ

ね。恥ずかしいでしょ。」と声をかけた。

真央だとわかると、突然態度が変わった。しかも真央の傍らに松田がいることに気づくと、卑

屈なくらい身を縮めた。

憧れの人や怖い存在の者には逆らわない。過ちを改むるに憚ることなかれ、ということに素直

であることは難しい。しかし、幼い子供たちの意識が上がってきているのに気付いた真央は、

嬉しかった。些細なことから始まり、それが集まって大きな調和を生むに違いないと思えた。

他者は手段ではない。自分の都合で利用するというのは、国の成り立ち以来馴染まない考え方

の筈だった。

大いなる意思とは、一体なんなのであろうか。

 

神と崇められるのは、日本やギリシャのように、いわゆる八百万の神々というように多神もあ

れば、キリスト教やイスラム教のように一神教というのもあるから、一概には比べられないが、

一神教の神は、絶対神であり、創造主という面が強調される。

この世の全ては、神が作ったものであり、人間に自由意志などはなくて、神の言う事には逆ら

えないということになる。

もっとも、誰が口にしたかということには疑義が生じる。天動説の時代に地球が回っていると

唱えるなどは命がけであった。


八百万の神々などには、この世の創造者という面も一部あるが、どちらかと言えば人知を超え

た力を持っっていることの方が強調される。

人を寄せ付けない険しい山や、何百年も生きた古木がご神木とされるのも、共通認識として極

めて自然に受け入れられる。

このような神々は、敬い感謝することで持てる力を貸し与え、人間を幸福にすると信じられて

きた。

一方、仏は、この世には気づけないでいるが確たる法則があり、それを自覚できた(いわゆる

悟りを得た)人がこの世の四苦八苦はその法則から生じるのだから、それを実感できればそれ

らを超越し成仏できるとする。死ねば仏というわけではない。

全宇宙は、自らの内にすべてあるのだと、思索と修行の中で悟るということである。

一つのものが別れて、それぞれがその持ち分としての役割を果たすということであるなら、万

物は等しく救済されねばならない。

法則に外れれば、それは破壊に向かわざるを得ないということでもある。

人間は、一般的に脳の3~5パーセントしか使っていなくて、残りの95~97パーセントは

潜在能力として眠っているといわれる。その潜在的能力は、使うことができれば、全て成功や

幸せの為のものなのであると(誰もまだそんなことは言いませんが)思われる。

即ち、眠っている能力を引き出すことができれば、「全ての人は、この世に幸せになるために生

まれてくるのだ。」という大命題を果たすことができるのだと信じる。

では、どうすればよいのか?先ず、感謝でも喜びでもいいから、日々現れるある身の回りのそれ

らに満たされることが良いのだと思う。

大宇宙は150億光年の広がりの中に遍満するといわれるが、奇しくも、ある程度解明できて

いるのは、その4パーセント程。残りは、ダークマターとダークエネルギーと呼ばれるもので

あって、未だ解明できてはいない。

石火光中にこの身を置いていることを省みずもせず、蝸牛角上に争うことは、余りに卑小であ

り、生命体を持って生まれた意味がどこにあるのかと、ときには意識せずばなるまい。

地上に生命体といわれるものが出現したのが38億年前だといい、人類が生まれて15万年。

命を紡ぎ、人類が進化を目指したであろうその基になる染色体の組み合わせは180万通りに

も及ぶといわれるが、もとを辿ればたった一人の母親に行きつくのだという。

ここにも、一つから始まったという歴史がある。染色体の働きもまた5パーセントしか活動し

ていないといわれながら、一つの細胞が60兆個にも分裂して人体を構成し、おのおのがその

役割を果たすというのは、一体何を目指してのことなのだろう。

人類が58億人として、その中で袖触れ合う縁を結ぶ確率、時と環境を同一にして男女が互い

を好もしく思い、次代に子孫を残していくというのも、不思議といえば不思議なのである。

人通りの中、 幼女を連れていながら、歩き携帯に夢中で、一所懸命話しかける我が子に返事

はおろか目をやることもしない母親がいた。

 小石にでも躓いたのか、歩道から車の往来が激しい車道に転げ落ちそうになったその子を、

咄嗟に庇おうとした真央を更に庇おうとして、「馬鹿野郎」の罵声を浴びせながら、停車して安

否を確
認することもなく猛スピードで走り去った車のミラーで、数馬は強かに脇腹を打ったの

であった。

 脇腹を抑える数馬に「ごめんなさい、私がちゃんとできなかったから。」と真央が言いかける

のに「い
や、僕の方こそ武道不