童話 


            
 トイレの神様
                                 
                              竹 内 応 身

お祖母ちゃんと、まだ小さい孫が、デパートに買い物に行きました。

楽しさのあまり、トイレに行くのを我慢していたので、トイレに入ったとき孫は焦っていて

ついつい粗相をしてしまいました。

「あらあら汚しちゃったわね。キレイキレイしましょうね。」お祖母さんはそういうとトイ

レットペーパーをくるくると巻き取り、周りを拭き清めました。

「お祖母ちゃん、そんなことをしなくっても、係の人にやってもらえばいいじゃん。」と孫

がいうのに対して、

「そうじゃないのよ。おトイレには偉い神様が居て、人々の行いをじっと見ていらっしゃる

のよ。」と諭しました。

そうなのです。日本の国には何にでも神様が住み着いています。八百万と呼ばれるくらい沢

山の神様がいらっしゃいます。

神様たちはそれぞれに分担する役割が決まっていますが、おトイレを分担するのは、神様だ

って苦手に思っても不思議はありません。

そこで、徳の高い神様が名乗り出て、それをすることになりました。

その代わりに、人々に運を授ける力を多く持つことを、他の神様たちも認めました。

ですから、良い行いをしているとご利益が頂けることになったのです。

お祖母さんは続けて孫に言いました。

「おうちも新しく建て直したでしょ?運の神様は、大きな袋に運を一杯詰め込んでやってく

るから、重くて早く歩けないの。家に到着した時は他の神様が順番で居るところを決めてし

まった後で、トイレしか残っていないの。だから、おうちのおトイレも綺麗に使いましょうね。」

 

大昔の人たちは、神様のお姿を見ることができましたし、人によってはお話しすることがで

きました。

山からの幸も海からの幸も、神様からの贈り物だとわかっていましたから、来年のことを考

えて、決して取りつくすということはしませんでした。

木を伐って柱を作ったり薪をこしらえた後には、新しい苗木を植えましたし、釣り上げても

卵をもった魚は海に返しました。

いつのころからか、自分勝手な振る舞いをする人たちが増えて、それとともに神様は遠ざか

りました。

 
 童話  

鬼切丸

竹 内 応 身

 

昔あるところに、空が明るく開けていて豊かな村がありました。

北側は切り立った崖があり、南側には作物に適した肥沃な土地がありましたが、東西を抜け

る道は一本があるだけで、南北を走る幾筋かの川に沿ってできている路を使って、村人たち

は、お互いが不自由することなく行き来していました。

道の西側は険しい山になっていて、峠には大蛇が棲んでおり、そこを通る人は飲み込まれて

しまうのだと言われ、東側も高い山に囲まれていて、その峠には白い虎が餌を求めて徘徊し

ているので、こちら側からも人が通ることはできませんでした。

ですから、村人が村から出るということは決してなく、外から誰かが入ってくるということ

もない閉ざされた地となっていました。

村人たちは誰もが互いに顔見知りであり、和やかで、他人の子供でも我が子我が孫として慈

しむのが自然にできていました。

人の往来はなくても、遠い都が戦乱で荒れ果て、日が暮れると百鬼が夜行するのだと、どこ

からともなく伝わってきていました。

同じように、この地が桃源郷であるとの噂も、桃の花びらが風に乗って、外の地に伝わって

いても不思議ではなかったのです。

そんなある日、北の険しい断崖を越えて、山頂に棲んでいた鬼が麓の村に降りてきました。

畑を荒らして作物を奪うばかりではなく、民家を襲って蓄えを持ち去ったり、時には子供を

攫っていくなど、暴虐の限りを尽くすのでした。

初めは一匹だけの鬼しかいませんでしたが、楽をして獲物を得られることに味をしめ、子分

たちが集まってくるようになり、やりたい放題のありさまになっていきました。

彼らを追い払う力がない村人たちは、いつの間にか自分だけ被害に会わなければ良いと思う

ようになって、鬼に内通して我が身の安全だけをはかる者が出てきたので、互いに疑心を抱き

始めるようになりました。次第に人々の心は荒れていきました。

幼い孫と二人で暮らしていた長老のお爺さんが、これではいけないと、村の鎮守の森に祀ら

れている古い祠の神様にお祈りしました。

自分は老い先短い身であるにしても、可愛い孫の将来を考えないわけにはいきませんでした。

その姿を見ていたまだ童女の孫は「お祖父ちゃん、私のことだけでなく、村の人皆が幸せに

なるようにお祈りしないと、神様は聞き届けて下さらないわよ。」と幼いながら意見しました。

しばらくすると、お祖父さんが最も恐れていたことが起こりました。鬼の大将が、孫の童女

を生贄として差し出せと言ってきたのです。酒の肴として喰らうのだというのです。

差し出さねば、他の10人の子供を攫うというのです。

「いいわ。私一人で他の人たちが助かるのなら、私はいくわ。」幼いながら健気でした。

隣の家に、同い年の少年が住んでいました。いつも仲良く遊んでいた少年は、それを聞くと

「よし、それなら俺も一緒に行く。ご先祖様から伝わっている小刀があるから、それで鬼の

大将を退治してやる。」と勇気を出して申し出たのでした。

とても敵う相手ではないことは解っていましたが、何もしないというわけにはいきませんで

した。

神様というのは、自分で立ち上がろうとしたとき現れるのかもしれません。

「ほ〜お、随分面白そうな話をしているな。」突然傍から声がしました。

居る筈のない、村人以外の若い侍でした。

武者修行で各地を旅して廻っているというのです。

「よくぞご無事で峠を越えて参りました。大事なかったのですか?」とお爺さんが尋ねると

「何の何の。途中で何やら現れたが、切り抜けて参ったわ。」と答えました。

「その鬼とやら、修行の足しに拙者が退治してくれよう。」その若い武士は、鬼切丸という

名刀を腰に手挟んでいました。

「どれ、道案内致せ。」物見遊山に行くかのような気楽な言い方をした武士は、童女と少年

を連れて、岩山の方に向かいました。

鬼達の住処には山門があり、赤鬼と青鬼の門番がいました。

門番は、武士の気迫に圧倒され、大将の下にすっ飛んで行きました。

それを追って、武士は難なく山門を突破し、鬼の大将と向かい合いました。

鬼の大将は、大鉞を振り上げて襲い掛かってきたのですが、鬼切丸はたった一太刀で大鉞ご

と雷光とともに鬼を斬り伏せてしまいました。

麓に戻った武士は、大きなお結びをもらうと、あっという間に姿が見えなくなりました。

村には平和が戻りました。

村の鎮守の森にある洞には「勇気」という立札が残っています。

   

昔話 その一

 

むかしむかし、高い山々が連なる麓に開けたある山間に、美しくて平和な村ががありました。

冬は、遠く望む山々の峰が真っ白な雪に覆われ、朝夕は紫色に煙る山肌に陽光が照り映え、春は

爛漫と咲き誇る桜の花に覆われ、地にはタンポポが咲き乱れて、自然に恵まれたその地に住む村

人たちは殆どが顔見知りで、争い事もなく穏やかな暮らしを続けていました。

そのほど近くにある町の住人は、誰も花火が大好きでした。

夏ともなると、町なかにある幾つかの神社には、それぞれの氏子が集まって、花火大会の趣向を

凝らし、近隣の村々にまで知らせて人を集め、夜空を競い合って彩ることを無上の喜びとしてい

ました。その夜は、商店も屋台も毎年遅くまで賑わいました。

 

花火職人も町の人も、花火は火薬を使うという危険性を十分知っていて、それでも町の発展の為

に協力しあうのだからということで、住み分けはできていたのですが、町が発展するにつれ、人

が集まり増えていきました。

最初は承知して住んでいた人々ではありましたが、祭りに打ち上げる花火を作るには、街中では

危ないという意見が増えるに従い、段々に花火師の家は元から住んでいたところから山裾に追い

やられ、それでもたりずに隣の村に移らざるを得なくなりました。大勢の意見には敵いませんで

した。

村はずれに花火工場を作ることになりましたが、当然のことながら、人の住むところとは離れた

寂しい場所が選ばれました。

 

隣村には、町の人の食べ物を供給する為に、家畜の飼育が盛んになりました。中でも養豚は育ち

が早いというので、それを専門に飼う家が増えました。これを生業として選んだ人たちも、人々

が住む場所からは離れた場所に、その施設を作りました。豚は、鳴き声がうるさいばかりでなく

臭いからです。

 

町の人口が増えるにつれ、手狭になった町から村に移住する人々が増えていきました。

最初の内は、そこに花火工場があることも、養豚業者がいることも承知で移り住んだ筈でしたが、

いつの間にか、花火工場も養豚業者も邪魔者どころか悪者扱いされるようになり、彼らは住む場

所がなくなってしまいました。

 

 童話  

麦の命

                                                                                         竹 内 応 身

あるところで、お百姓さんが麦とトウモロコシを作っていました。

毎日丹精して育てたので、夏の初め頃には麦の実が実り、夏の終わり頃にはトウモロコシの

実も熟れて、種にして蒔けば来年には芽を出して、立派に命をつないでいけるほど丸々とし

た粒たちでした。

その粒たちはお互いに喜びあい、麦の実も、トウモロコシの実も、来年を楽しみにしていま

した。

農家の近くに、子供たちが元気に通う幼稚園がありました。

園児たちはみんなで可愛がりながら、ヒヨコと子ウサギを飼っていました。

ある日、お百姓さんのところから、麦とトウモロコシと、隣の畑で作った青々としたハクサ

イが幼稚園にとどけられました。

園児たちは「ありがとう、ありがとう。」と口々にお百姓さんにお礼を言って、とても喜んで、

ヒヨコと子ウサギの餌にしました。

毎日おなか一杯に餌を食べて、見る見るうちにヒヨコはニワトリに、子ウサギは丸々と太っ

た大きな若ウサギに育ちました。

園児たちは、毎日幼稚園でニワトリとウサギの世話をするのが日課になっていました。

ある朝、園児たちが幼稚園に来てニワトリ小屋とウサギ小屋を覗いてみると、そこはもぬけ

の空となっていました。

園児たちは口々に延長先生に聞きました。

「ねえ、ニワトリとウサギはどこに行っちゃったの?」

園長先生は「ニワトリもウサギも別のお仕事ができたの。」と答えました。

その日のお昼ご飯のテーブルに並べられていたのは、ご馳走でした。

トウモロコシの入ったフカフカのパンと、野菜を添えた鶏肉のから揚げと、ハクサイと肉が

たっぷり入ったスープでした。

お食事の前に、園長先生のお話しがありました。

「これから、みんなでお昼ご飯をいただきます。みなさんは、いつもご飯を食べ残します。

勿体ないことです。」

「これからお話しするのは、とっても大事なことですので、良く聞いて下さい。」

「どうですか?今日のお昼は美味しそうですね?」

「は〜い、とってもおいしそうです。」皆は元気に声をそろえてお返事しました。

園長先生は、真剣な顔をして話し始めました。

「目の前に並んでいるパンは、お百姓さんが持ってきてくれた麦とトウモロコシです。お肉

は、皆さんが飼っていたニワトリとウサギです。」

「え〜、そんなの可哀そうだよ。食べられないよ。」とみんなが叫びました。

園長先生は手をあげてみんなを静かにさせると、ゆっくりと語りかけました。

「食べ物には、みんな命があります。麦さんにもトウモロコシさんにもハクサイさんにもみ

んな命がありました。麦さんもトウモロコシさんもハクサイさんも、餌としてたべられるこ

とになったとき、決心したのです。これからは、ニワトリさんやウサギさんの中で生きてい

こうと思ったのです。私たちも、お野菜やお肉の命を食べないと生きていかれません。です

から、お食事の前には必ず『いただきます』といってご挨拶します。『いただきます』とい

うのは、あなたの命を私の命として頂きますという感謝の挨拶の言葉なのです。いただいた

命は大切にしますというお約束でもあるのです。

園児たちは、泣きながら残さず全部食べました。

 童話  

猿酒を飲んだ天狗

 

竹 内 応 身

 

むかしむかしのず〜とむかし、山は豊作でした。食べきれないほどの木の実が実りました。

猿が、たわわな山ぶどうを食べながら考えました。

「そうだ、冬になって食べ物が少なくなったとき、これを貯めておいて食べればいいんだ。」

猿は、いい考えだと思い、山ぶどうの実を集めると、大きな木の穴を見つけ、そこに入れて

おくことにしました。

しかし、猿智慧がはたらいてしまって、栗やクルミやドングリの方がお腹がふくれるという

ことで、そちらに夢中になり、いつしか山ぶどうのことは忘れてしまいました。

何年かして、また山ぶどうが実るころ、猿はむかし山ぶどうをため込んだ木の穴のことを思

い出しました。

そこに行ってみると、木の実はどろどろに溶け、何やら変な臭いがしていました。

「さて、これはどうしたものだろう?」と考えたのですが、一向にいい知恵は浮かびません

でした。

高い山の峰から峰へと空を飛んでわたる天狗がいました。羽団扇を一振りして風を起こして

飛ぶのです。

高い鼻をして、ぎょろぎょろ光る眼をした天狗は、鼻ぺちゃな猿にとっては恐ろしいもので

した。その頃の天狗は、高い空を飛ぶこともあって、そこは寒いので、今のように赤くはな

く白い顔をしていました。

ある日天狗が空を飛んでいると、下界からとても良い匂いが高い鼻にただよってきました。

何だろうと思って降りてきた天狗は、木の穴に溜まっている赤い水を見つけました。

「猿酒」と後に呼ばれるようになったお酒です。

一舐めしてみると、とても良い味がしたので、次から次へと掬って飲み続けました。

猿は木の陰から見ていたのですが「それは俺のものだ。」とはいいませんでした。

何故かと言えば、食べられるか飲めるかもわからないので、天狗に毒見をさせようと思った

からです。

飲み続けた天狗は、顔が真っ赤に変わり、あらかた飲みつくした頃には気分がよくなったの

か上機嫌で飛び去っていきました。

「しまった。俺が先に飲めばよかった。」と猿は思ったのですが、猿酒は底の方にわずかに

残っているだけでした。

それでも、猿の顔は少しだけ赤くなりました。

天狗の顔は真っ赤で、猿の顔は少しだけ赤くなったのは、それからです。

 童話  

マミちゃんとおばあちゃん

 

竹 内 応 身

 

マミちゃんは、おばあちゃんのことが大好きです。

いつもにこにこしていて、優しく頭を撫でてくれたり、抱きしめてくれたりして可愛がって

くれるからです。

夜になって寝るときも、お母さんに内緒で、おばあちゃんのお布団にもぐりこきます。

眠るまで、昔のおとぎ話を聞かせてくれるのです。

おばあちゃんは、いつも身づくろいをきちんとしていて、きれいでした。

そんな大好きなおばあちゃんなのですが、ときどき怖い顔をすることがありました。

「あなたは女の子なんだから、大きくなったときのために、お作法は小さいうちにきちんと

身につけておかねばならないのよ。」というのです。

マミちゃんは、「めんどくさいなあ」と思うのですが、大好きなおばあちゃんの言うことだ

から素直に聞くようにしていました。

初めて注意されたのは、お部屋の畳のヘリをを踏んで歩いたときです。

「マミちゃん。畳のヘリは踏まないのよ。今はどこのおうちにも畳はあるけれど、昔はとっ

ても高価なものだったの。だから畳のお部屋があるのは、身分の高い方のところだけだった

のよ。そういう偉い人のおうちには家紋というマークが決まっていて、畳のヘリには家紋の

模様がついていたの。家紋を踏んで歩くのは、マミちゃんのお顔を踏みつけて歩くのと同じ

ことになるのよ。自分のお顔を足で踏まれたら嫌でしょ。」そう言って、教えてくれたのです。

「は〜い、これから気を付けるようにします。」元気なお返事を聞いて、おばあちゃんはニ

コニコ顔になりました。

 

マミちゃんは、元気な子です。外から帰ってくると、靴を玄関に脱ぎ散らかしてお部屋にか

けあがりました。

それを見ていたお祖母ちゃんが言いました。

「マミちゃん、ちょっとこっちへいらっしゃい。靴を脱ぎ散らかすのは、お行儀が悪いこと

なの。脱いだ履物は、揃えて下駄箱の近くに置くようにしましょうね。そこが下座というこ

となのよ。まだ小さいから、上座とか下座とか難しいことはわからなくてもいいわ。それは段

々にわかってくることだから。でも、揃えて脱ぐようにしましょうね。」

 

マミちゃんは、お客様がくると、ほめられます。きちんと坐ってお辞儀するからです。「い

らっしゃいませ。」とご挨拶もします。

小さい子なのによくできると、お客様が感心してしまうのです。

おばあちゃんのお陰で、お箸の持ち方も覚えました。

言われたことができるようになると、おばあちゃんは「マミちゃんはエライわね。」といっ

て頭を撫でてほめてくれます。

何でも知っていて、優しく教えてくれるお祖母ちゃんが、マミちゃんは大好きです。

きっと上品な良いお嬢さんに育つにちがいありません。

 童話  

狐と狸

竹 内 応 身

 

むかしむかし、山奥の木陰で、狐と狸がある相談をしていました。

「このごろ、平和だった山に人間がやってきて、木を切ったり我々の仲間を弓矢で射たりし

て、おちおち出歩けない。こちらは人間の邪魔をしないようにしているのに迷惑な話だ。」

「そうだそうだ。こちらの領分に入って来ないようにしなくっちゃならない。」

 

ということで、人里に下りて行って人間を化かして懲らしめることになりました。

狸は、自分が妖怪に化けることは得意ですが、人を化かすのは苦手です。

狐はそれとは反対に、人を化かすのがうまいのだといわれています。

 

狐が年を経ると体中の毛が金色になり、尻尾が九つに分かれるといいます。

これを「こんもうきゅうび(金毛九尾)の狐」と呼びます。

こうなった狐は神通力を持ち、何にでも化けることができるのです。

しかし九尾の狐は、人間には悪い事をするのだと、昔から伝わっているのです。

 

この狐が人里近くまできたとき、真面目そうな若者が歩いてくるのが見えました。

「ようし、この若者をだましてひどいめにあわせてやろう。」と狐は思いました。

森から出る前に、若くて美しい女性にばけました。

そのうえに、若者の同情を引きやすくするために病気のふりをして、道端にうずくまること

にしました。

通りかかった若者が、うんうんうなっている女性に化けた狐に、親切に声をかけました。

「どうしたんですか?どっか具合がわるいのですか?」

「はい、お腹がひどくいたいのです。どこか休める場所はないでしょうか。」化けた狐がい

いました。

「私の家は少しとおいので、この近くにある長老のところにごあんないしましょう。」と親

切に言って優しく抱きかかえると、長老の家まで運びました。

 

人間も長く真面目に努力して年をとると、いろんな知恵が身につきます。

長老は、その女性を一目見るなり、これは狐だとみやぶりました。

「これ狐。正直者の若者をだまして何をしようというんじゃ?」

ばれたと思った狐は「こ〜ん」と鳴いて正体を現すと、あっという間に逃げ去りました。

 

次は狸の番です。

狸が山を下りて、人里との境界線にきたとき、そこでは子供たちが集まって相撲を取ってい

ました。

「ようし、ここでこの子たちをまずおどかしてやろう。」とおもいました。

狸だって、古だぬきと呼ばれるようになるほど年をとり、経験をつまないと、化けることは

できません。

まずは一つ目の入道に化けましたが子供たちが驚かないので、次は唐傘のお化けになりまし

た。サービスに大きな赤い舌をベロベロと動かすと、それが面白いとこどもたちが大よろこ

びしました。

 

驚くどころか、あんまり子供たちが笑うので、狸はがっかりして正体を表してしまいました。

子供たちは、面白がって狸に聞きました。

「一体、何しに来たの?」

「人間たちが山を荒らして困るから、おどかして近寄らなくさせようと思ったんだ。」

「な〜んだそんなことか。でも、人間はおどかしちゃあだめなんだ。ちゃんとわけを話して

仲良くするようにしなくては上手くいかないんだよ。」

「いいよいいよ、大人たちに言って、山では乱暴なことをしないようにしてもらうから、大

人しくこのまま帰りな。まごまごしていて捕まると、狸汁にして食べられちゃうかも知れな

いよ。」

仲良くなった子供たちは親切でした。

狸は、喜んで山に帰っていきました。

それ以後、狸が里におりてくることはありませんでしたが、狸は親切な子供たちに何かお礼

をしなくてはと思いました。

それで、月夜の晩になると、腹をぽんぽこ鼓のように打って、音楽を届けるようになりました。
 童話  

月に行った兎

 

竹 内 応 身

 

むかし、日本の国では生き物を殺すことを殺生(せっしょう)といって、なるべくしないよ

うにしていました。

それでも、人は野菜のものでも果物のものでも動物のものでも、その命をもらって食べない

と生きていかれません。

ですから、食べ物を頂くときは、好き嫌いをしたり食べ残しをしたりしないで、感謝しなが

ら大切にして食べました。

世界の国々の中には、牛は決して食べない国もあれば、豚を食べてはいけないとする国もあ

ります。

それは、その国に住む人たちのおやくそくごとなのです。

日本では、鳥は食べても良いが、足が4本ある動物を食べてはいけないということになって

いました。

それなのに、ウサギは食べました。

ウサギは、「う」と「さぎ」と分けて呼んで、鵜という鳥と鷺という鳥が一緒になったもの

だというりくつをつけて、トリだということにしたのです。

ですから、ウサギは他の動物のように1匹2匹とか1頭2頭とか数えないで、鳥と同じよう

に1羽2羽と数えます。

 

ある日、山で昼寝をしながらウサギは考えました。

「人間に捉まると食べられてしまうから、逃げる練習をしておかなくてはならない。」

早く走ることは得意だけれど、ジャンプする力だって、練習すればもっと高く飛び上がるこ

とができるようになるに違いない。

ウサギは毎日ぴょんぴょんとびはねて練習をくりかえしました。

 

何か月かした晴れたある日、犬を連れた狩人が、ウサギ狩りのために山にやってきました。

ウサギは必死で逃げましたが、追いかける犬も走ることが早いのです。

もう少しで追いつかれそうになったウサギは、「そうだ、練習した通りに飛び上がればいい

んだ。」と思いました。

力いっぱい飛び上がったウサギは、勢い余って月まで行ってしまいました。

犬から逃げ切れたことにほっとしたウサギなのですが、気が付くとたいそうおなかがへって

いました。

しかし、餌になりそうな草は一本もはえていません。

ほうぼう探しまわっているうちに、夜になってしまいました。

その夜は満月でした。

おなかをすかせたウサギを見たお月様が優しくいいました。

「この先の広場に、『こがねのうす』と『ぎんのきね』があるから、それでおもちをついて

食べなさい。」

よろこんだウサギは、いっしょけんめいにおもちをつきはじめました。

途中でうさぎは気が付きました。

「そうだ、お月様だってお腹がすいているに違いない。」

自分のぶんだけなら少しでいいけれど、大きなお月様さまのぶんまでということになるとた

いへんでした。

せっせとお餅をつきつづけているうちに、とうとう朝になってしまいました。

よふかしをしたウサギの目は、まっかに変わってしまっていました。

 童話  

ヌエ退治

 

竹 内 応 身

 

むかしの古いおうちは、おトイレは家の外につくられていました。

おトイレは、ご不浄(ごふじょう)という名で呼ばれて、きれいなところとは分けられ

ていました。

昼間の明るいうちはよいのですが、夜になってあたりが真っ暗の中でトイレに行くのは

こわいので、子供たちは寝るまえには必ずトイレにいきました。

寝るときには、お布団の中で、お父さんやお母さんが寝物語というのを聞かせてくれて、

寝かせ付けてくれたものです。

「桃太郎さん」や「さるかに合戦」や「一寸法師」や「かぐやひめ」や「かちかち山」

のお話しです。

なかには、こわいお話しもありました。お化けが出てくるお話しです。

 

鵺(ヌエ)という、頭は猿、四つ足は虎、体は狸、尻尾は蛇、鳴き声が虎鶫(トラツグミ)

に似ているという妖怪が出てくるのです。

ヌエの鳴く夜はおそろしい。

 

むかしむかし、「このえ天皇」のみ世で、あやしいことがおこりました。

ある時から、「せいりょうでん」という帝がすまわれている建物に、毎晩のように黒い煙

が立ち込め、不気味な獣の鳴き声が響き渡るようになったのです。
帝は病に倒れてしまい、薬も祈祷も効きませんでした。

「このわざわいをなくすように。」という命令を受けたのが、弓の名手であった源頼政

(みなもとよりまさ)でした。

「よりまさ」のご先祖は、「みなもとよりみつ」といって、大江山に住んで都の民を苦

しめた「酒呑童子」という鬼を退治したことで有名です。

どんなに強いさむらいでも、化け物を相手にするには勇気がいります。

「よりまさ」は、ご先祖「よりみつ」から受け継いだ弓で、清涼殿を包む不気味な黒い

煙に向かって矢を放ちました。

すると、矢を受けた黒煙は悲鳴を上げながら鵺の姿になり、地面に落ちてしまいました。

これにより帝の病はたちまち良くなり、よりまさはご褒美として、天皇家に伝わる宝刀

の「獅子王」を授かったのでした。

 童話  

桃栗3年

 

竹 内 応 身

 

ももくり3年かき8年ということばがあります。

芽が出てから大きな木に育ち、花を咲かせ実がなるようになるまでに、それだけかかるとい

うことです。

うめはもっと長くて、18年もかかるのだと言われています。

皆さんも、大人になるまでには、20年くらいかかります。

 

あるところに、とても仲が良い桃と栗と柿と梅の種がいました。

仲良しだからといっても、いつまでも種のままでいるわけにはいきません。

がんばって大きくなり、子供をつくらなくてはならないのです。

そこでみんなは相談しました。

「お百姓さんに、畑にまいてもらおう。」ということになりました。

でも、根がのびたときにからまると、お互いがじゃまだといって喧嘩になるかもしれません。

そこで、おたがいの間をあけて蒔いてもらうことにしました。

土の中で根がのびたぶんだけ、木の枝はひろがります。

「枝が伸びて葉っぱが沢山ついたときに、なかよしだったことを思い出して、葉っぱと葉っ

ぱで握手しよう。」と約束しあいました。

芽が出てからはたいへんでした。

陽射しの強い日もあれば、雨が降り続くときもありました。枝が折れてしまうくらい強い風

が吹く颱風というのもありました。それはじっとがまんしなくてはなりません。

病気になることもありましたし、虫に食べられることもありました。

でも、みんなは「おおきくなってまた会おう。」という約束をまもるために、へこたれない

でがんばりました。

畑の栄養をよこどりしてしまう雑草や、木をよわらせてしまう害虫は、お百姓さんが退治し

てくれました。

自分たちもがんばったけれど、いろんな人のお世話になり助けてもらいました。

そうしてすくすく成長しました。

あるとき、成長して実をつけた木たちは、約束したとうり、また会うことができました。

もう子供ではありません。

いろいろのお陰が有って実をつけることができたのだと、自分たちのことがわかるようにな

っていました。

「そうだ、お礼に熟した実を食べてもらおう。」

感謝のきもちが強く育った木たちは、すこしでもおいしくなった実を沢山食べてもらい、よ

ろこんでもらおうと、おたがいにますますがんばりました。

桃も栗も柿も梅も、立派で美味しい実をならすことができました。

 童話  

五色のオニ

 

竹 内 応 身

 

オニというと、こわい顔をして頭に角をはやし、かなぼうを持った姿を想像します。

でも、本当はどんな姿をしているのか誰もしりません。

オニは、北東の方角からしのびよってくるのだと信じられていました。

これを「ウシトラ」の方角といいます。

方角は、干支(えと)といって、生まれ年による動物で表します。

皆さんが知っているように、ねずみ・うし・とら・うさぎ・たつ・へび・うま・ひつじ

・さる・とり・いぬ・いのしし、であらわすと、「ウシとトラ」の間になりますから、ウ

シの角をはやし、トラの皮のパンツをはいた姿で目に見える形にしました。

 

でも、オニがおそろしいのは、力があって乱暴だからということではないようです。

むかし、サトリを開いて立派な人になろうと努力している人たちにとって、ジャマをす

るものがありました。

心にうかんできてしまう悪い考えが、フタをしてしまうのです。

そのフタをしてしまうものをオニとよびました。

アカオニとアオオニはよく知られていますが、それだけではなくて、五色のオニがいる

のだと思われていたのです。

 

赤鬼は、何でも欲しがる欲深い心。

青鬼は、怒りの心。まずしい心。

黄鬼は、自分中心のわがままな心。

緑鬼は、けんこうを考えないで、だらしないことをする心。

黒鬼は、不平不満ばかりをいう愚痴。卑しい気持ち。

そういう悪い心に豆をぶつけて追い払い、平穏を願うのが、節分の行事になりました。

 

でも、本当のオニは、自分の心の中に住んでいるので、自分で追い払うほかありません。

放っておくと、オニはどんどん大きくそだってしまうので、こわいのです。

 童話  

たくさんの神様

 

竹 内 応 身

 

日本の国には、「やおよろず」の神様がおわします。

「やおよろず」というのは、800まんという意味です。

それこそ、どこにでも何にでも、神様がいらっしゃるということになります。

むかしの人は、自分よりすぐれているものは、何でも神様としてうやまいました。

もちろん、自分の中にも神様がいます。

神様がいるから、ほかの神様を感じたり見ることができるということになるのです。

神様なのですから、決してそまつにすることはありません。

何にでもいる神様をそまつにすることをいましめるために、大事にしないとバチがあたると

いうようになりました。

山であっても岩であっても木であっても、そこに神様を感じ取ることができるのは、自分の

中にいる神様なのですが、とくにすぐれた力をもっている神様は神社にまつってみんなが拝

むようになりました。

最初の内は、おまつりした神様の力に少しでも近づけるように努力しますと、お約束するた

めにおまいりして、手を合わせておがんでいたのです。

お約束したことができるようになると、神社に行って「お約束したことができるようになり

ました。」とほうこくしていました。

神様たちはひじょうに力が強かったので、真剣にお参りする人たちの手助けを、かげのほう

からしてくれました。

いつのころからか、神様の手助けだけをあてにして、「おさいせん」をあげることでご利益

をいただこうとする人たちが増えていきました。

 

でも、自分の中の神様が、そういうなまけ心をしっかり見ているのです。

「おさいせん」は、自分のなまけ心をきれいにしてもらうためのお代金なのですから、そこ

から先は自分ががんばらないと、どんな願い事も叶いません。

がんばってあきらめないで励んでいれば、たいていの願い事は叶います。

どんな人の中にも、どんな物の中にも神様がいるのだと感じて大切にせっするようにしてい

ると、自分の中の神様も大きく豊かに育ちます。

誰からも好かれるようになるのです。

   

猫会議

 

夜になると、近所の広場に、そのあたりに住んでいる猫たちが沢山集まって、猫会議が

ひらかれます。

子供の皆さんが寝てしまってからの時間だから、知らないかも知れませんが、見たこと

がある子がいるかもしれません。

猫たちはお互いが少しずつ離れて静かに座り、鳴いたり騒いだり喧嘩をすることはあり

ません。

そのときは、野良猫も家で飼われている猫も、地元の猫はみんな集まるのです。

いつひらかれるのか、どうして集まるのかは、誰にもわかりません。

一体何を相談しているのでしょう?

でも、もしも見かけたら、決して邪魔をしないでそっとしておいた方がよいそうです。

 

野生猫はたいてい一匹でいることが多く、ふだん、大人の猫ならオスでもメスでも、自

分だけの「縄張り」をもって生きています。

その縄張りにほかの猫が入ってくるとものすごい喧嘩になるのは、他の野生動物と同じ

です。ふだんおとなしい猫でも、その時は真剣になります。

野生猫がほかの猫と暮らすのは、母猫と子猫のつながりがあるときだけです。

「ねこっかわいがり」という言葉がありますが、母猫は子猫を舐めるようにして可愛が

ります。

小さいときに可愛がられると、自分で生きていく力がつくといわれますが、大きくなっ

たのにいつまでも甘えていることはゆるしません。

 

子猫が育ち、自分で狩りができるようになると、子猫は、母猫の縄張りから出ていき、

どこか別の場所に自分の縄張りを築きます。
メスの子猫なら、母猫の近くに自分の縄張りを築いて暮らすこともありますが、オスの

子猫の場合、どこか遠くへ旅立っていきます。

 

「縄張り」の広さは、ネズミなどの獲物が多ければ、狭くても十分なのですが、餌にな

る獲物が少ないところだと、広い縄張りが必要になります。

すてられたりして野良猫になってしまった猫は大変なのです。

子猫は、うまれてから7日くらいの間に人に飼われないで育つと、もう決して人になれ

ることはないのだそうです。

可愛がって育てると、なついてそれはかわいい猫になります。大事にすれば20年くら

いは生きています。

ペットをかうときは、命の大切さにこころがけましょう。

   
   

童話「おカイコさま」

 

人は、自然の中から繊維(せんい)というものを見つけ、それを布にして役立ててきました。

木綿綿(もめんわた)からはモメン糸を紡ぎ、麻の木の幹からはアサ糸を紡ぎ、カラムシと

いう草の茎(くき)や、日本では芭蕉(ばしょう)というバナナの木からも繊維を取り出し

ました。

細くて短い繊維を紡いで糸にし、それを布に織って、着物にするまでには、お百姓さんや職

人さんの地道な努力がなくてはできません。

動物から採る絹(きぬ)というのもあります。

絹織物(きぬおりもの)は、光沢があって肌触りもよいので、高級なものとして扱われてい

ます。これも織物になるまでには大変な手間がかかるのです。

キヌ糸は、おカイコ様がクワの葉っぱを食べて育ち、サナギになるときに口から吐き出す細

い糸を何本もより合わせて作ります。

絹糸は大切なものでしたから、それをつくるカイコは、「お」と「さま」をつけて呼ぶほど

大事にしました。

 

カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、家畜化された昆虫で、野生には生息していません。

しかも、カイコは他の動物とちがって決して野生に戻ることはできないのです。

餌がなくなっても逃げ出すことはありませんし、体の色が目立つ白色であるので、外に出た

ら鳥などに食べられてしまうのです。

人間が飼いやすいように改良(かいりょう)してしまったのです。

例えば、カイコを野外の桑にとまらせても、ほぼ一昼夜のうちに捕食されてしまうか、お腹

のところについている脚の吸盤(きゅうばん)の力がよわいので、地面に落ちてしまうのです。

ですから、平らなところに餌となるクワの葉をおいて、人がめんどうをみてあげなくてはな

らないのです。

それは仕方ありません。人間がそうしてしまった責任があります。

お蚕様を育てる農家のひとは、繭(まゆ)ができるまで、つきっきりで世話をします。

最初は、ゴマつぶほどの卵です。

孵化(ふか)といってたまごからかえると、黒い小さな虫がでてきます。

ムシャムシャと葉っぱを食べて段々に白い虫になり、何回か脱皮(だっぴ)を繰り返して大

きく育つと、体の色が透き通ってきます。

そうなるともう餌は食べず、じっとしていますが、口から細い糸を吐き出して、自分の体の

周りにマユを作ってサナギになります。

キヌイトは、サナギが蛾になるまえにお湯で煮て柔らかくして取り出します。

中に残ったサナギは「ヒビ」と言って、栄養価の高いたべものとして喜ばれます。

 童話

猫と亀

 

竹 内 応 身

 

皆さんは、なにどし生まれでしょうか?

干支(えと)と呼ばれる生まれ年には、12の動物があてられています。

 

昔々のことです。

いつもいつもけんかばかりしている動物たちを見て、神様がこまっていました。

そこで神様は、動物たちをまとめるリーダーをつくることにしました。

「お前たちのリーダーを決めることにした。年が明けた元旦に、一番早く北の高い山に

いるわたしのところに挨拶に来た者をリーダーにする。」というお触れを出しました。

「その後は、毎年入れ替わりにして順番に十二匹の動物までをリーダーにしていく。」と

いうことも、多くの動物たちに伝えました。

ひるねをしていた猫は、それを聞き逃してしまったので、近くにいたネズミに尋ねました。

元旦に神様のところに挨拶にいくんだよな?」

するとネズミは、「違うよ猫さん。元旦はゆっくりするものなのだから、二日の朝に挨拶

に行くんだよ」答えました。

「あぁ、そうなのか二日なのですか。ありがとうネズミさん」と、猫はそれまでまだ時

間があるので、ゆっくり寝ることにしました。

 

ほかのどうぶつたちは、元旦に一番乗りするために準備しました。

からだが小さくて、いっぱい走らなければならないネズミや、歩きの遅い牛は、大みそ

かの夜から神様の元へ出発することにしました。

走りつかれてしまったネズミは、広い牛の背中の上にこっそりと飛び乗り、牛の上で眠

りました。

朝方になって、神様がお待ちになっている門の前にくると、ネズミはさっとおきあが

り、牛の前に飛び降りて一番乗りで門をくぐってしまいました。

それに続いて牛、トラ、ウサギ、龍、ヘビ、ウマ、ヒツジ、サル、鶏、犬、イノシシの

順番で、神様に挨拶を済ませました。

ウサギも、亀とかけくらべしたときのように油断して失敗はしませんでした。

「カメさんはどうしたのだろう?姿を見なかったけれど。」と心配しました。

 

翌日のことです。頑張って二日の朝一番に神様の元へ訪れた猫なのですが、

「何をしておったのじゃ!もうきのうで締め切りは終わりじゃ。顔を洗ってきなさい。」

と神様にしかられてしまいました。

猫は、十二匹の動物の中に入る事が出来ませんでした。

それ以来、猫はしょっちゅう顔を洗うようになり、騙したネズミを嫌って追いかけるよ

うになりました。

 

カメさんはどうなったでしょうか。

あゆみのおそいカメさんは、あきらめないでいっしょけんめい歩きつづけたのですが、

到着したときにはもう、しめきりは終わっていました。

真っ黒になったカメさんをみて、神様がいいました。

「よく、あきらめないでがんばった。これから帰るのは大変だから、ここでこのまま北

を守る玄武(げんぶ)になりなさい。」とおっしゃいました。

玄というのは、黒いといういみです。北を守る神様になったのです。

   

狐の嫁入り

竹 内 応 身

 

むかしは、結婚式というと、今のようにみんなが集まって結婚式場でするのではなく

て、夕方から夜にかけて、お嫁さんの実家からお婿さんの家まで、提灯(ちょうちん)

という中にロウソクをともした道具の灯で足元をてらしながら、長い嫁入り行列をして

向かったのです。

里での嫁入りであれば、誰もが知っていることなので、不思議にはおもわないのですが、

遠くに見える山の峰などに、点々と灯がつらなっているのをみると、それは狐が嫁入り

をしている行列なのだと思ったのです。

狐のお嫁さんは、人間の美しい女性に化けて、駕籠に乗っているのだと言われますが、

本当にそれを見た人はいないようです。

夜ではなくて、昼間のお天気雨のことを、狐の嫁入りと呼ぶこともあります。

そのように呼ばれるのは、晴れているのに雨が降るというのが不思議で、まるで狐に化

かされているように感じてのことだと考えられています。

この嫁入りも、誰ひとり見た人はいません。

お天気雨の後の空には、きれいなニジがかかります。

そのニジの橋をわたって、きっと幸せなお嫁さんになるようにと祈ったのです。

   

狸囃子(たぬきばやし)

竹 内 応 身

 

満月の夜になると、気持ちがウキウキします。

そういう夜には、山の広場に狸たちが大勢集まって、うかれてお祭りを始めるのだとい

います。

皆が車座(くるまざ)と呼ばれる輪になって座り、お腹を膨らませて鼓(つづみ)のよ

うにポンポコポンと打つのです。

その音がお囃子のように聞こえるので、“たぬきばやし”といわれるようになりました。

そのお囃子の音がどこから聞こえてくるのか、と思って音の聞こえる方向へさがしに行

っても、音は逃げるように遠ざかってしまい、どこからその音がでているのかつきとめ

られないのだといわれます。

音の出るところを追っているうちに夜が明けてしまうと、見たこともないところにいる

ことに気づくというのです。

いまは、いなかの村も開けてしまったので、明るい満月の夜に外にでてみても、“たぬ

きばやし“が聞こえるということはなくなってしまいました。

 童話  

ホトトギス

 

竹 内 応 身

 

ホトトギスという鳥がいます。

日本では、その悲しそうな鳴き声から、和歌によまれた数が多い鳥です。

「まんようしゅう」では153、「こきんわかしゅう」では42、「しんこきんわかしゅう」では46もあ

るほどに、したしまれていました。

夜に鳴く鳥として、めずらしがられたり、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声を「しのびね」

と呼びならわし大事にしました。

のどのおくが赤いことから、鳴いて血を吐くホトトギスという悲しい呼び方もあります。

カッコウに似ているのですが、鳴き声がちがいます。

早口言葉でいわれる「とっきょきょかきょく」と鳴くことでしられていますが、こども

のころにお母さんから聞いたお話しでは、「お・と・と・き・た・か」と鳴いているのだ

というのです。

「弟 きたか」と何回も鳴くのです。

 

むかしむかしあるところに、二人だけで住んでいる兄弟がいました。

お兄さんは体が弱くて、いつもお布団でねていました。

お兄さんおもいの弟は、毎日せっせと食べ物あつめにでかけて、栄養のあるおいしいも

のをもってかえって、自分は食べないでも、おにいさんにはお腹いっぱい食べさせてい

ました。

それがどんなに大変なことなのか、働いたことがないお兄さんにはわかりませんでした。

あるとき、お兄さんはうたがいをもちました。

「おれが毎日こんなにおいしいものを食べているんだから、弟はもっとおいしいものを

食べているにちがいない。」

そこでお兄さんは、ほうちょうで弟の腹を切って中を見てみたのです。

お腹の中には、木の葉や草などそまつなものが少ししかありませんでした。

おいしいものはぜんぶ、お兄さんにあげていたのです。

弟はしんでしまいました。

後悔してもおいつきません。なげきかなしんだお兄さんは口から血を吐くまで泣きつづ

けました。

そして、そのまま鳥になって夜の空にとんでいきました。

ホトトギスになったお兄さんは、それ以来「お・と・と・き・た・か」と鳴くようにな

ったのです。

 

兄弟げんかしたときに「なかよくしなさい。」と言って、母から聞かされたお話しです。

   

若い旅人とおじいさん

 

むかし若い旅人がいました。

長い道を歩きつづけて、ようやくひとつの村にたどりつきました。

村の入り口に、ひとりのお爺さんが石の上に腰かけてひなたぼっこをしていました。

つかれきっていた若い旅人が、ぶっきらぼうなくちぶりで、お爺さんにたずねました。

「おじいさん、この村はどんな村ですか?」

おじいさんは、その若者にたずねかえしました。

「この前の村は、どんな村じゃったね?」

わかものがこたえました。

「この前の村は、やって欲しいことを何もやってくれないイジワルなむらでした。」

するとおじいさんは、「この村もまったく同じじゃよ。」といいました。

 

しばらくすると、ちがう若者がやってきました。

「おじいさん、こんにちは。この村はどんな村ですか?」と同じしつもんをしました。

おじいさんは、まえと同じように「この前の村は、どんな村じゃったね?」とききました。

「はい、おじいさん。ここにくる前の村はみなさん親切で、とてもきもちよく過ごすこ

とができました。」というと、

おじいさんは「おお、そうかね。この村も全くおなじじゃよ。」と、うれしそうにこたえ

ました。

なぜなのでしょう?「イジワル」と「親切」ではぜんぜんちがうのです。

 

じつはこのおじいさんは「気づきの神様」だったのです。

ものごとは、自分で気づくようにならなければなりません。人が教えてはくれません。

自分勝手なことを人にやってもらおうとしても、人はてだすけはしてくれません。

でも、自分ができることはなんでもして、人の役にたとうとおもって何かをやると、そ

の行いの大変さというのがわかるようになります。

それがわかると、人のやってくれることに、感謝のきもちを持つことができるようにな

ります。おたがいさま、という気持ちです。

気持ちがつうじあうと、信頼しあっておたがいが親切にできるようになります。

まず、わかるということからはじまります。

なかよくできるようになると、しあわせになれるのです。

   

読み聞かせ童話「縄文土器とカエル」

 

今から1万5千年も昔のことになります。

日本には縄文時代と呼ばれる時代があって、開けた文化がありました。

人々が集まって住んでいた跡(あと)からは、貝塚がでてきたり、穴を掘って住んでい

た住居の跡がでてきたりします。

皆さんもご存知の、縄文土器というのも沢山出てきます。

その土器の表面には、縄の模様がくっきりと刻まれています。

なぜそのような模様をつけたのかを、一所懸命研究している学者さんも多いのです。

いろんな説があります。

縄の形からすぐに思い浮かぶのは蛇です。

蛇は何回も脱皮を繰り返し、そのたびに大きくなるので、蛇は死なないのだと信じられて、

いました。

ですから、土器の中に入れるものが長持ちするようにと願って、器の表面に蛇の模様を

つけたのではないだろうか、というのです。

蛇は、不思議な力があるのだと思われていたようです。

 

縄文土器のなかには蛙が描かれたものがあります。

蛙は神話のなかでは死の世界に近いところに住むいきものだとされていたようです。

縄文土器に描かれた蛙の背中には女性の姿が描かれていたり、赤ちゃんの顔が描かれて

いたりします。これは死の世界から命が生まれることを現わしているというのです。

縄文の人は、生と死を別のものとは考えずに、一続きのものと考えていたのではないか

いうことになります。

縄文時代中期の集落は、広場を中心にして周りを住居が取り巻いている形をしているこ

とが多いのですが、その広場には死者の遺体が埋葬されていました。

みんなの生活の場の中心に、墓地があったのです。

生の中心に死があり、死の中心に生があるというふうに思っていたのかもしれません。

 

カエルが描かれたのは、ヘビに対するのと同じように、生き物への感じ方が有ったのだ

とおもわれます。

カエルも、オタマジャクシから育って足が生え、シッポがなくなってカエルに変身します。

蛇もカエルも、決して気持ちの良いいきものではないのですが、どちらも姿を変えてい

くことで敬われていたようです。

 

カエルという生き物は、水(霊の世界の象徴)と陸(現実の世界の象徴)二つの世界で

生きることができることから、きっと「福神」や「守り神」だとしたのかも知れません。

ですから、カエルには、財運がつくという嬉しい意味も持たれるようになりました。

後の世では、カエルの夢を見るのも縁起がよいとされるようになっていきました。

カエルという言葉は、「変える」「帰る」「孵る」「買える」と同じひびきをもった言葉に

通じあいます。

日本語には、同じひびきを持った言葉は、意味があることが多いのです。

 

大きくなったら、「古事記(こじき)」を読んでみると良いかもしれません。

想像力がふくらみます。

カエルも出てきます。かえる(ひきがえる) です。

小さい神(スクナヒコ)が誰であるか、案山子(くえびこ)なら知っているだろうと教

えてくれました。

カエルの事をタニグクと呼びました。

「たにぐくのさ渡る極み」という表現で出てきます。国内いたる所くまなくという意味

です。谷をくぐるからという説もあります。

この谷は、太陽の出てくる穴、陽谷のことだと推定する人もいます。

ヒキガエルは、日招き(ひまねき)ガエルだといいます。

古代の人は、カエルに神秘性を感じていたようです。中国では、月の中にヒキガエルが

いるとされてます。毎日、形を変える月には、変態するカエルがふさわしいとしたのか

もしれません。西洋にも似たお話があるそうです。

 

   

読み聞かせ童話「シュリハンドクと茗荷(みょうが)」

 

「みょうが」という野菜があります。

親ミョウガが春に芽を出したときの茎の白い部分をミョガタケと呼び、夏になって

根元から出てくるピンク色のものを普通にミョウガと呼んで、2回食べられます。

 

 昔の人は、ミョウガを食べると物忘れするようになるから、子供には食べさせるなと

言いました。

ほんとうは、そんなことはありませんが、野菜の匂いが強いので、子供は苦手かもしれ

ません。

どうして、ミョウガを食べると物忘れするといわれたのでしょうか。

 

ミョウガはシュリハンドクというお坊さんのお墓から生えてきた植物だからだというの

です。

ミョウガというのを漢字で書くと、「茗荷」となります。

字の通り、名前を荷う(になう)ということからだというのです。

シュリハンドクは、自分の名前すら覚えられなくて、背中に名前を書いてもらっていた

というくらい、物覚えが悪かったのです。

 

シュリハンドクは、お釈迦さんの弟子でした。

朝聞いたことを夕方には忘れているなんていう程度のもものではなくて、自分の名前ま

でわすれてしまうのでした。

皆から馬鹿にされるし、自分が情けなくて、お釈迦様に相談しました。

お釈迦様は、「大丈夫じゃ。」と言って1本の箒を渡され、「これで綺麗にしなさい。」と

教えたのだといいます。

シュリハンドクは、来る日もくる日も、何十年もの間、ただひたすらお掃除に励みました。

 

ある日お釈迦様が、そこを通るときに「随分綺麗になったね。だけどまだ1箇所綺麗で

はないところがあるよ。」とおっしゃったのだそうです。

それがどこなのかわからないまま、さらに数年掃除を続けていたあるとき、はたと気が

つきました。「汚れていたのは自分の心だった。」と。悟りです。

お掃除を長くしただけで、むずかしいといわれる悟りを開いたのです。

   

読み聞かせ童話「価値のあるビリ」

 

マミちゃんは、ピカピカの一年生となって、幼稚園の時からの仲良しであるサキコちゃん

と同じ小学校に入学しました。

いつも一緒に学校に通っていました。

マミちゃんは、まだ小さくて運動は苦手でした。

夏休みがすぎるとすぐに、運動会がありました。

「かけっこ」の競技があって、5人づつにわかれて競争で走るのです。

順番をまっている間、マミちゃんは、しんぞうがどきどきしてたまりませんでした。

「よ〜いどん」いっせいに走り出しました。

マミちゃんはいっしょけんめいに走ったのですが、ビリになってしまいました。

なかよしのサキコちゃんは一番でした。

自分はビリでしたが、おともだちが一番だったことがうれしかったので、家に帰るとゴー

ルテープを切るサキコちゃんの絵をかいて、次の日に渡してあげました。

走るのはにがてでしたが、お絵かきは一番じょうずでした。

サキコちゃんは「ありがとう」といって、とてもよろこびました。

 

二年生のときの運動会も、マミちゃんはビリでした。

三年生の夏休みは、いっしょけんめい走ることを練習して、早く走れるようになっていま

した。

「よ〜いどん」いっせいに走りだしました。

夏休み中いっしょけんめい練習したマミちゃんは、一番さきを走っていました。

ところがなのです。半分くらい走ったとき、ヨチヨチ歩きの子が、お母さんが目をはな

したすきに、コースに入ってきてしまったのです。

よけようとしたマミちゃんは、大きくころんでしまいました。

ほかのお友達たちは、よこをかけぬけていきました。

大きくすりむいてしまった膝小僧はとてもいたかったのですが、マミちゃんはたちあがると、

最後まで走りました。

ビリになってしまいましたが、運動場にいたみんなが、拍手してくれました。

サキコちゃんがまっさきにかけよってきて、抱きしめてくれました。

「かけっこはビリになっちゃったけど、マミちゃんはお絵かきはいつも一番じゃない。」と

いって、なぐさめてくれました。

 

大人になったマミちゃんは、絵のコンクールで賞をとれる立派な画家になりました。

サキコちゃんは、陸上競技の選手になって、大きな大会で金メダルをとりました。

お祝いに駆けつけたマミちゃんに、サキコちゃんがいいました。

「私がここまでなれたのは、マミちゃんのおかげよ。あなたが小学校の一年生のときに描

いてくれた絵は、額に入れていつもそばに飾ってあるの。苦しいときにはいつも、その絵

が、私を励ましてくれたの。」

 

生涯を初等教育に捧げた東井義雄氏が「一番より尊いビリだってある。」と仰っています。

氏は、師範学校でマラソン部に属し、4年間ビリを独占していたそうですが、「俺はビリか

ら逃れることはできなくても、日本一のビリにはなれる筈だ。ビリが恥ずかしいことでは

ない。怠けることの方が恥ずかしい。」と言っていたのだいいます。

 

「ビリであることで卑屈になったり、心まで貧しくなったりしなければ、困っている人や弱

い人の気持ちが理解できる。全てのことにビリであることはないから、一番の分野でビリ

の味がわかる動きができる。不遇のときは、力を蓄えている時期だと信じる方が強く生き

られる。」と、常に口にしていたのだといいます。

   

童話「ほしの降る夜は」

 

まだ、学校で教えてもらっていない小さかった子供のころ、夜になると暗くなるのが

不思議でした。

空がぐるっと回って、暗い方の世界にいくのだと思っていました。

 

夜になると、空一面に星が出ます。

むかしの人は、明るい側の光が、空にあいた穴から、こぼれ出るのだと思っていました。

皆さんは、ドウダンツツジというのをご存知でしょうか?

漢字では、満天星と書きます。白い花がちりばめられたように咲く姿が、空一杯に広

がる星と似ていると感じたのです。

それと同じように、星が一杯にでている夜を、星の降る夜といいあらわします。

どちらも、素晴らしい感じ方だと思いませんか?

星が沢山出た夜には、お父さんお母さんと一緒に、空を眺めて見るのも良いことです。

 

星の降る夜には、草むらから虫の鳴き声が聞こえてきます。

スズムシだとか、マツムシだとか、ウマオイだとかと聞き分けて、静かな夜を楽しむ

ことができます。

ところが、虫が鳴いているのを声として聞くことができるのは、世界でも日本人とポ

リネシア人だけなのだそうです。

他の国の人達には、あの美しい虫の音が、雑音としかきこえないのだそうです。

もったいないことですよね。

でも、外国人でも、日本で生まれて日本で育つと、虫の声が聞きわけられるようにな

るのだそうです。

不思議ですよね。

自然と親しみ、自然を大事にしていることでやしなわれる感性なのかも知れません。

むかしの人たちの中には、自然の神様たちとお話しができた人もいたのだといいます。

   

童話「テントウムシとテントウムシダマシ」

 

お外に出ると、赤い背中に黒い斑点(はんてん)を7つつけた小さな虫を見ることがあ

ります。そうです。テントウムシです。

でも、テントウムシはこればかりではなくて、日本には200種類もの仲間がいるのだ

といいます。世界中ということになるともっと多くて、4500種類もいるのだそうです。

てんとう虫は、漢字で書くと天道虫。この天道とは、太陽とか太陽神のことをいう言葉

ですから、昔の日本人はてんとう虫のことを、神様に近いいきものだと思っていたのだ

と思います。

てんとう虫は、高いところにトコトコ登って行って、そのてっぺんから空に向かって飛

んで行きます。

その姿が、まるで太陽に向かって飛んでいくように見えるので、その名が付いたのだと

いわれています。

ハエや蚊が体に止まるのはいやがられますが、テントウムシが止まるのは、縁起が良い

といってよろこばれます。

日本人にとってばかりでなく、世界の多くの国でも、幸運をもたらすムシ、
神様の使い
としてやって来たムシとして、大切にされているようです。

アメリカでは、家の中でてんとう虫を見つけると幸運のさきぶれだと考えられていて、

その星(斑点)の数だけお金が舞い込んでくると言われていまし、フランスでは、てん

とう虫が止まると、どんな心配事も一緒に飛んで行ってしまうということになっていて、

とても喜ばれます。

ベルギーでは、若い女の人にてんとう虫が止まると、一年以内に結婚すると言われてい

るようですし、スイスでは、夫婦に赤ちゃんが授かる前ぶれだと言われています。

アジアの多くの国々では、てんとう虫は人の言葉がわかる生き物であると思われていて、

とても大切にされているといいます。

そればかりではなくて、てんとうむしは、野菜につく害虫のアブラムシやカイ
ガラムシ
などを餌として食べるので、人の生活の役に立つ益虫(えきちゅう)
でもあります。

 

ところが、テントウムシによく似たテントウムシダマシというナスやジャガイ
モの葉っ
ぱを食べてしまう害虫がいるのです。

テントウムシダマシは、褐色(かっしょく)の背中に、28個の黒い斑点があり、
テント
ウムシと比べると、色がキレイではありません。さわると、黄色い液を
はきます。

 

「だまし」だとか「もどき」だとかいって、本物になりすますものが、どんな
ところに
もいることも知っておかねばならないことになるのです。

   

読み聞かせ童話「弟切草(オトギリソウ)」

 

鮮やかな黄色い花を咲かせるオトギリソウというのをご存知でしょうか?

花屋さんなどでは、ヒペリカムという名で売られています。

日本では、これを西洋オトギリソウと呼ぶことがあります。

オトギリソウは、漢字では「弟切草」と書きます。弟を切るなんて、なにか恐い名前で

すよね。

 

その名前が付いた由来というのが伝わっています。

昔、鷹匠の兄弟がいました。

鷹匠というのは、強い鳥であるタカの仲間のイヌワシやオオタカやハヤブサを訓

練して、鳥や獣を捕らえる猟をする技を持っている人たちのことです。

鷹は獲物を捕まえる戦いをするわけですから、よく怪我もします。

兄弟は、鷹が傷ついたときの治療薬として先祖から伝わる製法で、弟切草を使っていま

したが、それは秘密であって、誰にも教えてはならないことになっていました。

ところが、あるとき弟はうっかり他の鷹匠に秘密を話してしまったのです。

これに怒った兄は、弟を斬り殺してしまいました。このエピソードから、「弟切草」とい

う名前が付いたのだといわれています。

葉っぱにある黒い斑点は、弟の血しぶきが飛んで残ったものだとされています。

 

植物の中には薬草といって、病気や怪我に効く成分を持っているものがいろいろあります。

漢方薬と言われるものは、それらの薬効を備えているものです。

オトギリソウは、果実が成熟する頃に刈り取って乾燥させたものが利用されます。

また、茎や葉っぱの絞り汁は傷口や打撲症の患部に塗ると、痛みを鎮める効果があると

されています。

   

読み聞かせ童話「棚から牡丹餅」

 

神棚の下で寝ていたら、神様にお供えしてあった、ぼた餅が、たまたま開けていた口の

中に 入ってしまいました。

略して「たなぼた」とも言いますが、思いもかけなかった幸運が、何の苦労もなく自分

のところにもたらされたときに言われる言葉です。

今と違って、昔は、ぼた餅が、とても貴重な食べ物で、 滅多に食べられませんでした。

食べたいな、食べたいなという気持ちが強くて、牡丹餅が落ちてきたらいいな、という

願いから出てきた言葉のようです。

このような幸運は、簡単に起こることでしょうか?

 

皆さんが童謡で歌って知っている「まちぼうけ」も、同じようなお話しです。

ある日お百姓さんが山の畑で働いていると、山から出てきたウサギが、坂道を駈け下り

るときに転んで、切り株に頭をぶっつけて気絶してしまいました。

それを見たお百姓さんは、何の苦労もなく兎を捕まえることができたのに味をしめ、そ

れからは、そのお百姓さんは、畑に出かけても仕事をしないで、ウサギが出てきて転ぶ

のを、寝てまっているようになりましたが、二度とウサギを捕まえることはありません

でした。

そのお百姓さんの家は、どんどん貧しくなっていきました。

何の努力も、何の働きも、何の学びもしないところには、何の幸運も訪れないのです。

   

数え方の知識

 

動物を数えるとき、どう数えるでしょう

1匹2匹、1頭2頭、1羽2羽などのように数えますよね。

お豆腐なら1丁2丁というように数えるのは知っていると思います。

 

数え方は、12個ということだけではなくて、日本語には、数の数え方にキマリがあ

るのです。

難しいかも知れませんので、お父さんかお母さんに読んでもらって、覚えておくと良い

と思います。

 

烏賊(いか)・・・・・杯(はい)兎(うさぎ)・・・羽

船(ふね)・・・・・・隻(せき)・杯(はい)

飛行機(ひこうき)・・機(き)

箪笥(たんす)・・・・棹(さお)

行燈(あんどん)・・・張(はり)         墨(すみ)・・・・・挺(ちょう)

衣桁(いこう)・・・・架(か)          刀(かたな)・・・・振・腰・

印籠(いんろう)・・・具(ぐ)          屏風(びょうぶ)・・台・双

烏帽子(えぼし)・・・頭(かしら)        掛け軸(かけじく)・・幅(ふく)

兜(かぶと)・・・・・刎(はね)         槍・・・・・・・・・筋

琴(こと)・・・・・・面(めん)、張        帷子(かたびら)・・・腰

三味線(しゃみせん)・棹(さお)、挺(ちょう)   裃(かみしも)・・・・具・領

数珠(じゅず)・・・・連(れん)         脇息(きょうそく)・・脚

矢・・・・・・・・・条・手(2本で1手)

旗指物・・・・・・・流

 

そのほか沢山あるので、だんだんに覚えていって下さい。

   

童話「ドクダミ姫」

 

みなさんはドクダミという草をごぞんじでしょうか?

濃い緑色の葉っぱで、白い花を咲かしますが、触るととても臭いので、雑草扱いされて

人は見向きもしません。

でも、昔は薬草として重宝されていたのです。

日本では、文字も無いような古くから生活の中に溶け込み、口々に伝えられてきたもの

で、その用い方も、経験や体験などによるものです。
胃腸病の妙薬として知られているのですが、何と言っても、傷が化膿したときには効き

目があるとされていました。

 

むかしむかし、あるところに貧しい若者が一人で住んでいました。

朝は暗いうちから起きだして野良仕事をし、夜は藁で縄を編んだりムシロを織って、そ

れを売ることで細々と暮らしていました。

あるとき若者が道を歩いていると、1本のドクダミが道端で今にも枯れてしまいそうに

萎れていました。

きっと薬草取りが落としたことに気づかないまま行ってしまったに違いありません。

若者は、そのドクダミを拾い上げると、人通りが少ない土のところにそっと植えて、持

っていた竹筒に入った水を注ぎかけてあげました。

若者はその道を通ることがあっても、そんなことはすっかり忘れていましたが、ドクダ

ミは元気に根付いて、そこに株を沢山増やしていました。

 

あるとき、若者は山へ薪取りに行ったのですが、切り株で怪我をしてしまいました。

大したことはないと手当もしないで放っておいたのが悪かったのか、傷口が化膿して腫

れあがってしまい、おまけに熱も出て、起き上がることもできずウンウン唸って寝てい

ました。

あばら家の戸口の板戸をほとほとと叩く人がいて、返事もできずにいると、若くて綺麗

な女の人がすっと家の中に入ってきました。

寝ている若者の傍にいくと、持っていた袋の中からドクダミの葉を取り出して囲炉裏の

火でそれを焙って柔らかくなったのを傷口に貼りました。

しばらくすると、傷口からウミが沢山吸い出されてきました。

若者が元気を取り戻すまで、何日もそれこそつききりで看病しました。

若者は、女性の親切に心からのお礼を言いました。

「見ず知らずの貧しい私を、これほどまでにお世話をして下さり有難うございました。」

すると女性は「あなたは覚えていないかも知れませんが、私もずっと前に助けていただ

いたことがあるのです。」と答えました。

ところで「あなたは私の匂いがお嫌いではありませんか?」と女性は若者に尋ねました。

「どうしてですか?とても良い匂いがしますが。」と若者が答えると、「それでは私をあ

なたさまのお嫁さんにして下さい。」と言いました。かすかにドクダミの香りが漂ってい

ました。

美しいお嫁さんの奨めるままに、若者は薬草取りになりました。

お嫁さんは、薬草が生えている場所をとてもよく知っていました。

質の良い薬草を取ってくることが評判になり、若者の商売は繁盛して、夫婦は幸せに暮

らしました。

   

童話「太郎ちゃんのお散歩」

 

太郎ちゃんはまだ幼稚園に上がる前です。一つ年上のお姉ちゃんマミちゃんと一緒に、

お祖母ちゃんに連れられて、近所のシャクジイ公園にお散歩に出かけました。

大きな池をぐるっと回る途中に、弁天様をおまつりしたお堂があって、その傍の東屋の

ベンチが、いつもの休憩所です。

そこに着くと、黄色い小さなリュックサックを降ろして「ぼく、ジュースを飲む。」とお

祖母ちゃんに言いました。

マミちゃんも小さな赤いリュックサックを肩から降ろしました。

お祖母ちゃんはにこにこ笑いながら優しく手伝いました。

東屋には、太郎ちゃんのお祖母ちゃんより少し若そうなおばちゃんとおじちゃんが、先

に休んでいました。

太郎ちゃんは、ジュースと一緒にアンパンも取り出しました。

太郎ちゃんは、そのアンパンを小さな手で二つにちぎると、その一つをおばちゃんに差

し出しました。

「あら、分けてくれるの。ありがとう。」と言っておばちゃんは喜んで受け取ると、それ

をまた半分に分けておじちゃんに渡しました。

「じゃあ今度はおばちゃんからのお返しね。」と言って、自分で焼いて持ってきていたシ

フォンケーキを3切れと、チョコレートをあげました。

「ありがとう」ときちんとご挨拶して、お祖母ちゃんに渡しました。

五人はすっかり仲良しになりました。

「一緒に鯉にも餌を上げましょう。」とおばちゃんが言って、パンクズを太郎ちゃんとマ

ミちゃんに手渡しました。

池にいた大きな鯉たちも大きな口をあけて、喜んでたべました。

   

童話「きもだめし」

 

信濃の国(現在の長野県)の伊那谷に、高丘の森と呼ばれているところがあります。

そこは、昔の豪族のお墓であったとされる前方後円墳です。

古びてはいても、荒らされてはいないで、地元の人たちが敬い畏れている場所でした。

道からすぐに見えるところに、大きな石を組み合わせて造られた石室の入り口がみえます。

その石室に丑三つ時(午前2時頃)に入ると、壁の一部に穴が開いて、そこから4キロ

メートルも離れている山まで通じているのだと言い伝えられていました。

でも、なんとなく薄気味悪くて、誰もそれを試してみたことはありませんでした。

 

太郎は、いじめられっ子でした。子供たちが集まるといつも泣かされていました。

あるとき、ガキ大将が子供たちを集めて「肝試し」をすると言いだし、太郎にも参加す

るようにと命令しました。

「肝試し」というのは、度胸があるかないかを競う遊びです。

大抵は、お墓や深い森など、人が恐れて近づかない場所を選んでおこなわれます。

今回は、高丘古墳の石室が選ばれました。

ガキ大将が一番最初に穴の中に入って行ったのですが、怖くなってしまって、1分もし

ないで出てきてしまいました。

次々に順番で入って行った子たちも似たようなもので、青い顔をしてすぐに出てきてし

まいました。

最後は、太郎の番でした。太郎も恐ろしくて仕方ありませんでしたが、いつも勇気を出

すところを見せないから、皆に馬鹿にされるのだということは、自分でもわかっていま

した。今回は頑張ってみようと決心していました。

穴に入ってしばらくすると暗闇に目が慣れてきました。石の壁に寄りかかっていると、

そこが突然開いて、別の穴が通じていることに気がつきました。

太郎は勇気を出すと、その穴の中に足を踏み入れて、先に進んでみることにしました。

穴は光苔(ヒカリゴケ)にでも覆われているのか、ほのかに明るかったのです。

どんどん進んで行くと少し広い場所があって、そこが行き止まりでした。

小さな石の棚があって、その上に小判が何枚か乗せられていました。

肝試しというのは、目的地まで行ったという証拠を持って帰らなければならないのが決

まりなので、その小判を1枚懐にいれると、太郎はもと来た道を帰ることにしました。

太郎が外に出てみると、ガキ大将をはじめとする子供たちは、誰一人残っていませんで

した。

太郎がいつまでたっても穴から出てこないので、みんな恐くなって逃げ帰ってしまって

いたのです。

仕方がないので、太郎は一人で暗い道を歩いて家に帰りました。

翌朝になると、子供たちが恐々太郎の家を覗きに集まってきました。そこに太郎が顔

を出すと、みんな安心して太郎の勇気を褒め称えました。

それからは、太郎がいじめられることは決してありませんでした。

小判は、太郎の一生の宝物になりました。

   

童話「かわらんべ」

 

「かわらんべ」とは何のことでしょう?

そうです。河童(かっぱ)のことです。「かわわらべ」と漢字では書きます。

信州の天竜川には「かわらんべ」が住んでいて、川の深いところで泳いでいるとかわら

んべに引き込まれて溺れてしまうから気を付けるようにと、大人たちは子供に教えまし

た。河童は、人間の尻子玉が好物で、それを抜かれると人間は死んでしまうのだという

ことで恐れられていました。

誰が見たのか、河童の体格は子供のようで、全身が緑色をしていて、頭のてっぺんには

丸い皿がついているのだと言われていました。

そのお皿は円い形をしていて、いつも水で濡れており、皿が乾いたり割れたりすると死

んでしまうのだとも言われていました。口は短いクチバシのような形をしていて、背中

には亀のような甲羅を背負っていて、手足には水掻きがついているので、泳ぎは早いの

だと言い伝えられていました。

見たこともないのに、河童には肛門が3つあり、傍によると生臭いと、まことしやかに

いう人もいて、子供たちは川で遊ぶときには注意されなくても、流れの速いところや深

いところには近づかないようにしていました。

昔の大人たちは野良仕事が忙しくて、子供たちと一緒に遊ぶことができませんでしたか

ら、子供たちが自分で気を付けるようにさせるためには、いろんな知恵を働かせたのだ

と思われます。

   

童話「舞い降りた神様」

 

マミちゃんは勇気を出して、いつも通りすがりに見ているケーキ屋さんに入りました。

ショーケースに並べられているケーキは、どれも高そうでした。

初めて一人でするお買い物です。自分の持っているお金で買えるかどうかわからなかっ

たので、心配だったのです。

まだ小さいマミちゃんは、おこずかいというものがなくて、ポケットの中には百円玉が

2枚と50円玉が2枚、それに10円玉が8枚入っているだけでした。

制服を着た若い女性の店員さんが、入ってきたマミちゃんを見て「いらっしゃいませ。」

と声をかけました。

「あの〜、“けえき”を一つ下さい。」

緊張して固くなっているマミちゃんに、優しく「どんなのがよろしいですか?」と言い

ながら、「一人なの?ママはどうしたの?」と尋ねました。

「あのね、今日はママのお誕生日なの。いつもマミの分しか買わなくて、自分は食べな

いママにプレゼントしたいの。真っ赤なイチゴが乗っているのがいいの。」と、一所懸

命に話しました。

店員さんは、小さな女の子がお金を沢山持っていないことは解っていましたので、一番

安いものを取り出しました。

「480円でございます。」

マミちゃんは、ポケットの中で握りしめていたお金を1枚ずつガラスケースの上に並べ

ました。でも、百円たりません。

「ごめんね。これではお売りできないの。」と、店員さんは自分が悪いわけでもないのに

謝って、とても気の毒そうな顔になりました。

お店のあるじではないので、おまけするわけにはいかないし、自分もアルバイトしてお

金を稼いでいる身なので、立て替えてあげるわけにもいきません。

中に居てやりとりを見ていたお客さんたちも、マミちゃんの気持ちを考えると、お金を

出してあげることはとても失礼なことになると思って困っていました。

マミちゃんは小さいけれど、自分の持っていたお金では買えないことはよくわかってい

ました。

「すみませんでした。」と言って引き返そうとしたのですが、悲しくて涙が溢れました。

それで、入り口のマットにつまずいて転んでしまい、お金はそこらじゅうに散らばって

しまいました。

中にいたお客さんたちが全員駆け寄って、一人のおばちゃんは転んだマミちゃんを抱き

起して、擦りむいた膝小僧を、ハンドバッグから取り出した真っ白なハンカチで手当て

しましたし、他の人たちは散らばったお金を拾い集めるのを手伝いました。

外にまで転がってしまったお金を探し出したのは、若いお兄さんでした。

「さあ、これで全部かな?数えてみてごらん。」といいました。

マミちゃんが数えてみると、百円玉が1枚多かったのでした。

「百円多いのだけれど。」とマミちゃんが正直に言うと、みんなが口を揃えていいました。

「きっと、最初からポケットの底に隠れていたんだよ。」

そして、「これでケーキが買えるね。きっとママが喜んでくれるね。」とにこにこ顔で言

いました。

マミちゃんは、みんなに「ありがとう」と、ていねいに頭を下げてお礼をいいました。

店の外に出ると、太郎おじさんが通りかかって声をかけました。「おっ、マミちゃん一人

でお買い物か。」太郎おじさんはママの弟で、いつも可愛がってくれます。

「おじちゃんね、いま天使様が舞い降りて助けてくれたの。」と、ケーキ屋さんでの話を

しました。マミちゃんはそれがどんなことかわかっていたのです。

おじさんはそれを聞くと「ケーキはマミの分がないのだろう?おじさんのぶんも一緒に

買おう。」と言ってケーキ屋さんまで引き返し、中に残っていたお客さんたちにも丁寧に

お礼を言いました。

   

読み聞かせ童話「鍾馗(しょうき)様」

 

5月5日の端午の節句は、男の子のお祝いをします。

外には鯉幟や吹き流しを立て、部屋の中には鎧兜や弓矢や刀、金太郎の人形などを飾り

ます。その他にも髭をぼうぼうに生やし恐い顔をした鍾馗様の人形も飾ります。

鍾馗様とはなんなのでしょう?

もともとは中国の唐の時代に実在した人物だと言われていて、どうして崇められるよう

になったのかという説話が残っています。

ある時、唐の6代目の皇帝であった玄宗が瘧(おこり、マラリア)という病気にかかり、

床に伏せってしまいました。

玄宗皇帝は、高熱のなかでうなされているときに夢を見ました。宮廷内で小鬼が悪戯を

して廻っていると、どこからともなく大鬼が現れて、小鬼を難なく捕えてて食べてしま

ったのです。玄宗皇帝が、大鬼に「あなたは何者なのですか。」と、その正体を尋ねると、

「自分は終南県出身の鍾馗という者です。官吏になるため科挙を受験したのですが落第

してしまったので、そのことを恥じて宮中で自殺してしまったのです。

けれども高祖皇帝が自分を手厚く葬ってくれたので、その恩に報いるためにやってきた

のです。」と告げました。

夢から覚めた玄宗皇帝は、病気が治っていることに気付きました。

感謝した玄宗皇帝は、著名な画家に命じて鍾馗の絵姿を描かせました。その絵の出来上

がりは素晴らしくて、玄宗皇帝が夢で見た通りの姿でした。

その話が日本にも伝わって、鍾馗を五月人形にしたり、近畿地方では魔除けとして鍾馗

像を屋根に置く風習が見られるようになりました。

京都市内の民家や商家などでは、現在でも大屋根や小屋根の軒先に、瓦製の鍾馗の人形

が置いてあるのを見かけることができます。

これは、京都の昔話に出てくるお話しとしても有名です。

昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を屋根に葺いたところ、向かいの扇家の住人が突如原因

不明の病に倒れてしまいました。薬屋の鬼瓦に跳ね返された百鬼という悪い妖怪たちが

向かいの家に入ったのが原因だと判り、百鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けとして屋根

に据えたところ、住人の病が完治したのが謂れとされています。

日本人は昔から、人に優れた力を持つ人を尊敬し、特に優れた人は神様として祀りました。

それは、日本人であるかないか、宗教が違うかどうかなどということには関係ありません。

優れたものは素直に認め、それを尊敬し、それに肖ろう(あやかろう)としてきたのです。

   

読み聞かせ童話「蛙の子」

 

「蛙の子は蛙」という諺があります。

「何事も、子は親に似るものだ。凡人の子は凡人である。」という意味で使われます。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」というのも同じような意味です。

これを英語では“like father, like son”(この親にしてこの子あり)というように表

現されているようです。

確かに、外見上はそうなるに違いありませんが、人間は持っている才能を磨くことで、

立派な大人に成長することができます。

「鳶が鷹を産む(平凡な親がすぐれた子どもを生むことのたとえ)」という表現がされ

ますが、親も子も努力をしたり環境を整えることでそうなることができるのが、ほかの

動物と違うところです。

ですから、「蛙の子は蛙」というのは、形態、機能、特徴は親から子へと遺伝子によっ

て伝えられていくものでありますから、自然界で起こる当たり前のことをいっているだ

けの諺ということになります。努力をしても無駄だ、ということでは決してありません。

猿はいつまでたっても猿ですが、人間は違うのです。

心というものの働きがあって、高い志をたてて日々努力すれば、理想の姿に近づくこと

ができるのです。それは、自分一人だけのことではなくて、周りの人たちをも高めるこ

とができるのです。

そうは言っても、人間はどうしても怠け心というのが出てきてしまいます。でも、それ

に負けないで励んでいると、段々に幸せに近づいていきます。

歴史上に名を遺した人たちは、文化や学問や芸術やスポーツに限らず、そうした努力を

し続けたのです。

鳶の子が鷹になることは実際にはありえませんが、人が精神的な中身を育て上げて立派

になることはできるのです。それは、人以上の人ということができます。

   

読み聞かせ童話「かたつむりの角の上での争い」

 

まだ小さいうちは解らないと思いますが、「蝸牛角(かぎゅうかく)上の争い」という諺

が有ります。大きくなって漢文などを習うことがあれば、出てきます。

蝸牛というのはカタツムリのことです。

カタツムリの角の上のような狭いところで何をこまごま争うというのか。人生は火打石

の火のように短いのだから、大所高所からものごとを見て、争わずにすむようにしたら

どうなのか、というような意味になります。

似たような言葉としては「小異を捨てて大同につく」というのがあります。

誰もが自分のことばかり主張していては、何事もまとまりません。大勢の人が良いとす

るところで折り合いをつけようとする知恵です。

民主主義などという言葉などまだなかった時代の中国のお話しです。

(本来の意味とは少し違った説明になっているかも知れません。)

 

この諺を目にするのは、白居易(はくきょい)という中国の詩人の

對酒(さけにたいす)】という漢詩です。

蝸牛角上争何事(かぎゅうかくじょう なにごとをかあらそう)

石火光中寄此身(せっかこうちゅう このみをよす)

隨富隨貧且歓楽(とみにしたがい まずしきにしたがいて しばらくかんらくせよ)

不開口笑是癡人(くちをひらきてわらわざるは これちじん)

 

この詩の意味はカタツムリの角の上のような小さい所で、いったい何を争うのか。

(この世の人は)火打石の光の一瞬の中に身を寄せているようなものだ。

富めば富んだで、貧しければ貧しいなりに、しばらく楽しもうではないか。

口を開けて笑わない者はバカだ。

 

この詩ができたのには、その前のお話しがあるのです。

中国の戦国時代、魏(ぎ)の恵王(けいおう)は斉(せい)の威王

(いおう)と盟約を結んだのだけれど、威王がこの盟約を破った。

これに怒った魏の恵王は威王に刺客を送ろうと考えました。 それを

知った公孫衍(こうそんえん)はこれを恥ずべきことと思い、王に言

いました。

「王は多くの民の主だというのに、身分の卑しい男がするような方法

で恨みを晴らそうとされている。 私に二十万の兵をお与え下されば

斉を攻めて 人民どもを捕虜にし、家畜を捕獲し、その君主の背に内

熱を発生させ、斉の国を攻め取って見せます。将軍の田忌(でんき)

が逃げ出すのなら、背後からこれを討ち、その背骨を打ち砕いてご覧

にいれます。」と申し出ました。

これを聞いていた季子(きし)は、恥ずかしく思い「八十尺の城壁を

築くのに、すでに七割がた築いている。これをまた壊すとは、工事人

夫を苦しめるものに他なりません。 今、七年間戦がないのは君が王

者となられるための基礎です。公孫衍は国を乱す者です。お聴き入れ

になってはなりません。」と言いました。

華子(かし)がこれを聞くと、また恥ずかしく思い、言いました。

「斉を討伐しようと巧みにに言い立てる者は、世を乱す者ですが、ま

た討伐してはならないと巧みに主張する者も、世を乱す者です。

そして、討伐論者も討伐反対論者もともに世を乱すものだと言うこの

私も、また世を乱す者です」

魏王は、「では、どうしたらよかろうか」と問いました。

「王は、真実の道を求められることです。」

恵子(けいし)はこれを聞くと、戴晋人(たいしんじん)という賢人を

恵王に引き合わせました。

戴晋人が言いました。

「王は、蝸牛(かたつむり)というものをご存知ででしょうか。」

「おお、勿論知っておるとも。」

王が即座にそう答えると、戴晋人は次のような話を語った。

「この蝸牛の左の角の上に触氏(しょくし)という者が国を構えてお

りました。 また、右の角の上にも国を構えている者がおり、これを

蛮氏(ばんし)と申しました。 あるとき、両者は領土をめぐって争い、

激戦のため死者が数万人にものぼりました。

そして、逃げる敵を十五日間にもわたって追いかけた末、ようやく引

き上げました。」

「なんだ、作り話ではないのか。」と王がいうと、

「では、私がこれを真実の話にして差し上げましょう。」と言い、

「王は、この宇宙の四方上下に際限があると思われますか。」と尋ね

ました。

「際限はなかろう。」

「ならば、この際限のない宇宙の中に心を解き放てば、我々の往来し

ている国などは、いかがでしょう。取るに足らないものなのではあり

ませんか。」

「そうかも知れぬ。」

「この往来できる国々の中に魏という国があり、魏の中に梁(りょう)

という都があり、梁の中に王がいらっしゃる。この宇宙の中で、王と

蛮氏との間でどれほどの違いがございましょうか」

 

ものを考えるというときは、全体像と細部の両方をみなくてはならな

いのです。

   

児童向け読み物「お地蔵様」

 

お寺の境内や道路の辻などいろんなところで、お地蔵様をみかけることがあります。

地蔵菩薩が本来居るところは、仏教世界でいうところの兜率天といわれる高い場所だと

いわれています。

地蔵場札は、お釈迦様が死んでしまうと現世に仏が不在となってしまう為、57600

年後か567000万年後に弥勒菩薩が出現して人々を救うことができるようになるまで

の間、お釈迦様の依頼を受けて六道すべての世界(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・

人道・天道)に現れて衆生を救うことになった菩薩であるとされているのです。

どんなところにも自由に行き来できますし、その場その場によって姿を変えて現れるの

だといわれています。

自分のことではなく、人々を救うということがお役目です。

人々は親しみをこめて、「お地蔵さま」とか「お地蔵さん」と呼びますが、正式にはイン

ド生まれの 地蔵菩薩は、サンスクリット語(インドの古典言語)で、クシティ・ガルバと

いうのだそうです。

クシティは「大地」、ガルバは「胎内」という意味があることから、「大地の母胎」を意

味する漢字に意訳して 地蔵 と言われるようになったのだそうです。

色々なものに姿を変え、人々の苦悩を大きな慈悲の心で包み込み救って下さるのですが、

妊婦の安産を守護すると言う「子安地蔵」、災難にあった人の苦しみを身代わりになって

引き受けてくれる「身代わり地蔵」、集落や村の境界や道の辻を守る「道祖神」としても

祀られているので、特に身近な仏像として知られています。

六道 (地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道)で生まれ変わりを繰り返し、そ

こで苦しむ人々を救ってくれると言わている六体並んだお地蔵様を「六地蔵」と呼びま

すし、生まれる前の水子(中絶、流産、死産してしまった胎児)の供養の役割をするのが

水子地蔵です。

それなのに人間は、どうしても損得でものを考えがちです。損得を考えるのが悪い事だ

とはいいませんが、どんなことでも行き過ぎると苦しみを生みます。

自分の中にいる神様がそれをご存知だから、少しは反省しなさいといっているのかも知

れません。

日本のように長い歴史があって、お互いに助け合って生きてきた国の人々は、いざとな

ると、自分のことを抜きにしても人様のために尽くそうとする人が大勢現れます。

日本では当たり前でも、世界の人々は、それを見て驚くのです。

長い間に培われた文化は、自然に人間性を高めているのです。

   
   
   竹内応身 mail : take@kng2321-cbs.com 

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