*時代小説* 

不器用者の義

 

百神意 応身

 

 一つ人里離れても 二つ不思議な縁により 三つ見えない糸でさえ 四つ横

にも結ばれる 五つ幾重の網を抜け 六つむこうにたどり着く 七つなかなか

切れません 八つやっぱり切れません 九つ越えていくのには 尊い気持ちが

いりまする

 

余の乳母が、子守唄がわりによく歌っていた数え歌じゃ。「信を得るには、自

らも義を大切になさいませ。」というのが口癖だった。

 家臣が忠義心だけで主君に仕えているなどというのは、忠義一筋であった乳

母であっても信じてはいなかった。既得権益を得ている家臣たちは、表向きは

忠義を唱えても、守るべき自分らの利得があれば、何かと尤もらしい理屈付け

をして、それをみすみす手放すことはしない。守るものが有る側は、いつだっ

てそのことに真剣だから強い。

 主君として据えるのには、御しやすいに越したことはない。嫡男でありなが

ら、なかなか世子となれなかったのには、幼少とはいえ、彼の普段の言動が彼

らにとって煙たい存在となる可能性があったからであろう。

 少年のころから馬を駆って藩内各地を走り廻ったから、意識してのことでは

ないにしても、目に触れることの中に改革の必要性を感じていた。

 ただ、一寸法師のように針の刀だけでは螳螂の斧にも等しく、何もできない

のだということは判っていた。いかに主君と謂えど一人の力でどうにかなるな

どということはなく、志を建てそれを現実にするには、信頼できる家臣を身近

に集めるよりなかった。

 

幼き頃に、その乳母がよく語ってくれた昔話のあらかたはこうである。

むかしむかし、ある所に子供のいないおじいさんとおばあさんが住ん

でおりました。ある日のこと、二人は一寸ほどしかない小さな赤ん坊

を拾い、「一寸法師」と名付けて育てることにしました。一寸法師は賢

くて親孝行な子でしたが、いつまでたっても大きくなりませんでした。

鄙の里にて育てられていた一寸法師は、十五歳頃になった時、田舎

暮らしの狭い所だけではなく、広い世の中を見るために都へ出たいと

言い出しました。おじいさんもおばあさんも、乱れた都に一寸法師が

行くことにはとても心配でしたが、一寸法師の決心が固そうだと思い、

縫い針の刀と麦藁の鞘を作って持たせ、お椀の舟に箸の櫂で川を下っ

て都へ旅立つ一寸法師を見送りました。

一寸法師は一所懸命一人で櫂をこぎ続け、ようやく都へ辿り着きま

した。そうして、都で一番立派な屋敷の前に立ち、屋敷の主人に雇っ

てくれと頼んだのでした。屋敷の主人は、小さい体に大きな志を持っ

た一寸法師に感心して、姫様の家来として雇うことにしたそうです。

何年か経ったある日のこと、一寸法師は姫様のお伴をして観音様に

お参りに行きました。その帰り道に突然二匹の鬼が現れ、姫様を攫っ

て行こうとしたのです。一寸法師は刀を抜いて立ち向かいましたが、

鬼は小さな一寸法師を頭から馬鹿にして、一口で丸飲みにしてしまい

ました。

一寸法師は鬼のお腹の中で暴れまわり、針の刀をそこら中に突き立て

て、たちまち鬼を降参させてしまいました。一寸法師は急いでその鬼

のお腹から飛び出すと、もう一匹の鬼の目を針の刀で突き刺して、こ

れもたちまち降参させてしまいました。鬼どもはすっかり恐れ入って、

なんでも願いの叶う「打ち出の小槌」という宝物をその場に残して、這

う這うの体で逃げて行きました。

一寸法師は、手に入れた打ち出の小槌を振ることで大きく立派な体

になり、望まれて姫様の婿になりました。出世が叶った一寸法師は、

故郷のおじいさんとおばあさんを都に迎えて、一生幸せに暮らしたと

いうことです。

「目出度し目出度し」。何度聞いても他愛もないお伽話を、飽きるこ

となくせがんだものじゃった。「打ち出の小槌」というものを、大き

くなれば、いずれは自分も手に入れられると思っていた。努力するこ

とで美しい姫君と出会い、その縁で力を得て達成することができるも

のがあるのだと、不遇の中でも信じていた。


 

「其の方儀、明朝より出仕に及ばず。永の暇遣わす。上意である。」

信任厚かった主君清河甲斐の守重郷よりの直接の申し渡しではなく、面前に

平伏する前田平八郎に対して、家老清河玄番からの通告であった。

障子越しに差し込む光の織り成すさまは、まるで慶事に相応しく思えるほど

明るかったが、張り詰めた緊張感は、それを打ち消して余りあった。

傍らには裃姿の目付木村主水と藩剣術指南役佐川新之助が控えていた。

主君の嫡男清河重頼の傳役として文武両道を鍛えることに身命を賭してきた

身にとって、理由も告げぬ理不尽とも言える処断であった。

家老清河玄番は袴を鳴らして立ち上がり、退出するとき平八郎の傍らを摺り

抜けながら、小声で「内々にその方に話したいことがある」と囁いた。

導き入れられた部屋は主君が休息をとる部屋の次の間であり、襖一枚を隔て

てそこに甲斐の守が在室していることを窺がわせていた。

「襖近くまでもそっと寄れ」と促され、平八郎は膝行してにじり寄った。

襖越しに声があった。

「理由も明かさずの上意では、納得できかねることは重々承知いたしておる。

義に悖ることも解っての上じゃ。なれど、繕った理由を告げたらその方のこと、

必ず腹を切るに決まっている。それでは余は困窮してしまう。それは絶対に避

けねばならぬ。その上でさらに身勝手な申じ条ながら、是非とも頼みたいこと

があるのじゃ。余人をもって代えられぬ。その方だけが頼りなのじゃ。殿様と

言ったところで、余の意のままにはならぬことは多い。知っての通り、余と奥

とは政略結婚じゃ。嫡男はもうけたが、心が通い合って仲睦まじいということ

には至っていなかった。不満を愚痴っても仕方ないが、見染めて側に仕えさせ

たお綾は、心慰む救いであった。それでも憚りあることとして、城に上げるこ

となく下屋敷住まいとしたが、此度その綾が懐妊いたした。

されど、城にて部屋を与えることはないから、お方様と呼ばれることはない

かも知れぬ。奥が悋気を起こしたのだとは思わないが、余の不徳があらぬ疑い

を持たせ、奥の実家が暗殺者を遣わす恐れが出来し、わが藩にも呼応するもの

があるとの密告があったのじゃ。お綾の子が男子か女児かもわからぬというの

に、今から世継ぎ争いでは何ともならぬ。

下屋敷では警護もままならぬゆえ、宿下がりと称して下屋敷から去らせる。

その先はその方の才覚で匿い通してほしいのじゃ。後日召し出す折に不都合

があってはならぬから、念のために家宝の短刀と、書付を綾に渡しておく。身

勝手な頼み事ながら曲げて引き受けてくれるよう、この通りじゃ。」手をついて

頭を下げている姿がひしひしと伝わってきた。

 自分が跡目争いの渦中にあったことを思えば、それを避けたいとするのはや

むを得ない仕儀かも知れぬが、狭量にすぎる。それで禍根が絶てるとは思えな

かった。せめて、心細かったであろう奥方への配慮が足りなかったという心情

を述べた方が、平八郎の心に届いたであろう。

 それにもまして、綾様のことをどう思っているのか?心慰む救いであったと

自分の都合を聞かされても、それは偏に綾様の心根の優しさが齎したものであ

って、重郷がそれに対して人としていかに報いていたかは解らぬ。殿様だから

良いのだというわけではあるまい。

 

 そもそもが、平八郎が主君を信じて仕えようと思ったきっかけは、儒学に基

ずく忠義心からではない。

 城に上がることになったとき、父に聞かれたことがある。

「平八郎、若殿の側に仕えるとなったら覚悟というものがあろう。求められる

ものは何だと心得る?」

「はい、忠義を尽くすということかと。」

「ならば、その忠とはなんぞや?」

「はい、滅私奉公ということかと。」

「うむ、それはそうかも知れぬが浅い。忠とは信じるということじゃ。信ずる

というのは殿様に対してだけのこととは違う。大義を信ずるということじゃ。

、臣不以不一レ臣』と言われているが、武士というのはそれでは

足りぬ。義に殉じるということでなくては叶わぬ。己の保身を図り義に悖ることの

ないように身命をかけることじゃ。時には面を侵して諫言もしなくてはなるまい。

しかし、義は必ずそれを継ぐものが現れる。だから信なのじゃ。」

 

 後に主君となった重郷に小姓としてあがってより、平八郎は常に側近くにい

た。

或る日、例によって遠乗りに出かけた。そこで山裾の崖下に倒れ伏している

女児を発見した。

「これ如何致した。しっかり致せ。」と声をかけた重郷が、腰から印籠を外し気

付け薬を取り出して口に含ませ、鞍に括り付けてあった竹筒の水で流し込んだ

ことがあった。

 領民には違いないが武家の出とは見えぬ者に対して、泥にまみれながら咄嗟

にそれをなした重郷を見て、役目柄だけではなく、信じて仕えようと思った最

初である。己のことのみにとらわれず、民に寄り添う心根があるのだと思えた

のである。

 しばらくして息を吹き返した娘は「見苦しいさまをお目にかけて申し訳あり

ません。どなた様か存じませんがご厄介をおかけしました。」百姓とは思えない

挨拶であった。

「如何いたしたのじゃ。」

「はい、母のいない私を親切に育てて下さっている奥方様が高熱を出して寝込

まれてしまったので、山中に薬草を採ろうとしていて足を滑らしてしまったの

でございす。」

「幼いのに感心じゃ。足を痛めているようだから、家まで送ろう。」

 平八郎が背中に負ぶい、杣道をしばらく上ると、人目には触れそうもない小

さな家が森の中にたたずんでいた。

「さと!一体どうしたのだ?」その家の家士らしい老僕が飛び出してきた。そ

の者の孫なのだといい、地面に伏して礼をのべた。

 その家の女主人も、事情を聞くと布団から起き上がり、丁重に礼を述べた。

 由緒正しき身分であったことを窺がわせた。

 

翌日より平八郎の行方は瑶として知れぬことになったのであるが、主君に対

しての諫言が厳しすぎて勘気を蒙ったのだと噂されるにとどまり、いつの間に

か人口に膾炙されることもなくなった。

 

空に架かった十六夜の月から降り注ぐ柔らかい光の粒は、まるで雪のように

散り敷き、あたりを茫と浮かびあがらせていた。

初老に近いとも見える身形の夫妻と思しき二人が、互いを気遣いながら家路

を辿っていた。どちらかといえば、夫の方が妻を護る体に見えた。

人里離れた山間に簡素な家を構え、実を明かせば預かり人でもある子を、そ

の出生の経緯を本人に明かすこともなく、夫婦の子として育てているのである

が、その子の無事な成長を祈願するため、毎月一度日を決めて、山頂にある神

社参拝をしているのを秘かに終えての帰りであった。

魑魅魍魎が行きかうと噂されるその山間部には、人影というのはない。しか

し何者かに警護されているのだという微かな気配を、夫妻は感じ取っていた。

 

 奈津と名付けられたその子は、5歳を待たず母から文字を習い始め、合わせ

て和歌なども女子の嗜みとして躾けられていた。茶の湯と生け花は、奈津がお

ばあちゃまといって慕うその家の老女の薫陶を受けた。美しさは母譲りで、成

人したらいかなる花であっても及ばないだろうと思わせた。

 6歳を過ぎるころになると、父は四書五経の手ほどきをするようになり、素

読することを日課にさせた。男子に教えるときほど厳しくはなかったが、奈津

はことのほか興味をもって、漢字の持つ意味を吸収していった。

 母は、女性の身にとってそれが如何なる意味を持つのか不審がりながらも、

学ぶことには異を唱えなかった。合間に母や祖母に甘える姿は、何物にも代え

がたく愛くるしかった。

 10歳をすぎ足腰の据わりがよくなってくると、小太刀を教え始めた。母は

武家の女性の嗜みとして懐剣の使い方を稽古した覚えはあるが、それは相手を

斃す技前を身に着けるというより、いざという時の自害の作法を学ぶに近かっ

たから、なぜに小太刀を習わせるのか訝しんだ。このまま人里離れて静かな暮

らしを続けることに何の不足も覚えていなかったからである。

 探し出されて城からの迎えが来たとしても、帰る気は微塵もなかった。縁が

なかったこととして、気持ちの収まりはとうにつけていた。


奈津はすくすく育って、15歳となっていた。小太刀は山野の立ち木を相手

に一人で女性とも思えぬほどの筋力を鍛え、技は父からの稽古を受けて、他に

比べるものとてないからどのくらいの力倆か自分では判らないが、竹刀を取っ

ての稽古であれば、3本に1本は父親に打ち込めるようになっていた。

 そんな奈津を見ている綾は、この子が武家社会に馴染めるとは思っていない。

何より、自分の好きなことに素直に打ち込み、その気持ちを屈託なく周りに伝

えて納得させてしまう自由さは、このまま野にあった方が良いのだと信じさせ

た。綾は、これまでの自分を思い返してみるに、好きなことを好きだと素直に

口にできたことが一度たりともなかった。幼いころから周囲に大事にされたが、

それはどこか腫れ物に触るような接し方にとどまり、何かを望まれるという喜

びはなかった。だから重郷に望まれて側近くにあがることになったとき、必要

としてくれる人が出てきただけで嬉しかった。

 

 清河重郷は、若かりし頃は武人の嗜みでもある鷹狩を好み山野を駆け巡った。

供周りには近習時代から共にあった前田平八郎が必ずといってよいくらい付き

従った。

 主君である重郷は、若殿であったころから平八郎を家臣というより友として

考えている節が多々あったが、平八郎が範をこえることは決してなかった。

危険が及びそうになると、平八郎が身を挺して庇うのが常であったが、重郷

は「その方はいつもそうじゃ。余とていつまでも子供ではないぞ。」と鼻を鳴ら

すのであった。

領境に私邸を構える藩の付け家老である柳沢備前の屋敷に休息がてら立ち寄

ったことがあった。むかし清河藩が城持ち大名として封じられたのには、この

付け家老の力が大きい。

休息とは言いながら、表敬訪問を兼ねていたことは否めない。表向きは家臣

とはいいながら、決して軽んぜられる家柄ではなかったのである。

 ところが、そこで重郷は茶の湯の応対に出た柳沢家の姫である綾に魅了され

てしまったのであった。綾は柳沢備前の正妻の子ではない。それもあって幼少

期を過ぎると私邸で育ち、人前に出ることは殆どなかった。

 幼き頃の綾は、平八郎の家の庭に咲く文目が自分の名に因むと思ってか、供

の侍女も連れず一人で庭先に遊びに来た。平八郎が遊び相手として気に入って

いたらしく、あどけない笑顔は見る者の誰をも虜にした。

 綾は重郷の供周りに平八郎を認め、たくまずしてその笑顔を向けたのであっ

た。

 

 帰城するやいなや重郷は平八郎を招き寄せ「その方、以前より綾殿を存じよ

るのか?」

「幼き日に遊んだことはあります。」

「綾殿がいかにも懐かし気にその方に笑顔を向けていたので、綾殿がその方と

何か約束事でもあるのかと感じたのじゃ。その方の想いびとというのであれば

諦めるが、ぜひにも側に迎えたいと思ったのじゃが如何思う。余には正室もい

るし嫡男もいる。不心得が過ぎようか?」

 平八郎が心に秘めて憧れた綾姫であったが、望んで叶う相手ではなかった。

家格が違い過ぎるのである。心底深くに閉じ込めるしかなかったのであるが、

一生妻帯することはすまいと、その時決心したのである。

 殿様とすれば普通のことかも知れないが、周りの心情に対する配慮は欠けて

いたとしか思えない。

 

田沼意次は、第9代将軍徳川家重の小姓から始まり、第10代将軍家治の時代

にはその側用人となり、さらにはその後老中まで出世した。

幕府の政治の実権を握ると、それまでの質素・倹約から、商業を重視して幕府財

政の立て直しをはかろうとした。商工業者に株仲間を結成させ、営業を独占的に行

わせる代わりに税金を納めさせる方策をとった。その上に、長崎貿易を盛んにし、

海産物の輸出を進めるなどをして、積極的に金・銀の輸入を行った。

さらには商人の経済力を利用して、印旛沼や手賀沼などの干拓も行った。

商人の力を積極的に利用した意次の政治は、役人と商人との結びつきを深め、賄

賂や不正が多く行われるようになったとされるが、俄かには信じがたい。

才能が超人的と言えるほどありすぎたのである。身分制度が重大視される時代に

あって、その出自が低い意次は、後に大老職を襲った階級の大名たちにとっては癪

の種であったろう。

時代も彼に味方しなかった。彼の責任ではない天明の飢饉などの災害があいつぎ、

打ちこわしや百姓一揆が続発するなか、将軍家治の死とともに老中をやめさせられ

たが、後の政治家たちが優れた政策を敷いたとは思えない。

強力な庇護者の下であれば、思い通りに力を発揮できるが、それによって成し遂

げた成果が、遍く世に受け入れられるとは限らない。折あらば失脚させようと目論

む者たちは、いつの世でも仲間を集めて政敵の悪評を密かに喧伝する。それによっ

て政敵を倒しても、変わりうる政策を打ち出す能力はない。

 

意次は、紀州藩士から旗本になった田沼意行の長男として生まれた。父・意行は

紀州藩の足軽であったが、部屋住み時代の徳川吉宗の側近に登用され、吉宗が第8

代将軍となると幕臣となり、小身旗本となった。それが出自であった。

これでは如何に能力があろうとも、実績が認められることは難しい。蹴落とすた

めには悪評を立てるのが常套手段である。遠くで見聞きしていると、それがよく解

った。

 

重郷は、意次に関して伝わってくる悪評に惑わされることなく、意次の実績を評

価していた。重郷を支えてくれた平八郎や木村主水や佐川新之助の貢献が大きい。

是々非々を判断するのは、何を義として目指し、どのように行ったかが基になら

ねばならない。好き嫌いや身分の上下でものを論じたら、道を誤る。

彼らの薫陶を受けた若侍たちも、広い視野で物事が判断できるように育っていた。

重郷は平八郎が去ったときの経緯については忸怩たるものがある。自分の都合が

優先してしまい、他への配慮がなおざりにされたと思い続けていた。善悪がどうな

のかわ判らぬ。そういう育てられ方をしたからでもある。しかし、周りにいるのは

人なのであるから、それぞれに感情があるのだとわかってはいた。

理不尽なものは理不尽なのである。自分が為したことは理不尽であったが、其れ

にも増してその最たるものは、天災であろう。人のやったことと違い、どこにも苦

情を持って行きようがない。

この上は、少しでも義に悖らない行いを積み重ねていかなくては、人に生まれた

甲斐がない。平八郎がきっとどこかで見ているに違いないと思った。自分が見知っ

ている者だけを大事にすればよいという立場ではないのである。

以前より気掛かりであった治水を、自らが先頭に立って成し遂げたいと思った。

毎年台風の時期になると、いつ川の堤防が決壊するか判らない。川岸が崩れれば、

氾濫した濁流が丹精した田を押し流す。領民の悲嘆に手を拱いていたのでは、君主

の資格がない。川が蛇行している部分の高々1000メートルほどを掘削して直結

すればよいのだが、岩盤が固いこともあってこれまで成功していない。

これが成せれば、洪水の被害はなくせるであろうし、新田の開拓にも繋がるから、

領民は潤う。

病弱である嫡子重頼の鍛錬を兼ねて伴い、自らが現場に出て範を示すことで、賛

同者を増やそうと考えて始めたが、そろそろ10年が経つ。藩の財政は厳しいから、

事業を起こすことに反対する者が多いだろうことは容易に想像できたので、可能な

限り藩の財政からの支出は控えた。


時代の趨勢だから、藩内に商業重視の傾向が次席家老柳沢備前を筆頭にしてある

にはあったが、バランスをどうとるかに尽きる。得られた利益をいかに使うかに尽

きる。ときには反対者が出るのは当然であるが、勇気をもって為すときには為すべ

きことをしなくてはならない。

藩の体面を保つことだけを考え、領民の幸せを後回しにするようでは、国の実力

はつかない。領民が一致して働こうとするには、彼らが信じるかどうかである。

それを分断させるような動きをするのは、得てして自らのことのみを優先させる

ことを主眼とする者たちに多い。彼らは、尤もらしい理屈をつけて、民を扇動する。

泥だらけになって立ち働く10数人の武士たちを、最初のうちは不審げに見てい

た領民たちも、それが殿様の始めた川の改修工事だと知れてくるにつれ、手伝おう

とする者たちが段々に増えた。中には普段何かにつけて相談に乗ってくれ面倒を見

てくれる山家平左衛門様から諭されたという者が多かった。

「皆の衆は年貢を納めているのだから、これ以上の労役は御免だと思ってい

ないか?この先も洪水が防げなければ田畑は荒れ、その年貢だって納められな

くなろう。何とかしようと立ち上がった人たちの意気に感じられないようでは、

卑しい心根に負けたということではないのか?」

農作業の合間を縫って、仮令一簣だけでも土砂を運ぼうとする者が河原に続

いた。あと少しで川は繋がる。皆の顔色は希望に溢れ明るさを増していた。

 

「平八郎様は、綾のことを好いては下さっていないのでしょうか?」

「滅相もないことでございます。心底大好きにてございます。」

「さようですか。この十年あまり、身近に起居していながら、親切にはしてく

れても手一つ握っては下さらぬから、嫌いなのかと思っていました。そなたも

わら
わ同様に不器用なのじゃな。気持ちを素直に表す言葉を知らぬ。

もはや義は尽くしたでしょう。綾は委細承知の上で話しています。

平八郎殿が、儒学の書物を素読させるだけで奈津に任せきりにした

意味がよく解ります。なまじ教えれば、凝り固まった考え方にどう

しても傾く。自分で考えれば、人はそれでは幸せにはなれぬと気づ

く。

綾は奈津から自分の気持ちに正直になることを学んだのです。

少し薹がたってしまいましたが、綾を平八郎様の妻にして下さい。」

 言い終えると綾は、平八郎の胸にそっと顔を伏せた。

 風が爽やかに竹の葉を鳴らして通り抜けた。